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2011年8月

2011年8月28日 (日)

町屋カフェ【月の工房】

尺八・琴を指導されているプロの先生(夫婦)の家族が、カフェを開かれた。その先生は江雄の知人であるので、夏山登山の反省会をそのカフェですることになった。

K警察署の真ん前なので、治安が良すぎるところである。落ち着いたレトロな雰囲気で、自然と心が静まる。

ピアノや琴も置かれているので、いつでも演奏会ができる。音響効果は抜群で、ライブにはもってこいである。夢ではあるが、「我夢土下座」に来ていただいて、ライブをしていただけたら最高だろうなぁ。

二階の雰囲気も良い。ギャラリーにもなりそうだ。いつか江雄の下手な陶芸作品を展示させていただこうか。

吹き抜けになっているので、下の部屋が見える。

料理も盛り沢山であった。皿の刺身は一人前。次から次へと料理が出て、食べられないのでストップしてもらった。飲み放題で4000円は安すぎるような気がする。

いつものメンバー。みんな良いペースで飲んだ。

先生が尺八の演奏をしてくださった。プラスチックでこれほどの音色が出るのだから、本物だったら本当に素晴らしいだろうと感じた。

先生は尺八の製作もされている。その世界では有名な人である。

宴会が終わり、少しだけ先生に尺八の吹き方を教えていただいた。なかなか音が出るものではなかった。

素敵な時間が瞬く間に過ぎた。

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バサラ祭り(おわり)

バサラにひかれて、バレーの練習後また奈良まで行った。奈良公園(県庁前登大路園地)に行きたかったが、夕刻より飲み会があるので、前日と同じく三条通りで観賞する。
                バサラの心得「心。バサラは人の心の中にある。キラリと輝く心意気。時代の殻を破る、強い意志を秘めていること。)
                大阪教育大琉球鼓舞
               
                ザ・FUNKション
               

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2011年8月27日 (土)

バサラ踊り(その2)

バサラ踊りの心得が素晴らしい。
                「粋。バサラは言葉、振る舞いの中にある。伊達で酔狂で、物好き、ひとずき。そして、一番、人を酔わせる人であること。」
                デッシー・ユルデュース・スクール
               
               
                マルハン流祭の会
               
                こまいっこ
               
                てんやわん屋
               
                蝶々喃々
               
                ザ・FUNKション
               
                MISS
               
                よさこい踊り「さい」
               
                天理総合よさこい愛好会
               
                花柳
               
                FGPスーパーユニット忍
               
                華鹿
               
                鹿の角を連想させる髪型が素晴らしかった。
               
                市役所「八重桜」
               
                バサラ心得
                「錦。バサラは、姿、形、舞や踊りの中にある。一目置かれる美意識で、綾羅綿繍、着飾って、何より、人より目立つこと。」
               

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バサラ祭り(その1)

奈良の夏の終わりのイベント、バサラ祭りを見に行った。バサラとは、中世に流行した、規格外れで目立つことを美とした派手で粋なスタイルである。2011年のテーマは、「命」と「絆」で、東北大震災との連帯を意図されていた。「このようなときだからこそ、キラキラと輝くために絆を胸にかかげ」と、パンフレットに書かれていた。
                東大寺や薬師寺でも奉納演舞があったが、江雄は三条通で見た。初めて見たが、「百花繚乱」「自由奔放」「天衣無縫」などの四字熟語が次々に浮かんできたほど、個性豊かな踊り隊ばかりであった。
                その中のいくつかを紹介する。
                県庁 伐折羅
               
                IFCラビッツ
               
                せいびっ子SMILE
               
                花蔵
               
                木津今村組・・江雄の地元なので写真が多くなりました!!
               
