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2011年7月

2011年7月30日 (土)

乗鞍岳・白骨温泉・上高地

バレーチームで遠征した。
乗鞍岳は濃霧のため、登山を断念。勇気ある撤退。

霧が少し上がったときに、お花畑に行く。



急遽予定を変更し、白骨温泉に行く。



ホテルのエメラルド色の温泉。

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2011年7月24日 (日)

東舞鶴散策(終わり)

赤煉瓦倉庫群を見にやってきた。

舞鶴港。

船上の鯉のぼりが可愛かった。

赤煉瓦博物館。明治36年に建設された、魚形水雷庫を利用している。

館内では、煉瓦の歴史や世界各国の煉瓦などを展示している。

枯木浦。

五条海岸。シベリアからの引き揚げ者を乗せた舟が、この海岸の桟橋に着いた。「岸壁の母・妻」

代命(みがわり)地蔵尊。五条海岸の防波堤を工事しているときに土中より見つかり、地元の人により祀られている。

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東舞鶴散策(その1)

昨夜は堀川通りのホテルに一泊して、青春18を使い、山陰本線に乗る。
綾部駅で乗り換え。。

西舞鶴駅。タンゴ鉄道の電車はカラフルであった。

東舞鶴駅。

ちくわ入りのパンを買う。

北吸トンネルに行く。煉瓦造りのトンネルである。

まいづる知恵蔵。
明治35年に建てられた赤煉瓦倉庫をそのまま利用している。

旧海軍兵器庫であった。

回廊は全長70メートルある。

内部は、展示スペースや喫茶コーナーになっている。赤煉瓦ミュージアム。

旧鎮守府倉庫。

現在も使われている。

映画のロケ地となっている。

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2011年7月23日 (土)

西陣探訪(終わり)

西陣周辺を歩いた。
樂吉左右衛門居宅跡。

妙顕寺。日像上人が開創した法華道場。

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西陣探訪(その2)

西陣周辺を歩いた。西陣の中心である石畳の小道。

機織りの音が聞こえてくる。

称念寺。猫好きの住職が猫に報恩されたことから、猫寺とも言われる。

本堂前の老松は、伏した猫の姿になぞらえて植わっている。

鉾参道には歴史的意匠建造物が多くあった。

飴屋(左)で、土ショウガ入りのたんぎり飴を買った。。豆腐屋(右)にはリヤカーがあった。

廃校となった小学校。

法輪寺。八千余りのだるまが祀られているので、だるま堂とも言われる。

平安京内裏の内閣回廊跡。天皇の居所である内裏は内外二重の郭で囲まれていた。

平安京一本御書所跡。世間に流布している書籍を一本書き写し、保管した。

家前に蓮の花が咲いていた。右は歴史の古い油屋。

朝顔やゴーヤが植えられていた。

萬亀楼。超有名な料亭で、死ぬまでに一度は、京料理をいただきたいと願う。

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西陣探訪(その1)

西陣周辺を訪ねた。だいぶ遠回りになるが、丸太町で降りる。
まず、菅原道真がお生まれになった地にある菅原院天満宮神社を訪ねた。

菅原公が誕生したのが承和12年(845)乙丑(きのとうし)の日であったので、牛が祀られている。

菅原公初湯の水。

京都御所の下立売御門。今回は中に入らず通り過ぎる。

アグネス教会。明治31年(1898)に竣工した平安女学院の礼拝堂。

今も毎週日曜日には、礼拝が行われている。

有栖館。有栖川邸を移築して建てられた。その付近にあった、斜めに向いたお地蔵様。

京都府庁旧本館。

堀川沿いを歩く。

一条戻り橋。文章博士の三善清行の葬列がこの橋を通っているとき、紀州熊野からはせ帰った息子の浄蔵が父に会いたいと神仏に懇願したところ、父は一時蘇生したという。
新しい戻り橋(左)。古い戻り橋(右)。清明神社に置かれている。

清明神社。陰陽士の阿倍清明が祀られている。

神紋は阿倍清明が創始された魔除けの印であり、桔梗印とも呼ばれ、それに因んで桔梗が植えられている。

厄除け桃。樹齢300年と言われる楠。

晴明井

考古資料館。西陣の大きな碑があった。

西陣の町を歩く。

本隆寺。法華宗真門派大本山。明暦3年(1637)日遵上人が堂宇を再建される。

夜泣き止め松。寺に預けられた嬰児が泣き止まないので、この松の周りを回ったところ泣き止んだという。

タカオカエデ。緑陰が涼しかった。

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2011年7月18日 (月)

