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2011年9月

2011年9月25日 (日)

そばの花まつり野外コンサート

そばの花祭りが、中津川市椛の湖で行われた。
野外コンサートに、我夢土下座が出演するので見に行った。これが今回の旅のメインである。
恵那山を背にして、そばの花が一面に咲いていた。

間宮氏によれば、開花が遅れて花も細いという。

ようやく待ちに待った我夢土下座が登場した。
我夢土下座の曲は、フィールドフォークの神髄である。自然に支えられ見守られながら生きる人間たちの生き様を、さまざまに歌っている。
1曲目「海に向かって」
大震災の被災者たちと共に、精一杯歩んでいこうとする間宮氏の思いが切々と伝わってきた。

2曲目「山にて眠り河にて眠る」細田氏自身が旅人のようであり、人生の奥深さを感じました。

3曲目「この素晴らしき世界」杉浦氏のハーモニカ演奏は、浪漫溢れるものであり、思わず聞き入りました。

4曲目「うまい酒を飲もうよ」ご存じ間宮氏の得意中の歌であり、「小野桜」の紹介もありました。頸椎が早く良くなってほしいです。

5曲目「秋の麒麟草」杉浦氏のの澄み切った歌声が、秋空に吸い込まれていきました。

バンドマスター田口氏。田口氏は我夢土下座の曲の殆どを作られており、詩情溢れるすばらしい曲ばかりである。その歌声も切れがありハスキーで、本当に素晴らしい。今回歌をお聴きしたかったのですが、全体をまとめるばかりで、歌われませんでした。次回ぜひ歌ってください、宜しくお願いします。

我夢土下座の曲は、そばの花の純朴な精が乗り移ったようだ。

演奏が終わっても、立ち去りがたかった。そばの花をいつまでも見ていた。

土産は、もちろん山内酒造所の「小野桜」。そば入りのからすみも買った。

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龍神の滝

中津川市の夕森公園に行くと、カモシカが迎えてくれた。

ここのバンガローで一夜を過ごす。

龍神の滝を見に行く。

今でも、白龍が森を守っているという。

滝の下流。

川上(かわうえ)川で鱒釣りをした。

釣果は、鱒が10数匹。ヤマメも一匹。

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2011年9月24日 (土)

南木曾田立の滝(その2)

田立の滝のメインは、天河滝。滝の迫力と美しさに、全く圧倒されてしまった。

天河滝。の上流にも、多くの滝があった。


頂の岩が間近に見えてきた。

そうめん滝。

やっと頂の巨岩に到着。リンドウが優しく迎えてくれた。

頂からの風景。

木曽川がよく見えた。(望遠レンズ)

椛の湖もよく見えた。明日、蕎麦の花野外コンサートが行われる。

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南木曾の田立の滝(その1)

南木曾町にある田立の滝を訪ねた。田立の滝は、明治まで入山禁止であり、雨乞いをする神聖な場所だった。明治44年(1911)に山道ができ世に知られ出した。田立の滝は、らせん滝や天河滝などの瀑布の総称であり、日本名滝100選の一つである。。
せせらぎの音が聞こえる山道を歩く。
「しし岩」に到着。この巨岩まで猪を追いつめたところ、猪は急に消えてしまったという。、

山道を再び歩く。
巨岩の上に、5本のサワラの木が立っていた。木の生命力の強さを思った。石の上にも300年である。

らせん滝。

らせん状に水が落ちていた。

山道を歩く。頂の巨岩が目に入った。あそこまで登る予定。

霧ヶ滝。

霧がかかったみたいに、飛沫が散っていた。汗がすぐひいて、快かった。

天河滝。

高さ約40メートルあり、大岩壁を水は踊っていた。

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2011年9月23日 (金)

卑弥呼の里を訪ねて(おわり)