               
                奈良今村組
               
                team 華
               
                デッシー・ユルデュース・スクール
               
               

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大阪平野郷を歩く

平野郷は大戦の戦火に遭わなかったので、昔の面影が至る所に色濃く残っていた。
関西線の加美駅で下車。
菅原神社。善正寺。

平野郷屋敷。現在はがんこ寿司が営業している。

奥田邸。広大な敷地である。

平野川添いを通り、平野公園へ。河内音頭の碑があった。

商店街には懐かしい風景があった。

全興寺。

左の石穴に頭を入れたら、地獄の釜の音が聞こえるらしい。江雄は、残念ながら聞こえなかった。右は、昔の井戸水をくむポンプ。

境内には、小さな駄菓子屋さん博物館があった。昔の駄菓子のおもちゃがいっぱいあった。懐かしくて見入ってしまった。



長宝寺。ひょうたんの手水が珍しかった。

うどん屋できつねうどんを食べた。2枚、あげが入っていた。

古い家の中にパン屋があった。若夫婦ががんばっていた。土産にする。

大念仏寺。明治時代に焼失し、昭和13年(1938)に再建。大阪府内最大の木造建築。

経蔵。圓通殿。

幽霊博物館として、7月に幽霊の掛け軸や「亡女の片袖」が公開される。

杭全神社(「くまた」と読む)。

鎌倉時代に建立され、大阪市内最古の建造物。

平野郷には旧家が数多くあった。

平野駅から乗車して、奈良に行く。

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大阪上町台地散策

残暑厳しい中、大阪上町台地の寺町界隈を散策した。上本町駅で降り、藤次寺に行く。秘仏如意宝珠融通尊は戦争の災禍を逃れ、「融通さん」として親しまれている。布袋尊の柔和な表情が素敵だった。

生国魂神社。大阪最古の神社で、「いくたまさま」と親しまれている。

境内にはいろんな神社が祀られている。
浄瑠璃神社。近松門左衛門をはじめとした文楽の先賢を祀る。有名な「曽根崎心中」は、この境内が舞台である。
右は鴫野神社。淀君が篤く崇敬していたという。

城方向(きたむき)八幡宮。大阪城の鬼門の守護神として鎮祭される。

芭蕉がこの神社で詠んだ句。「菊に出て奈良と難波は宵月夜」元禄7年9月9日。1ヶ月後に南御堂で客死する。

寺町の名の通り、お寺が数多くある。大阪城を築くとき、上町台地を南の防衛を兼ねてお寺を集めたという。何故かわからないが、周りにはラブホテルが多かった。

太平寺。十三参りで有名な寺である。13日は虚空蔵菩薩の縁日で、13才になった子供が、智福の授与を祝ってお参りする。

ネパールから贈られたマニ車。

口縄坂。下から見ると、口縄に似ているので命名された。「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。」織田作之助

清地蔵(陸奥宗光の娘を祀る)。藤原家隆墓。「契りあれば浪速の里に宿り来て波の入り日を拝みつるかな」この歌から、この地を「夕陽丘」という。

愛染かつらで有名な愛染堂。

秀吉により再建された、多宝塔。「愛染かつら」男女の縁を結ぶ霊木である。

大江神社。狛犬では無く、狛虎があり、タイガーズファンが優勝を祈願していた。

清水坂。墓地募集のポスターは超派手やった!!

清水寺京都のに似せて舞台があり、通天閣がよく見えた。

玉出の滝。市内唯一の滝。

一心寺。仁王門は超現代風。

四天王寺。聖徳太子が建立した日本仏法の最初の官寺。

伽藍配置は「四天王寺式」と呼ぶ独特なもの。

竹本義太夫の墓。

七福神石像。


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2011年8月20日 (土)

春日奥山を歩く(最終回)

