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2011年5月

2011年5月29日 (日)

KAMOソフトバレー連盟大会

雨の中、体育館まで歩いて行く。準備運動になってちょうどどよい。

体育館そばの家の陰に、アヤメが咲いていた。

この黄色の植物は何であろうか。わからないまま過ぎ去る。

体育館到着。 雨漏りするような、おんぼろ体育館である。


江雄の属するチームは、相手が20代・30代の強豪チームに対してソフトバレー独特のリズムを保ちつつ、チームワークの良さで勝利した。3勝1敗でみごと優勝した。詳しくは、マミーキッズHPをご覧ください。

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2011年5月28日 (土)

伏見を巡る(最終回)

堀川沿いは風情がある。
十石船。今日は雨だが、この船に乗って、ゆっくり一杯やりたいものだ。

今回の伏見歩きのメインは長建寺。本尊は八臂弁財天。諸芸上達・財宝福徳・出世開運などの福益をもたらしてくださる。

江戸時代には、淀川を往来する廻船の守護神として信仰を集めた。

竜宮門。下構の部分に対して、上構が極めて小さい。江戸時代の建立で、京都随一の門と言われる。ジュディオングが「山門迎福」(この門を通るだけで、福が来る。)の言葉を残している。

鐘楼。鐘は町に時を知らせたというが、太平洋戦争中供出され、大砲にされてしまった。反戦反核、そして反原発を誓った。

閼伽(あか)水。仏様にお供えする功徳水。参拝する人の清めの水。

長建寺で、山科絵の作品展が開かれていた。山科絵は、江戸時代前期に始まり、東海道の旅人に土産物として売られていたという。明治時代に途切れていたが、画家の山本無心齋先生が復活され、創作に意欲を燃やされている。

東寺の弘法の市で先生と出会い、それ以来ファンになった。

東北大震災を描いた、「津波」の作品もあった。

大鯰(なまず)から人間にあてた手紙を創作されていた。

京都の寺社を描いた絵が多い。

山頭火の俳句を絵にされていた。

無心齋の絵に登場する人物は、穏やかな表情をしていて素朴だ。見ているだけで、心休まる。

一時間ほど、絵を拝見したり先生とお話したりした。

先生は偉ぶらない気さくな人である。

色紙の絵を五枚いただいた。

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伏見を巡る(その2)

伏見は伏水と呼ばれるほど、地下水の豊かなところである。龍馬通りを歩き、寺田屋へ行く。

寺田屋。文久2年(1862)、尊皇攘夷の先鋒であった薩摩藩士9名が殺傷されるという騒動が起こったのが、この宿である。

源空寺。建久6年(1193)、天台宗の寺として炭山に創建される。

太閤秀吉がこの朝日大黒天に祈願して、天下統一の大福を授かった。

名水あるところに、名酒あり。黄桜酒造を訪ねた。数年前、ここで杜氏の体験をさせてもらったことがある。

きめ細かなまろやかで、端麗な風味である。

カッパ達が迎えてくれた。


伏水(ふしみず)。

堀川沿い。


月桂冠

名水「さかみず」は、酒造りの命。

月桂冠。寛永14年(1637)に、屋号「笠置屋」酒銘「玉の泉」として創建。伏見城外堀川沿いに、大倉本家や酒蔵などが建てられた。

伏見には至る所に酒蔵あり。
「蒼空」最近売り出し中。

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伏見を巡る(その1)

酒所として知られる伏見を、雨の中歩いた。良質の地下水に恵まれ、あちらこちらに豊富なわき水が湧出している。その名水を訪ねて回った。
まず、御香宮神社(ごこうのみや)。

貞観4年(863)、境内から水が湧き出し、その香が四方に満ち、この水を飲むと病がたちまち癒えた。それにちなんで、「御香宮」と称されるようになった。

御香水(ごこうすい)は、環境省の「名水100選」の一つ。まろやかな水をいただいた。

境内には様々な小社があった。
松尾社・東照宮

伏見南部御神樂社・神馬

桃山天満宮・伏見城跡残石

絵馬堂。宝暦5年(1773)建立。江戸時代からの百数十枚の絵馬がある。


能楽堂

御香宮神社を後にして、町中を歩いた。
龍馬通りに、そば屋さんがあった。さすが、手打ちそばに見とれてしまった。自分も練習しなくては・・・・。

お茶屋さん・珈琲店(水出しコーヒー)