東京下町巡り(3日目)最終回

亀戸まで歩いた。光明寺は、天台宗の寺である。

歌川豊国のお墓がある。

亀戸天神社。太宰府天満宮の宮司が神木飛梅の木で菅原道真の像を造り祀ったのが創建と言われる。

藤の木が植えられており、広重の「名所江戸百景」にも描かれている。

スカイツリーがよく見えた。

心字池。亀が悠然と遊んでいた。

うそ替え神事に来てみたい。

亀戸の名にふさわしいパンを買い求めた。

錦糸町を過ぎる。

真下近くまで接近する。

この三日間、常にスカイツリーと共にあった。

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東京下町巡り(3日目)その1

勝ち鬨橋の近くのホテルに泊まり、隅田川周辺を彷徨った。

自然はあるのだが、人工的なのでかなり抵抗があった。まあ、何も無いよりは良いのだが、不自然ゆえに落ち着かなかった。

仙台堀川公園を歩く。都内最大級の親水公園である。延長3.7キロもある。

鮠(はや)が群れて泳いでいた。

園内には果実の森があった。杏の木の下には、杏がいっぱい落ちていた。

鯉も鳩も水遊びしていた。

釣り堀もあった。

鴨の赤ちゃんがいた。


昭和8年(1933)創業のパン屋さんで、あんパンを買った。三代素朴な味を守り続けておられ、自家製の餡にこだわっておられる。

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2011年7月17日 (日)

東京下町巡り(2日目)その3

門前仲町を訪ねた。
江戸情緒をいくらか感ずることができた。
永代寺。高野山真言宗派。

「ご利益通り。人情深川。」早朝だったので、店は閉まっていた。縁日には多くの人で賑わう。

深川不動堂。
元禄16年(1703)、成田山新勝寺の出開帳が起こりである。

巨大な草鞋は、芭蕉に関係が有るのだろうか。

富岡八幡宮。深川にまつわる史跡が数多く残る。

花本社(芭蕉を祀る神社)。豪華な神輿(深川八幡祭で使われる)。

七渡神社(弁天様を祀る)。伊能忠敬はこの宮に参拝した後、測量の旅に出た。

この宮で幕府の公許のもと相撲が行われた、戸勧進相撲の発祥の地でもある。

再び月島方面に戻る。

月島もんじゅストリートを歩く。


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東京下町巡り(2日目)その2

隅田川に架かる佃大橋を渡る。隅田川と聖路加タワー。
佃島に行く。佃煮の元祖だけあって、至る所に佃煮屋さんがあった。この町を愛した劇作家の北条秀司は「佃の渡し」の芝居を作り、脚光を浴びた。

住吉神社。江戸初期に摂津の佃村から移住して、島の鎮守として創建した。ルーツが摂津(大阪)とは、初めて知った。

境内に5世川柳の水谷緑亭の石碑があった。「和らかで かたく持ちたし 人ごころ」人の心はこうでありたいなぁ。

水盤舎(おみずや)は、明治2年(1869)に再建された。水盤は天保12年(1841)の寄進されたものである。鳥居の扁額は陶製であり、とても珍しい。

水盤舎の欄間には帆を張った廻船や網を打つ小舟、潮干狩りなどが彫られていた。


舟入堀。高層ビルとの組み合わせには、どうしても違和感がある。

相生橋を渡る。

牡丹町公園を過ぎる。
牡丹を栽培する屋敷が多かったそうだ。

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東京下町巡り(2日目)その1

早朝5時頃から、隅田川周辺を歩いた。
勝ち鬨橋を渡る。

橋上から東京タワーが見えた。

昭和15年(1940)に竣工される。それまでは、「勝ちどきの渡し」といって、渡し船が往来していた。

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2011年7月16日 (土)

東京下町巡り(1日目)

江東区を中心に彷徨った。まず亀戸駅で降りる。
駅近くのラーメン店に入る。〇周年記念ということで、ラーメンが300円と半額であった。やはり関東の味の濃さに戸惑ってしまったが、スープまで飲み干した。麺はやや太かった。

短詩型文学である短歌や俳句に興味を持っているので、俳人石田波郷記念館を訪れた。
昭和21年から約12年間江東区に住み、当時の様子を「焦土俳句」として多くの俳句に残した。

「俳句は対象を極度に単純化して、叙述を節して一息に表現することである。」石田波郷」

「俳句を作るということは、生きるということである。」波郷は人間探求派と呼ばれた。

砂町銀座。約670メートルの道の両側にはたくさんの商店が建ち並んでいる。

8月上旬の七夕祭りでは、たくさんの七夕飾りで賑わう。江雄は夕食の材料を求めた。


特に、刺身がとても安くて美味しかった。4パックで千円。

夕暮れ時のスカイツリー。

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2011年7月14日 (木)