春日奥山の遊歩道を経て、柳生街道を歩く。
街道沿いには巨樹が多い。

首切り地蔵。古くからこの街道の目印となっていた。荒木又右衛門が試し切りしたという伝説がある。


柳生街道は、江戸時代にはその名の通り、柳生の道場を目指す剣豪たちが往来した。

江戸時代中期頃に奈良奉行により石畳が敷かれた。

春日山と高円山との山あいを通る。

朝日観音。東面して朝日に映えるので、この名がある。観音ではなく、真ん中は弥勒左手が地蔵である。文永2年(1265)の銘が刻まれている。

近鉄奈良から柳生まで約21キロある。

夕日観音。夕日を受けると、神々しさが更に増す。弥勒信仰が盛んだった鎌倉時代の作。

明治の初め頃まで、柳生と奈良を牛馬が荷物を積んで往来していた。

寝仏。大日如来が横になっておられる。室町前期の作。

時々、谷川に足をつけて、休憩した。

新薬師寺のそばに出て、上の禰宜(ねぎ)道を通り、春日大社に行く。

境内には、イチイガシの巨樹の群れがある。

雨が降り出し、駅まで急ぐ。3万歩を超えていた。

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春日奥山を歩く(その2)

春日奥山の原始林の中を歩いた。

お地蔵さまがおられた。

斜めの木が、春日奥山で最大の山桜。

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春日奥山を歩く(その1)

JR奈良駅で下り、猿沢の池を過ぎ、国立博物館へ行く。

特別展「天竺へ」を観賞する。玄奘三蔵が天竺(インド)へ仏の教えを求めて旅をした、それを絵巻物にした「玄奘三蔵絵」を展示していた。

旧奈良県物産陳列所(仏教美術史料研究センター)。明治35年に竣工。平等院の鳳凰堂を思わせる優美な姿である。博物館そばにあるが、観光客はほとんど知らない。

東大寺を過ぎる。鹿が僧の掃除を見ていた。

若草山に登る。

曇天であったが、汗がしたたり落ちた。

興福寺・東大寺が眼下に見える。

若草山は標高342メートル、三段重ねの山である。

頂上付近に、鹿が群れていた。

頂上へのぼる。

頂上から江雄の住んでいる地が、はるか遠くに見えた。

望遠レンズに取り替える。我が小家まで見えた。

春日奥山に入る。

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2011年8月15日 (月)

高松・観音寺を訪ねて

盆休みの帰省中に、青春18切符で高松方面に旅をした。珍しく一人では無く、兄と一緒であった。
坂出駅から瀬戸大橋を渡る。

瀬戸内海。

高松に着く。アンパンマンがいっぱいいた。

玉藻公園(史跡高松城跡)

堀には海水をひいているので、鯉ではなく黒鯛が泳いでいた。

初代藩主の松平頼重は、徳川家康の孫で、水戸黄門の実兄である。

月見櫓は延宝4年(1676)頃に完成した。上層から見た風景。

披雲閣は、藩の政庁及び藩主の住居として使われていた。

老朽化して、大正6年(1917)に再建する。

ど根性松。岩の亀裂に根を下ろして成長する。樹齢約17年。大松になれるだろうか。

宇高連絡船資料館

サンポート高松の展望タワーから。左は男木島・女木島。右は屋島。

讃岐手打ちうどんを食べる。さすがに本場は違う。2玉食べた。

高松から観音寺へ行く。途中の瀬戸内海がきれいだった。

炎天下、琴弾公園まで約2キロ歩く。
琴弾山頂から有明浜を望むと、銭形が見える。「寛永通宝」の銭形は、東西122㍍南北90㍍周囲345㍍もある巨大な砂絵である。

この銭形を見れば、お金に不自由しなくなると言われている。

第68番札所[神恵院(じんねいん)]
琴弾八幡宮の本地仏を西金堂に移し、神恵院とした。

第69番札所[観音寺]
大同年間(803年)に、弘法大師が当山7世住職のときに、本尊聖観世音菩薩を安置して、観音寺とする。

四国霊場唯一の、1寺2霊場となっている。

観音寺駅の売店で缶ビールを買い、帰りの道中、兄と飲酒する。これも一人では絶対しないことである。
岡山駅からは帰省客が多くて、しばらくの間座れなかった。福山駅に着き、大衆食堂の稲田屋に寄る。
ここの名物の関東煮と肉皿を肴にして、大ジョッキを傾ける。その後、日本酒。関東煮(スジとも言う)11本平らげた。