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2011年5月22日 (日)

阿倍文殊院

阿倍文殊院は、645年に阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)が創建した阿倍寺の後身と言われる。

本尊の文殊菩薩は、学問と知恵が授かる仏様で、日本三文殊の一つである。木瓜の花は散っていた。

金閣浮御堂(仲麻呂堂)。春コスモスが咲いていた。

陰陽師の阿倍晴明の出生地でもある。
榊漠山の揮毫による。

文殊院西古墳。玄室には、弘法大師作と言われる願掛け不動尊が安置されている。玄室の天井石は15㎡の一枚岩であり、当時の建造技術の高さが思われる。

白山堂。加賀の白山神社の末寺である。菊理媛神(くくりひめのかみ)が祀られ、男女の縁をくくり整えるということで、縁結び大神として知られる。

八八カ所巡りにちなんだ石仏。

土舞台。聖徳太子がこの地に子供たちを集め、伎楽(インドやチベットの仮面劇)を習わせたと伝えられ、芸能発祥の地として知られている。土舞台は、日本最初の国立演劇研究所のようなものであった。

大和長寿道は大化の改新ゆかりの道であり、万葉集ファンにお勧めのコースである。

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大和長寿道

大和長寿道は、ぼけ封じで知られるおふさ観音と、知恵を授かる阿倍文殊院とを結ぶ道である。約9キロあるが、その途中いろいろ見どころがあった。
藤原宮跡より大和三山を撮す撮す。何れも200㍍に満たない小さな山であるが、万葉集にも歌われた美しい山である。
耳成山

畝傍山

天香具山

藤原宮跡。まだ発掘が行われている。藤原宮は、694年から710年まで持統・文武・元明天皇三代にわたる都であった。

毘沙門堂の前のお地蔵様は、とても嬉しそうな表情であった。あまり深刻になりすぎずに、このくらいの余裕がなければいけないのだろう。

天香具山に登る。万葉集に「天」がつくのはこの山だけであり、特別な位置づけがあったのだろう。

「大和には群山あれどとりよろふ天香具山・・・・・うまし国そ蜻蛉洲大和の国は」
畝傍山(女性)を巡って、耳成山と争ったという伝説があるが、これは単に恋愛のことだけではなく、何か深い意味があるのだろう。

天香具山の頂上に、国常立(くにとこたち)神社があった。祭神は天地開闢と共に現れた国土形成の神である。

天香具山を下りると、万葉の森があった。万葉集ゆかりの植物が植えられている。
「ちき」息の緒に思へるわれを山ぢきの花にか君が移ろひぬらむ

あやめ

ミカンの花

妙法寺

幸呼びの鐘。衆生の幸せを願われる観音様の誓願に応えて、「幸呼びの鐘」と銘が入れられている。被災地に幸を呼んでほしいと願った。

光明不動。自然石の中に不動明王様の姿が見えれば、眼病が治るということだ。

「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」大津皇子
磐余の池が、この寺の近くにあったといことだ。

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2011年5月21日 (土)

おふさ観音

観音寺とも言われ、空海作と言われる十一面観音像が本尊である。仏様の世界を表現したものを「曼荼羅」というが、この寺は「花まんだら」をバラで創り上げている。

イングリッシュローズを中心にして、1000種1000株のバラが境内を飾っている。













亀の池。亀が楽しそうに昼寝していた。「おふさ観音」はぼけ封じの観音様として知られている。最近少々ぼけが出てきたので、お参りしてちょうど良かった。

境内は無料というところが、本当に素晴らしい。500円くらい徴収してもいいくらいだと思った。7月からは、境内で「風鈴まつり」が行われる。また訪れようと思う。

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今井町を訪ねて

戦国の世に、一向宗の門徒が今井に御坊(称念寺)を開き、堀を巡らし都市を築いた。いわゆる寺内町である。

江戸時代には南大和最大の在郷町となり、「大和の金は今井に七分」と言われたほど繁栄した。東西600㍍、南北310㍍ある。


現在も、今井町の大半の民家が江戸時代以来の伝統的な様式を保っている。全国でもこれだけの伝統的な建物が残っているのは、本当に稀であると思う。
まず、華甍(今井まちなみセンター)でパンフレットをいただく。