京都街中水紀行(最終回)歩行編

7月9日(土)の記録です。
南禅寺を後にして、その別院を訪ねる。
牧護院。童の石像。

慈氏院。別名、だるま堂。

聴松院

永観堂。浄土宗西山禅林寺派の総本山である。

新緑も、紅葉に見劣りしないくらいきれい。

熙怡快楽(身も心も安らぐことがあれば、私たちは前に進んでいける。)無量寿経からの言葉が掲げられていた。

若王子神社。天照大神の別称、若一王子に因んで名付けられた。熊野権現を勧進して、永歴元年(1160)に建立されたという。

梛(なぎ)樹齢約400余年。石橋は明暦2年(1651)に、吉良家より寄進される。

滝宮神社。

千手滝。
しばらく休憩した。猛暑を忘れさせてくれた。

哲学の道を歩く。若王子橋から銀閣寺橋までの疎水沿いの道である。

明治時代に哲学者の西田幾多郎が、この道を散策して思索にふけったという。

濃いが仲良く泳いでいた。

藻の小さな白い花が咲いていた。

法然院に寄る。法然が弟子と共に修行した寺である。

堂内は春と秋の公開のみ。

茅葺き屋根は新緑によく調和していた。

谷崎潤一郎など著名人の墓がある。細い滝もあった。

銀閣寺まで歩く。

白沙村荘。観光客が多いので、早々退散する。

子安観世音菩薩。鎌倉期に作られた石仏である。白川村の入り口に鎮座しておられ、白川女たちは必ずここに花を供えてから、商いに出たという。

京大農学部まで歩き、力尽きたので、抽選会が行われる西大路までバスに乗った。加茂に帰る途中珍しく寄り道して、今日は一日が長かったなぁと生ビールを何杯もお代わりした。

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2011年7月13日 (水)

京都街中水紀行(その3)歩行編

7月9日(土)、午前中は自転車、午後からは歩きで、真夏日対策で涼しさを求めて彷徨った。古河町商店街の中で、知人にばったり出会い、この猛暑の中何をしているか不思議がられた。白川沿いを歩く。

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2011年7月 9日 (土)

京都街中水紀行(その2)自転車編

高瀬川から御所へとペダルをこいだ。電動式なので、漕いだ感じがしない。
新島旧邸。同志社の創立者である、新島襄とその妻八重の私邸である。

明治11年(1878)に竣工。京都市有形文化財に指定。

梨木神社。三条実美を祀る。

境内にある染井の水は、市内の三名水の内現存する唯一のものである。この日も、水をくみに来る客が絶えず、列ができていた。何杯もお代わりした。

下鴨神社境内にある三井社。六社。

河合神社。玉依姫命を祀る、婦人の鑑とも言われる。

八咫烏が祀られている任部社。日本サッカーの守護神となり、超有名になった。

深泥池(みぞろがいけ)。ここが今回のメイン。市北に来たときは、毎回訪れる。市街地に隣接して、氷河時代以来の動植物が生息している池が残っているのは、たいへん貴重である。

約9ヘクタール、周囲約1.5キロの池であり、東日本の冷湿帯にしか成立しないはずの高層湿原が残っている。

今回はトンボを追いかけて撮った。なかなか難しく、ベストショットを撮るのに、時計を見たら30分を経過していた。時間がたつのを忘れるというのは、こういうことなのだろう。黄・赤・黒のとんぼたち。



上賀茂神社の末社の藤木社。この楠は樹齢500年。。

明神川の流れが涼しげだった。

レンタル自転車を返す時間が迫って、三条まで鴨川沿いを必死で漕いだ。

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京都街中水紀行(その1)自転車編

今回は珍しく自転車を使った。3時間レンタルして、真夏日対策に水辺を彷徨った。
高瀬川沿いを進んだ。

高瀬川は慶長19年(1614)角倉了以によって、二条から伏見まで約10キロの運河を開墾した。これにより、大阪と京都の水運がたいへん便利になった。

有名な料亭。鴨川に面しては、床がある。江雄は自慢ではないが、こんな高級なところは未だ一度も入ったことはない。いつも通り過ぎるだけ。

土佐屋敷跡。木屋町通りにある。坂本龍馬は高瀬川を高瀬舟に乗って、何を思っていたのだろうか。

日本映画発祥の地。明治30年(1897)に、映画試写に成功したという。

瑞泉寺。高瀬川沿いにある。秀吉の甥の秀次一族を弔うために建立された。

嫡男の秀頼が生まれ、疎んじられた秀次は自害させられ、この近くの河原で幼児や妻妾など39人が処刑された。秀吉は徹底的にやるものだなと、人間の罪の深さを思った。

宝筐印塔には、「この塔の功徳を以て、この世の全ての人々が苦しみから平等に救われますように」という意味の言葉が刻まれていた。

右がレンタルした自転車。三条小橋にて。

一之舟入。船荷の積み降ろしのために設置された舟留め。現存しているのは、ここだけ。

木屋町通りには、問屋街と藩屋敷があった。最盛期には一日170隻の舟が行き来した。

高瀬川源流庭苑。約400年前の慶長16年に、角倉了以の別邸として作られた。




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2011年7月 2日 (土)

