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2011年6月

2011年6月28日 (火)

柳生を訪ねて(最終回)

6月25日(土)に訪ねたものです。
今川に鴨が1匹いた。逃げようともせず、水につかっていた。

八坂神社へ行く。柳生家最後の藩主、飛騨守宗冬が寄進した。

能舞台式拝殿があった。ここで大の字になって休憩した。

八坂神社近くの摩利支天山に登った。武道の守り神である、摩利支天を山頂に祀った。

柳生藩家老屋敷。

家老の小山田主鈴の屋敷である。

この縁は涼しくて、昼寝したかった。

殿様客間。藩主は江戸常駐で、めったに柳生には帰らなかったが、殿様の客間として用意されていた。

主鈴は柳生藩の家老であり、文政9年(1826)江戸から奈良に移り、藩体制の立て直しに成功した。

柳生家ゆかりの武具や民具が展示されている。


呼鈴・望遠鏡

昭和39年(1964)に、作家山岡荘八の所有となり、大河ドラマ「春の坂道」の構想を練った。

家老屋敷を後にして、酒蔵に寄ったが、残念ながら廃業していた。「春の坂道」という銘柄の美酒を楽しませてもらっていた。

今は、柳生焼きの店になっていた。息子さんが今年の近畿伝統工芸展に入選されたということであった。白磁や青磁が得意であるということだ。

ぐい飲みを買い求めた。湧き水は昔のまま出ていたので、飲ませてもらった。

家に帰る途中、南明寺に寄った。本堂は鎌倉末期のものである。小さな里山に溶け込んでいる。

寺近くの「コスモスの里」という店に立ち寄った。梅を買い求めて、帰宅して早速梅ジュースと梅酒を作った。出来上がりを楽しみに・・・・・!

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2011年6月27日 (月)

柳生を訪ねて(その4)

天石立神社から芳徳禅寺に行く途中、無縁仏たちが一カ所に祀られていた。

江戸時代のものが多かった。

正木坂道場。柳生は今も剣道が盛んである。

芳徳禅寺にお参りした。柳生宗矩が父の石舟斎宗厳の供養のために創建した。

柳生家代々の菩提寺である。

寺の北方50メートルの裏山に、柳生一族の墓所がある。柳生但馬守宗矩の墓所を中心にして、石舟斎宗厳や十兵衛三厳など、八〇数基の歴代墓所が並んでいる。

但馬守宗矩は12500石の大名となり、家康に仕え、秀忠や家光の兵法指南役並びに大目付として活躍した。一時、「春の坂道」でブームとなった。

本堂にお参りした。列堂和尚の木造が祀られている。宗矩の四男として生まれ、大徳寺の天祐和尚に預けられた後に当山の第一世となった。、

柳生新陰流。「剣は人を切るにあらず、人を活かすにあり。」として、活人剣の道を説いた。

無刀の術を極めた達人であった。十兵衛三厳は「月之抄」を著した。

全国の門弟13600人あまりだったというのが、本当にすごい。

無刀というところに一番ひかれる。


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2011年6月26日 (日)

柳生を訪ねて(その3)

菖蒲園を後にして、里を散策する。まず、柳生藩陣屋跡。陣屋は延享4年(1747)に焼けて、今では史跡公園になっている。

柳生街道を歩いていると、壊れたダイハツの車が自然と同化していた。。

ほうそう地蔵。元応元年(1319)の刻銘がある磨崖仏である。ほうそうよけを祈願して作られた。

柳生街道は奈良市高畑から約16キロある。剣豪たちがこの道を歩いて、柳生一族を訪ねたであろう。

六地蔵もおられた。

炭焼き小屋

良い炭ができていた。

天の石立神社へお参りする。柳生家の修練の場であった

前伏磐・前立磐・後立磐からなる巨石を、ご神体としている。

手力男之命が開いたという天の岩戸の扉が、空を飛んでここに落ちたと言われている。


この神社の奥に、一刀石がある。約7メートル四方の巨石が、中央で二つに割れている。

柳生宗厳が修行中に天狗と戦い、真二つに切ったということだ。

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2011年6月25日 (土)

柳生を訪ねて(その2)

柳生の里花菖蒲園は、しょうぶ以外の花も咲いていた。

この色遣いを表現できたらなと思った。

園の上の方には、あじさい園もあった。

蓮の花も咲いていた。

花菖蒲とあじさいの組み合わせも素敵であった。

園内には弁天様がお祀りされていた。このブログに、美と福を授けていただくことを願った。


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柳生を訪ねて(その1)