店を出ると、二上り踊りの隊がやって来た。

三味線の二上がりを基調に、胡弓や尺八、太鼓を合奏して、ステップのたびに四つ竹で拍子を取りながら踊る。

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2011年8月13日 (土)

九州横断(4日目)

青春18切符を使い、3泊4日の九州横断の旅をした。
昨夜は佐賀に泊まり、早朝に佐賀の町を歩いた。
龍造寺八幡宮。鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀る。

境内には、恵比須が祀られていた。

佐賀市内には803体の恵比須が祀られていて、日本一である。
釣り竿と鯛のスタンダードなものから、踊ったり笑ったり、二人組だったり、千差万別。
城跡に行く道にも祀られていた。

鯱の門。天保9年(1838)に10代の鍋島直正が築造。

佐賀城本丸歴史観。木造復元建物としては日本最大規模である。360畳の広間もある。

佐賀レトロ館。徴古館。

佐賀神社。社前には巨大なカノン砲が置かれていた。

長崎街道にある八坂神社。旧古賀銀行(佐賀市歴史民族館)。

大楠。樹齢800年。高さ60尺、直径18尺。大隈重信はこの木の下でよく遊んだという。

旧古賀家

旧牛島家。旧三省銀行。

長崎街道の恵比須さん。

七福神の中で、唯一の日本出身。座右の銘は、「釣りして網せず(一網打尽は狙わない」。願い事は、「商売繁盛・財運招福などあまた」。モットーは「いつもにこにこえびすさま 笑う門には福来たる」

大隈重信の旧家。

旧福田家。

武家屋敷の門。松原神社。

松原神社の大楠。

松原恵比須社。

カッパ達もいた。

佐賀を後にする。吉野ヶ里遺跡を窓外に見る。長崎本線で小倉へ。

門司駅。

下関駅。

岩国駅。右の電車は、錦帯橋行き。

3泊4日の九州横断の旅が終わった。近畿圏からはやはり遠かった。新幹線で行けば早いのだが、青春18切符で鈍行列車に乗って、ゆったりと旅をするほうが自分に合っているような気がする。

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2011年8月12日 (金)

九州横断(3日目)

青春18切符を使い、3泊4日の九州横断の旅をした。
別府温泉雄露天風呂に、早朝はいる。この温泉は、57.2度Cで、毎分77ℓ湧き、無色透明無味無臭であった。

ラクテンチラクテンチ方面に向かって歩く。

街中の至る所に、温泉があった。源泉が吹き出ているのには驚嘆した。

熱湯は、触ることのできない熱さであった。

別府温泉は、由布岳や鶴見岳などの火山群に、多量の雨水が染み込むことで豊富な温泉が創り出される。

別府湾を遠望する。

観海寺温泉方面を遠望する。

別府公園

べっぷアリーナ。田の湯温泉(市営で100円の入湯料)

べっぷ駅市場を通る。

日豊本線で大分まで行き、豊肥線に乗り換える。

豊後竹田に着く。滝廉太郎の「荒城の月」で有名である。

波野駅。754㍍あり、九州で一番高い所にある高原駅である。

宮地駅に着く。

背後に阿蘇が見える。

時間が無く、阿蘇神社に行けず。門前町の水基巡りをしたかった。
駅前に水基があった。

いよいよ阿蘇の山々が見えてきた。

ただただ圧倒された。

次回は登山したい。

阿蘇駅。

立野駅のスイッチバック。

熊本駅

鳥栖駅

佐賀駅に着く。

3泊目は佐賀市にて宿泊。

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2011年8月11日 (木)