山背古道を歩く

山背古道は木津川東部の山際を、南北に通じる全長25キロの古道である。その一部を歩いた。
井手町つくり椿坂。この近くで、大安寺の瓦を焼いていた。大安寺旧境内石橋瓦窯跡。

座敷はよく風が通っていて、大の字になってしばらく寝た。

小野小町塚。晩年、井堤寺に住み、玉川堤を散策したという。零落の姿は誤りであり、晩年の姿も小町らしく美しい方が良い。
下の歌の訳。蛙が澄んだ声を聞かせる頃になると、玉川堤にこぼれるばかりに咲いていた山吹も散り染め、花の色香の移ろいにも似て、若い日々を懐かしく思い起こす事よ。

地蔵禅院。南都東大寺華厳宗の旧址であり、江戸期に禅宗に改宗した。

しだれざくらは、享保12年(1727)に植樹され、円山公園のものと母樹を同じくする。

幹周2.4メートル、樹高10メートルの古木である。京都府の天然記念物に指定されている。

木津川の流れが眼下に見え、遠く生駒山・信貴山・葛城山の方まで遠望できる。京都百景のひとつ。

更に坂を登り、玉津岡神社に着く。下照比売命が祀られている。


本殿の軒下に、蛙の彫刻があった。蛙との縁が深いお宮さんである。

大神神社・橘神社(橘諸兄が祀られている)

山背古道を北上する。山中の途中、水飲み場があった。

みどり農園による。イチゴ狩りやブドウ狩り、タケノコ掘りやバーベキューなど自然の幸を利用した施設である。


koyumiかふぇ。スモークチーズを3本買い求めた。、みどり農園の園内で、桜チップで3時間燻して作るということで、実に美味であった。ハーブティーも買った。。

谷川ホタル公園。ゲンジボタルが乱舞する。

ホタルを保護する条例が作られている。

高神社。本殿は桃山時代のものであり、豊かな鎮守の森であった。
夏越祭が7月15日に行われる。水無月の頃に茅の輪くぐりをすれば、千寿命が延びるという。

山城多賀駅のそばに、超素晴らしい店があった。新聞配達業を営む余暇に、猪の捕獲をして店も出しておられる。

猪肉ラーメンは、猪の肉がたっぷり入って、これで300円。スープも猪の肉を煮込んで作ってあり、見た目と違って割とあっっさりしている。たいへんお得である。

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井手を訪ねて

玉水駅で降りて、歩き始める。まず、町の東西を流れる玉川へ行く。東京の多摩川を含め、六玉川と呼ばれている。もちろん、こちらが元祖。

桜と山吹で春を彩り、古より歌に詠み込まれた歌枕である。 「駒止めてなほ水かはむ 山吹の花の露そふ井手の玉川」藤原俊成

カジカガエルやゲンジボタルがいる、清流である。

六角井戸へ。
橘諸兄がこの地に別荘を構え、その公館跡に造られたという。

万葉集の歌。「雑草がはびこる屋敷でも、大君がいらっしゃるのなら、きれいに飾り付けておきましたのに。」の意味。

安養寺


ため池を過ぎて、山背(やましろ)古道に合流した。この古道は、木津川東部の山沿いにある、歴史のある道である。

橘諸兄公旧跡

天平10年(738)右大臣に、15年に左大臣となり、奈良時代の一時期、首班者として活躍した大官である。恭仁京遷都や大仏建立・開眼供養が、この間に行われた。

弥勒石仏。竹藪の道を通り、山吹山を少し登る。

花崗岩に線刻されたこの三体仏は、橘諸兄の館建立に際し、鬼門として刻まれたという。

鎌倉から室町の戦乱に明け暮れた時代に、武士の支配体制に苦しみ、その日暮らしがやっとの農民たちが、心のよりどころとして刻んだものという。こちらの方の説が、真実であろう。

山背古道を通り、また玉川を渡る。玉川のそばに、宮本水車旧址の碑があった。水車は無くなっていたが、勢いよく水が流れ出ていた。

半夏生(はんげしょう)の植物が生えていた水辺に生え、。半夏生の頃(夏至から11日目だけ)、葉の下半分が白くなる。

ドクダミ科の多年草である。これだけ多く自生しているのは珍しい。

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