主な旧家を紹介しよう。
吉村家。文化2年(1805)の再建。「壺八」の屋号を持ち、肥料商その他の商いをしていた。

旧米谷家。「米忠」の屋号を持ち、広く金物商を営む。

旧米谷家の蔵前座敷。

今西家。惣年寄の筆頭を務めた。慶安3年(1650)に建てられた民家であるが、城郭のような構造である。

西橋の堀。堀に映っているのが、今西家。

豊田家。寛文2年(1662)に建設。材木商を営む豪商であった。

称念寺。外回りに角柱を並べた、大規模の信州路院雄特徴をよく表す。屋根は大きな入母屋造り本瓦葺き。

中橋家。屋号を「米彦」といい、米屋を営む。18世紀後半に建築し、19世紀初頭に、正面通りに二階が増築された。

河合家。酒蔵であり、「出世男」は美酒。

町内の店。

醤油やさん

この町並みは、本当に一見の価値あり。江雄のお勧めです。

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2011年5月15日 (日)

黄檗山万福寺

1654年、隠元禅師が中国の福建省から渡来した。1661年、徳川四代将軍家綱や後水尾天皇の尊崇を得て開創した。日本三大禅宗(臨済宗・曹洞宗)の一つで、黄檗宗の大本山です。
総門・三門

天王殿。寺の玄関として設けられている。

布袋尊(弥勒菩薩の化身)

回廊

魚板。木魚の原型となっているもので、時を報ずるものとして現在も使われている。

東方丈

法堂。住職はこの須弥坦に登り、説法する。衆僧は問答によって、所信を磨く。

大雄宝殿。本堂であり、最大の伽藍。最大のチーク材を使った歴史的建造物である。

本尊は釈迦牟尼仏。両脇侍は迦葉、阿南の二尊者。

十八羅漢は、一人一人表情やしぐさが違い見応えがあった。

巡照板。朝夕この板を打ち鳴らして、戒めの句を声高に唱え、各寮舎を回る。
謹白大衆(謹んで大衆に白す)
生死事大(生死は事大にして)
無常迅速(無常は迅速なり)
各宜醒覚(各々宜しく醒覚すべし)
慎勿放逸(慎んで放逸する事勿れ)

庭園

菖蒲

山門を出れば日本ぞ茶摘み歌  菊舎尼
この俳句のように、この寺にいるときは、中国に来ているような気がした。

随時座禅会をしている。また、普茶料理(中国精進料理)は有名。

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三室戸寺(おわり)

ツツジだけではなく、シャクナゲもきれいだった。シャクナゲは約1000本植えられている。まさに極楽浄土であった。







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三室戸寺(その2)

五千坪の大庭園には、四季折々の花が見られるので、「花の寺」として知られる。この時期は、ツツジとシャクナゲ。ツツジ園には、約20000株のツツジが植えられている。平戸ツツジ、霧島ツツジ、久留米ツツジなどが咲き誇っていた。「ツツジ寺」と呼ばれるのもなるほどだと思われた。











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2011年5月14日 (土)

三室戸寺(その1)

三室戸寺は西国観音霊場十番の札所である。

千手観世音菩薩を祀り、本山修験宗の別格本山である。

開創以来、天皇貴族の崇敬を集めた。

阿弥陀堂

三重塔

十八神社(室町時代)

お地蔵様もおられた。

謡曲「浮舟」の古跡碑


西行の歌
暮れはつる秋のかたみにしばし見む紅葉散らすな三室戸の山


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宇治を訪ねて(その2)

宇治神社を訪ねる。「源氏物語」の宇治十帖に出てくる、八の宮のモデルとなった場所と言われる。



宇治川沿いを歩く。中の島の石塔が見えるが、増水で渡れず。

光源氏という椿があるのを、初めて知った。

朝霧橋

琴坂。宇治川から興聖寺へいく坂を、こと坂という。石紋は慶安三年(1648)に建立。

この門のそばには、黄色いアヤメが咲いていた。

琴坂を登る。新緑がきれい。

道元禅師によって開かれた。本堂は伏見城の遺構を移築したもの。

浄財賽銭の全ては、東日本大震災の救済支援の募金として使用されるということであった。いくらか賽銭を投じた。

琴坂を下る。紅葉の頃は、最高に素晴らしい。

橋寺放生院
ここのお地蔵さんは痩せておられた。東北の方に行かれているのだろう。

橋かけ観音(極楽・恋・合格の願いを叶えてくれるということだ。)
大震災の早期の復興を願った。

もみじの赤ちゃん。

最後に寄ったのが、「線刻阿弥陀三尊仏」。平安後期に作られもので、高さ206センチ、下幅106センチの自然石に阿弥陀様が線刻されている。

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宇治を訪ねて(その1)