九州横断(2日目)

青春18切符を使い、3泊4日の九州横断の旅をした。
2日目の早朝5時過ぎ、湯田温泉から山口の市街へ約3キロ歩く。
熊野神社。

山口ザビエル記念聖堂(ザビエルの山口来訪400年記念の教会が焼失して、再建される)

県立美術館・博物館

D60形式1号機関車。パークロード(日本の道百選の一つ)。

旧山口藩庁門(元治元年1864に萩から山口へ藩政の本拠地を移す為建設した山口政事堂の表門として築造される。)高杉晋作や伊東博文たちがこの門を往来したのであろう。

旧県庁舎及び県会議事堂

また湯田温泉まで歩き、温泉に入り朝食をとる。

新山口駅。下関駅。

小倉駅。

中津駅(日豊本線)。

宇佐駅。周辺の山々。

別府駅に到着。

駅前の手湯につかる。

べっぷ駅市場で夜食を買い求める。

公民館で発見したものは・・・。空襲警報のサイレンだった。

駅前高等温泉。

竹瓦温泉。

北浜ヨットハーバー。別府湾。

海門禅寺のクロマツ。樹冠は、西10㍍北13㍍の拡がりを持つ。
背後に別府タワーが見える。

糸竹地蔵尊。孝行芸者の糸竹が別府湾に投身した、その菩提のために建立。

山の方には温泉の煙が・・・。湯布岳がかすかに見える。

ホテルの温泉にある露天風呂に入る。まだ時間が早く、独り占めしてしまった。

2泊目は、別府温泉に宿泊。

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2011年8月10日 (水)

九州横断(1日目)

青春18切符を使い、3泊4日の九州横断の旅に出た。
加茂を6時過ぎに出発した。東海道線・山陽線で、尾道・三原を過ぎた。

広島駅。岩国駅。

周防大島を見て、柳井に着く。

新山口(おごおり)駅に着く。駅前に、山頭火の行乞の像があった。

山口線に乗り換え。5時過ぎに湯田温泉に着。巨大なきつねが迎えてくれた。

11時間の列車の旅は、さすがに疲れた。早速足湯につかる。

湯田温泉は、美肌の湯として知られている。72度Cの天然温泉である。

むかしむかし白狐が傷を治すために入っていたところを和尚に発見されたという伝説がある。

湯田温泉とゆかりのある著名人は、日本のランボーと言われる詩人・中原中也である。

「これが私のふるさとだ さやかに風も吹いてゐる ああおまへは何をして来たのだと 吹き来る風が私にいふ」 

「しののめの よるのうみにて 汽笛鳴る こころよ 起きよ 目を覚ませ
しののめの よるのうみにて汽笛鳴る 象の目玉の 汽笛鳴る」

それからもう一人、山頭火。江雄は30何年前の大学の卒論で、彼らたちの作った自由律俳句を取り上げた。本当に懐かしい思いがした。
「ちんぽこも おそそも湧いて あふれる湯」

「ほろほろ酔ふて木の葉ふる」

何遠亭跡(勤皇の志士たちが集まり、維新回天の相談をした。)井上馨像。

一日目は、湯田温泉に泊まる。

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2011年8月 7日 (日)