剣豪の足音が聞こえる、柳生浪漫街道を歩いた。まず、柳生花しょうぶ園。1万㎡の大花園に80万本の菖蒲が咲いている。

入園料は650円であるが、その額に見合うだけの多種の花菖蒲が咲いている。

450種あるというが、そのほんの一部を紹介しよう。
碧濤・千代春

千早城・夕映

登竜門・中禅寺湖

吉野太夫・靄間空

雪千鳥・ピンクフロスト

佐野の渡・青岳城

五月晴・業平

仙女洞・潮来

渡津海・熱砂の舞

新仙女洞・桃児童

邪馬台国・清少納言

紅扇・大和姫

信濃路・秋の曲

揚羽・追風

愛知の輝・七彩の夢

嵐山・日本海

山の雫・小島の波

国の華・白露

江雄のお気に入りベスト3
第1位 清少納言

第2位 仙女の洞

第3位 千代の春

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2011年6月18日 (土)

白栖山の家

仲間たちの作った山小屋に招待をいただいた。土砂崩れで、遠回りしてようやく着いた。山中の一軒家である。小屋はもちろん手作りである。

脇に清水が流れていて、それを大いに利用している。

水芭蕉

手作りの滝と川床。

手作りの露天風呂。


椎茸がよくできる。

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当尾散策

当尾の山里には、無人販売所が随所にある。季節の野菜が格安で売られている。

続きを読む "当尾散策"

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2011年6月12日 (日)

当尾小学校でのSB練習

当尾の山里を歩く。野菜(いも・かぼちゃなど)の花が満開。

棚田。蛍が飛ぶ。

炭焼き小屋。一度炭を焼いてみたい。

千日墓地。当尾屈指の石仏がある。基壇と屋根も備わり、阿弥陀仏と地蔵菩薩とが仲良く並んでおられる。

少し傾いている十三重石塔や、石の鳥居も珍しい。

千日墓地西側にも石仏がおられる。

無縁仏。世話をしなければ、すぐ雑草の中に隠れられる。

極楽橋の石仏たち

みんな顔が違っていて面白い。


小学校近くの石仏。祠の中におられた。

小学校には、昔よく見た二宮金次郎がいた。

松右衛門の柿。2001年に台風で倒れ、学校に寄贈される。

江雄のソフトバレー。

練習前に5キロ歩いていたので、少しばててしまった。

汗でTシャツを四枚着替えた。

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2011年6月11日 (土)

当尾の石仏を訪ねる

当尾の石仏の道は、「美しい日本の歩きたくなる道500選」に選ばれた。まず、藪の中地蔵。

あたご灯籠から岩船寺へ山道を歩いた。隋願寺跡には、風情のある石段があった。

小川は昼過ぎまで雨が激しく振っていたので、増水していた。脇に野いちごがなっていた。

阿弥陀如来座像。舟形の光背を持つ。線刻の灯籠、火袋に灯明を備えることができる。

地蔵菩薩立像。

唐臼の壺。

眠り仏。長い間土の中で休んでおられるので、いつのまにか「眠り仏」と呼ばれる。もう何度もお会いしているが、ますます顔の表情が無くなっていくような気がする。

阿弥陀三尊像。蓮台を捧げ持つ観世音菩薩座像と、合掌する勢至菩薩座像とを従え、阿弥陀如来さまが浄土へ来迎する姿である。永仁七年(1299)鎌倉時代に造立された。

とても柔和な表情(アルカイックスマイル)をしていられ、「笑い仏」の異名がある。死ぬまでに一度はこのような表情をしてみたい。

八帖岩という巨岩があった。

不動明王磨崖仏。一願不動とも言われる。弘安十年(1287)に造立された。東日本大震災の被災者達の平安を、ただただお願いした。

岩船寺の前には、地元の人たちの手造りのもの(漬け物やかき餅など)が、このような置き台で売られていた。


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岩船寺から浄瑠璃寺へ

岩船寺そばに、白山神社がある。天平勝宝元年(749)に、岩船寺の伽藍守護のために造立された。

石仏の道を戻る。お地蔵様の柔和な表情に、急ぎがちの足が止まった。

浄瑠璃寺の門前。閉門近くで観光客はあまりいなかった。

阿弥陀堂。地元では九体寺と呼ばれている。平安時代に流行った九品往生という思想に基づき、阿弥陀如来が九体安置されている。

池の対岸から阿弥陀堂を拝するのが正式である。

1107年に建立され、一度も火災に遭っていない。国宝である。
三重塔には薬師如来座像が安置される。平安末期に阿字池を造り浄土庭園が整備され、、東の薬師西の阿弥陀という浄土が完成した。