奈良線に乗って、宇治へ。奈良と京都を結ぶJRの路線である。
商店街には茶の本場だけあって、茶の関係の店が多かった。

宇治橋の袂には、紫式部がいた。2008年の源氏物語一千年紀では、大活躍であった。

天ヶ瀬ダムが水を放流していて、大増水であった。

中の島に渡れず、今回は宇治川戦陣の碑が撮れなかった。

朝早すぎて、平等院はまだ開いていなかった。

瀬田川の堤から撮影。

増水で朝霧橋が渡れないので、表参道を引き返す。店先には藤の花が咲いていた。

源氏物語ミュージアムはまだ開館していなかった。宇治上神社へ行く。
拝殿(鎌倉前期建立。)

この本殿は平安後期に建立され、日本最古の神社建築である。

桐原水といわれる名水が湧いていた。

春日神社

住吉社・香椎社


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2011年5月 8日 (日)

須磨離宮公園(おわり)

春の山野草展を見に行った。

セ-フィルスの庭。実生と増殖であり、山採り品は一切ない。このモラルを守れない人たちがいるのは残念だ。

姫ウンナンカズラ

シコタンハコベ

ゲンテアナ・ベルナ

知床イワヒゲ

屋久島姫ウツギ

ハイマキソウ

ドウダンツツジ

地味で素朴な山野草の魅力にはまりそうだ。

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須磨離宮公園(その2)

牡丹園に行った。牡丹はキンポウゲ科の落葉低木である。中国西北部の原産で、寒さには強く、年平均15度c以上の地方では生育が悪いそうだ。こんなに多種のものがあることに驚いた。

初烏・吉野川

雪重(ゆきがさね)・連鶴

鎌田藤・麟鳳(りんほう)

ハイヌーン・八千代椿

聖代・花王

旭港・島大臣

新日月錦・白王獅子

五大州・紀子の舞

明石潟・天衣

このような名前はいったい誰がつけたのであろうか。不思議に花を見ると、その名前がぴったりのような気がしてくる。
江雄の最も気に入ったのは、ハイヌーン。

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須磨離宮公園(その1)

昭和42年(1967)に、近代的な欧風庭園として開設された。

天気が良く、瀬戸内海がよく見えた。

暑い日には噴水がよく似合う。

薔薇を見に来たのだが、開花はまだ早く、とても残念だった。王侯貴族のバラ園にはまた訪れよう。

仕方なく植物園の方に行った。和庭園のツツジが見事だった。

ツツジと新緑の色の配合は見事。

おおでまり。白花が集まった様子が、手まりに似る。

木香薔薇

温室に入る。亜熱帯の樹木や草花が咲き乱れていた。

暑すぎて早々退散する。

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2011年5月 7日 (土)

神戸北野を訪ねて(おわり)

北野天満神社を訪ねた。

この境内の最上部には、展望台がある。メリケンパークがよく見えた。

100円の寄付する必要があるが、観光客も少なく、ベストビューポイント。

孫の箸をいただいた。

風見鶏の館。尖塔上の風見鶏と赤煉瓦の外壁は、北野のシンボル。

この館の近くで、油絵を購入した。

萌黄の館。異なる形のベイウインドウが気に入った。

この館の近くで、水彩画を購入した。

明治の中頃に道路が整備され、異人館街が作られ、多くの外国人が住んだ。
パラスティン邸。白と緑のツートンカラーが、シンプルで目に優しい。

VICTORCAN HOUSE REINTEI.。邸の左側には木香薔薇があり、満開であった。

旧パナマ領事館。領事の執務室がそのまま残っている。

英国館。観光客が多いので、早々退散する。

ラインの館。この館の下見板の横線(ライン)が美しいところから命名された。

大正4年(1915)築。旧ドレウェル邸(フランス)。

北野ホテルのパン屋で、フランスパンを購入した。

東天閣(中華料理)


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神戸北野を訪ねて(その1)