熊野古道伊勢路【三瀬坂峠】3日目

昨日と打って変わって晴天。しかも猛暑。
紀勢線に乗る。三瀬谷ダム。

三瀬谷駅で下車。

ダムからの放水は、昨日の雨の影響か、かなり濁っていた。宮川。

左の清流は大内山川。

熊野古道の標識が随所にあり、ありがたい。

多岐原神社。そのすぐ先に、三瀬の渡し跡。対岸に滝があった。

昨夜来の雨で、宮川が濁っていたのが残念。

三瀬坂峠を目指す。

急坂のつづら折りが続く。やはり、ここにも石畳。

古道の脇に流れるせせらぎ。のどを潤した。
三瀬坂峠。石室の中に、地蔵[宝暦6年(1756)]が祀られていた。

三瀬坂峠ため池。三瀬坂を下り、約2キロ歩くと、滝原宮。

滝原宮。伊勢神宮の別宮で、荘厳で神秘的な雰囲気だった。

杉の大木が数多くあった。

周辺には旧家が多かった。

大内山川を渡る。清流に見とれてしまった。

鮎の宝庫である。

滝原駅。

3日間で、約8万歩約50キロ歩いた。
さすがに疲労困憊で、街道脇の水飲み場で、帽子を置き忘れてきてしまった。

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2011年8月 6日 (土)

熊野街道伊勢路【逢神坂峠道】2日目

紀勢線に乗る。途中、紀伊長島で待ち合わせが30分あったので、周辺を歩く。
               
               
               
                太平洋が見える。
               
               
                二木島で下車。
               
                雨が激しく降ってきた。
               
                眼下の二木島湾が、雨でかすんでいた。
               
                二木島峠を目指す。
               
               
                伊勢路の特徴は、苔むした石畳である。この石畳は、江戸時代に紀州藩五代吉宗(八代将軍)が整備したものという。
               
               
                二木島峠(240㍍)
               
               
                二木島峠を下るときには、雨が上がった。
               
               
               
                逢神坂峠(290㍍)
                伊勢の神と熊野の神とが、この地でお逢いになるということで命名された。
               
                この付近には狼が出没したらしく、この峠に「狼茶店」があったらしい。
               
               
               
               
               
                新鹿に出る。
               
                新鹿海水浴場。日本海水浴場百選の一つ。しばらく泳ぎ、ほてった体を冷やした。きれいな貝を拾った。
               

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2011年8月 5日 (金)

熊野古道伊勢路【女鬼峠】(1日目)

紀勢線の佐奈駅で下車する。
佐那神社。天手力男命をお祀りする。

夫婦杉。嘉永3年、今から約180年前に植えられたということだ。

河武酒造。「鉾杉」の銘柄で、安政4年(1858)より醸造を始める。

獅子舞を奉納されていた。

幼少時代、この獅子を怖がって逃げ隠れていた。

五桂池。周囲3.75キロある。寛文12年(1672)約7年の歳月をかけて築造された。そのほとりに、ふるさと村がある。おばあちゃんの店では、とりたての野菜や草花を売っていた。


まごの店。「高校生レストラン」で一躍有名になった。相可高校調理クラブが運営している。営業日には行列ができ、250食が完売ということである。この日は、残念ながら営業せず。


熊野街道は、紀伊路(京から西回り)と伊勢路(伊勢から東回り)があった。この女鬼峠は、伊勢を出て熊野を目指す、その最初の峠である。

荷車の轍。

石畳。

女鬼峠。
磐を掘り割って作られた。

展望台。獅子が岳・七洞岳んだど、700㍍級の山々がよく見えた。

名号碑・如意輪観音像。祠の中の像には元文3年(1738)と刻まれている。)

山水でのどを潤した。美味しかった。

山を下り、宮川に沿って歩く。日本一の清流と言われるのも納得した。

背の高いお地蔵さまがおられた。

宮川。大台ヶ原の原生林を源として、名水百選でも常に上位に選ばれる。


養蚕室。この地、千代は養蚕が盛んであった。家の上にあるのは換気棟で、蚕が育ちやすいように温度や湿度を調整した。

柳原観音(やないばらかんのん)。大祭には飛渡日渡りや紫灯護摩が行われる。

元坂酒造。文化2年(江戸時代後期)八兵衛が、この地で酒屋を始める。宮川の伏流水を仕込み水としている。

「酒屋八兵衛」本醸造生酒を買い求め、帰りの車中で飲み、瞬く間に空になった。

街道筋で見た花や蝶。


35000歩を越えていた。

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