阿字池には菖蒲の花が咲いていた。


池畔には茱萸(ぐみ)が実っていた。

蓮の花。

浄瑠璃寺は紅葉の頃だけではなく、四季折々に魅力がある。



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岩船寺

門前に鎌倉時代の岩風呂が置かれていた。僧たちが身を清めたということだ。最盛期には広大な境内に、39の坊社があったそうだ。承久の変(1221)で、大半が焼失した。

岩船寺は、天平元年(729)聖武天皇の勅により、行基が阿弥陀堂を建立したことに始まる。本尊阿弥陀如来座像が祀られている。284センチのケヤキの一木造りで、天慶九年(946)行基が作ったという。

関西花の寺霊場第15番札所である。あじさいを見に来たのだが、今年は遅くまだあまり咲いていなかった。

色づいたらどれだけきれいであろうか、イメージトレーニングをしながら境内を歩いた。

三重塔は鎌倉時代に再建された。そして、8年前に平成の大修理が完了。三重塔の隅の垂木を支えるのは、天邪鬼(あまのじゃく)の表情を見て、つい微笑んでしまった。

十三重石塔。正和三年(1314)建立され、軸石のくぼみから水晶の五輪舎利塔が見つかった。

五輪塔・石室不動明王立像。何れも鎌倉時代に造られる。

阿字池には蓮の花が咲いていた。

見知らぬ花は、カルミアという名であった。

滝桜(枝垂れ桜)。福島県三春町から1990年に移植。福島の名樹は大震災でどうなったであろうか。

コナラの新緑が爽やかであった。

貝吹き岩。御本陣山の周辺に39の坊舎があった頃、僧達を集めるためにこの岩の上に立ち、ホラ貝を吹いた。

当尾の最も高い場所である。泉川(木津川)や生駒山が見えた。江雄の住む団地も見えた。

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2011年6月 5日 (日)

加茂の里

体育館へ行く道に、ひっそりと山野草が咲いていた。かたばみやどくだみなど、小さい花ゆえに、顔を近づけると、花がやさしくささやいてくれる。





旧家のさつき。

梅雨の時期の練習は、とてもハードであった。

夕刻より、夏山登山の打ち合わせがある。

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2011年6月 4日 (土)

二上山登山

万葉集に詠まれている二上山に登った。「二上に隠らふ月の惜しけども妹が手もとを離るるこのこ」
当麻寺から二上山を撮影。

雄岳(517㍍)雌岳(474㍍)からなる。

トロイデ形火山であり、約2000年前には噴火活動をしていた。石器の材料のサヌカイト原石を噴出した。
登り口に傘堂があった。左甚五郎が作ったと伝える。傘形の一本柱で、珍しい。三度祈願すれば、願い事が叶うという。東日本大震災の人たちに、早く平安が訪れてほしいと祈った。

鳥谷口古墳。七世紀後半に築造。一辺が約7.6メートルの方墳である。

川沿いの道を上る。

お地蔵さまが迎えてくださった。

ひたすら登る

小さな滝が随所にあり、疲れは癒やされた。

急坂を登り、雄岳と雌岳の分岐点に着く。

ここから約600メートル登り、雄岳の頂上に着く。

当麻寺駅から約約4キロあるが、一時間半あまりのかなり速いペースで登ったので、かなり体力を消耗した。

木が茂り、眺望はあまり良くなかった。
頂上近くにある、大津の皇子の墓に参る。
「うつそみの人なる我や明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟背(おとせ)と我が見む」大伯皇女

二上山駅を目指して下る。

ひたすら下る。

川沿いに出る。

ため池に出る。

頂上から約4キロを、約一時間のハイペースで下り、駅まで歩いた。
昼から香芝市で仕事があるので、今回は寄り道をあまりせず、歩くことに徹した。駅への途中の民家の花には、つい足が止まった。

二上山の雌岳の登頂はせず、次回の楽しみにとっておいた。今日の歩行は約27000歩であった。約17キロということで、明日のバレーの練習に響かなければ良いのだが。

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