新神戸駅の北には山が迫っている。まず布引の滝(雌滝)を訪ねた。布引の滝は、日本3大神滝(那智滝・華厳滝)の一つである。

雌滝は高さ19メートルで、しなやかで気品のある滝であった。

上流へと登っていった。

雄滝は高さ43メートルあり、雄々しく堂々としていた。

昔から貴族や歌人たちがこの滝を訪ね、多くの歌を残した。

「山人の衣なるらし白妙の月の晒せる布引の滝」藤原良経

六甲山麓の北野路を歩いた。新神戸ロープウェーの下を過ぎた。

背景に見えるのが、クラウンプラザ神戸。

港みはらし台から、異人館や神戸港がよく見えた。

この路は観光客が皆無で景色も良いので、お勧めである。山道であり、少ししんどいけれど。

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神戸新開地音楽祭

湊川公園とその周辺で音楽祭が開かれているので、ちょっと寄ってみた。
7日・8日二日間、七つのステージで有名無名のシンガーたちが熱唱を繰り広げていた。神戸で一番大きい音楽祭である。
メインステージではのど自慢大会があり、プロ級の人もいた。

公園ステージでは「Dirty&Poor」のロックががんがん鳴り響いていた。激しすぎて、早々退散する。

新開地商店街のアーケードにもステージがあった。「パコダ」ギターの弾き語りであった。かってコブクロも参加していたのだろう。

新開地駅の地下街にもステージがあった。昔のフォークを歌っておられた。これが一番私には聞きやすかった。

出演者たちはそれなりに素晴らしかったのだが、フィールドフォークと違って、大地に根付いていないだけ、何か物足りなかった。中津川での「我夢土下座」の音楽をたまらなく恋しく思った。
昼は290円のラーメン。自家麺で美味しかった。

公園ではアート市も開かれていた。将来、私も出店したいと思った。


今日は日差しが強く、Tシャツ一枚で行動した。

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2011年5月 6日 (金)

萬葉植物園の藤園

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萬葉植物園

萬葉植物園を訪ねた。万葉集にはその1/3の約1500種に、植物が読まれている。これが萬葉植物であり、ゆかりの約300種の植物が、園内に植栽されている。万葉集の歌を口ずさみながら歩いた。

「つつじ」
風早の美保の浦見の白ツツジ見れどもさぶし亡き人思へば

「藤」
春日野の藤は散りにて何もかも御狩の人の折りて挿頭(かざさ)む

「やまぶき」
山吹の立ちよそひたる山清水酌みに行かめど路の知らなく

「むぎ」
馬柵(うませ)越しに麦食む駒の罵(の)らゆれどなほし恋しく思ひかねつも

「かくつばた」
かきつばた衣に摺りつけ大夫(ますらお)のきそひ刈摺する月は来にける

「つぼすみれ」
山吹の咲きたる野辺のつぼすみれこの春の雨に盛りなりけり

「すみれ」
春の野にすみれ摘みにと来し我そ野をなつかしみ一夜寝(い)にける

浮き舞台。今日はここで雅楽(管弦および能)が行われた。私用で間に合わなかった。

御衣黄(ぎょいこう)。緑の桜花で、天皇の衣装「衣黄」から名がつく。


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2011年5月 5日 (木)

春日大社の藤

午後から、春日大社に藤を見に行った。
飛火野には八重桜が満開であった。背景は春日山。
家族連れやアベックが多かった。

飛火野には藤の花も満開。

この木の枝は、鹿に似ていた。

本物の鹿

春日大社の砂ずりの藤

春日大社の神紋には藤の紋様を用いている。

樹齢800年。鎌倉末期の「春日権現験記」にも、この藤のことが記されている。

藤の花が地面の砂にすれるほどに長いので、この名がついた。

2010年は、1メートル64センチだった。

奈良時代からずっと、境内の藤は大事にされていた。

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2011年5月 4日 (水)

木津川市体育館周辺

今日は公式戦「木津川カップ」があるので、旅に行けず、体育館周辺を歩く。

藤の花が満開であった。

周辺には田畑が広がっている。

まもなく田植えの季節。

レンゲ草

近くのため池に、亀さんがいた

桜公園

八重桜が満開であった。

タンポポの綿毛

試合の方は、Bチームが1セットも落とさず4勝して、ダントツで優勝。Aチームは2勝2敗で、6位。トリムⅡは10チームの参加であった。

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2011年5月 3日 (火)

高野山を訪ねて(最終回)

最後に壇上伽藍を訪ねた。弘法大師の高野山の開創の目的は。厳しい修行により悟りを開くための根本道場として、伽藍を創ることであった。
まず金堂が建立された。

根本大塔(こんぽんだいとう)朱色に映えた高さ約50メートルの威容を誇る。

不動堂。建久9年(1198)に、行勝上人が建立した。鎌倉時代の書院造りの仏道である。

愛染堂でコウヤ君に会って、一緒に記念撮影した。

三昧堂と東塔。

土産をいろいろ買った。

山の中にパン屋があるとは?!焼きたてパンは、ほんまに最高だった。奥さんが喜んでくれて良かった。
南海高野線の駅で「学文路」はなんと読む。答えは、「かむろ」。この駅の入場券は、受験生に人気があった。

高野山の旅・・・・ベスト1  【満開の枝垂れ桜】

ベスト2  【スモモの花】高野山では、なぜか高貴に見えた。

ベスト3  【お地蔵さん】特に水の中の自由な姿が良かった。

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高野山を訪ねて(その4)

奥の宮から中心部へと引き返した。
金剛峯寺は、高野山真言宗三千六百ヶ寺の総本山である。


弘法大師が開創した頃は、高野山全域を金剛峯寺と言っていた。

山上のほぼ中央にある。桜はほぼ散っていた。

鐘楼。元治3年(1814)に再建される。

檜皮葺のかご塀。文久2年(1862)に建立。

六時の鐘。福島正則が父母の追福菩提を祈り、元和4年(16189に建立。

大門まで歩く。

宝永2年(1705)に再建された。高さ25.8メートルの重層の楼門。


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高野山を訪ねて(その3)

一の橋から奥の院参道を歩いた。老杉の間に、太閤秀吉から太平洋戦争の英霊まで、あらゆる時代や階層の、二十万基を越えるお墓があるそうだ。
仙台伊達墓所。東日本大震災のことが常に頭にあるので、真っ先に目に入った。

奥州南部墓所

備後水野墓所。故郷なので目についた。

豊臣家墓所

織田信長供養塔

弘法大師御廟

大師信仰の中心聖地である。

今でもあらゆる人を救い続けておられるという。東北の被災者のことをよろしくお願いします。
石仏たち

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高野山を訪ねて

奥の院に向かって歩いた。117ある寺院の内、52カ所が宿坊寺院として一般客に利用されている。
高室院。

三宝院。池を泳いだり遊んだりしている地蔵が面白かった。

遍照光院。紫モクレンの花が咲いていた。

地蔵院。身代わり地蔵がおられた。

苅萱堂

大明王院

熊谷寺

赤松院

清浄心院。この寺の枝垂れ桜が、最も見事だった。

山桜との色の組み合わせがすばらしかった。

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高野山を訪ねて(その1)

近鉄・南海を乗り継いで、高野山に行った。

紀伊神谷駅にて(左)。極楽橋にてケーブルカーの乗り換え。

高低差328㍍を一気に昇る。

女人堂前の仏様。金輪塔の枝垂れ桜。

金輪塔は天保5年(1834)に再建される。二間半四面の宝塔。

蓮華定院

波切不動

福智院

摩尼宝塔

高野山のスモモの花は気品があった。


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2011年5月 1日 (日)

長谷寺参詣(終わり)

長谷寺は、花のお寺として知られている。今の季節は、「牡丹」。

登廊の脇に、牡丹が咲いていた。

満開までにはもう少し日にちが要りそうだ。

シャクナゲも有名である。

シャクナゲは満開。

山桜

赤ハナミズキ

白ハナミズキ

やまぶき

帰りの参道で、草餅と豆腐を買った。今回は珍しく酒は買わなかった。

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長谷寺参詣(その1)

バレーの練習の後少ししんどかったが、本日までの切符があったので、長谷寺を訪れた。初瀬詣で知られる、西国三三カ所巡りの第八番札所である。
仁王門(1885年に再建)

徳道上人が観音霊場を開かれた。

関係寺院3000カ寺を有する真言宗豊山派の総本山である。本尊は十一面観世音菩薩である。(写真撮影禁止)

賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)説法が獅子のごとく激しかったそうだ。十六羅漢の一人。

本堂前の舞台から、新緑の山々をいつまでも眺めていた。

舞台から眺めた五重の塔。
新緑の中でリフレッシュできた。

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