大和神社には祖霊社があり、大国主命のほか、戦艦大和と運命を共にした英霊たちも祀られている。

戦艦大和にちなんだ模型や絵が展示されていた。

天理教の教祖生誕の地。庄屋さんであったようだ。



松尾芭蕉の句碑があった。
「草臥(くた)れて宿からここや藤の花

秋空をゆったり眺めた。大和の山々を飽くことなく眺めた。

川端にある石仏、にきれいな花が供えられていた。。

丹波市。旧街道を歩く。

酒蔵。

白壁は、秋空によく似合う。

天理から乗ったまほろば線の電車には、万葉歌人の歌が書かれていた。

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卑弥呼の里を訪ねて(その4)

大和神社を訪ねた。
大和大国魂大神(おおやまとおおくにだまのおおかみ)を祀る。

秋分の日には、秋の大祭が行われる。紅しで踊りが奉納される。

紅しで踊りは、今回の旅のメインである。

干ばつに苦しむ農民が同神社に雨乞いしたところ、願いが叶い豊作となり、その感謝の気持ちとして踊りを奉納したことが始まりである。
本殿の前に、この祭の絵画が掲げてあった。

大正時代に一時途絶えていたが、1955年代に地元の住民が復活させた。



地元の園児も参加していた。



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卑弥呼の里を訪ねて(その3)

長岳寺を後にして、山の辺の道を歩く。
ミカンはまだ青かった。

柿本人麻呂の歌。「衾道(ふすまじ)を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし」 

人麻呂は、山の辺の道の辺りを詠んだ歌を多く残している。
道端には石仏がおられた。

いろんな表情をされている。

念仏寺。

やはり左の古い石仏の方が、江雄は好きだ。右の新しいのは味気ない。

大和神社御旅所

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卑弥呼の里を訪ねて(その2)

山の辺の道を歩き、長岳寺へ行く。大和神社の神宮寺として、弘法大師が創建した古刹である。

左の楼門は、弘法大師が当寺創建当初の唯一の建物であり、日本最古である。

拝堂。

鎌倉から江戸にかけての石仏が、数多くある。

萩の花を見ると、秋が来たことを感じる。

地蔵院。当山48ヶ坊あった塔中のうち、唯一残ったもの。室町時代の書院作りの様式。

室町時代の面影を残す庭園。
弥勒大石棺仏。古墳の石材を利用して、鎌倉時代に作られる。穏やかな表情をされていた。

石仏たち。苔も美しい。



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卑弥呼の里を訪ねて(その1)

まほろば線の巻向で下車。箸墓へ行く。

卑弥呼の墓と言われる。全長280メートルの前方後円墳。後方が万葉集によく出てくる三輪山。

山の辺の路を歩く。曼珠沙華が咲いていた。

景行天皇陵。全長300メートルの前方後円墳。丘陵の先端を利用して作られている。

役目を終えた案山子。

秋らしい風景が随所にあった。台風15号が去り、急に涼しくなった。

崇神天皇陵。同じく丘陵の先端を利用。天皇陵としては最も古いとされる。

周囲に堀が巡らせてある。

遠くに見えるのが二上山。稲穂がよく実っていた。

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2011年9月18日 (日)

岸和田だんじり(おわり)

JR高架近くの岸和田駅南交差点で、やりまわしを見物した。華は、大工方だけではなくそれぞれの役回りの人一人一人であると思った。

中町





堺町







毎年、見物人は55万人を超える。NHK連続テレビ小説「カーンーション」がはじまるので、来年はもっと人出が多いことだろう。

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岸和田だんじり(その4)

やりまわしは、演ずる側も見学する側も危険である。曲がりが緩くて、ガードレールにぶつかったのを目撃したことがある。さいわい、ぶつかる前にだんじりを離れガードレールを跳び越えたので、その人は怪我をしなかったが、少しでもタイミングが遅れると、挟まれて大けがをしていたことだろう。
制御役の前テコと舵を取る後テコのタイミングが難しいが、どの町のだんじりも、見事に呼吸が合っていた。

下野町のやりまわし。






南上町




大手町



江雄は大工方を一回やってみたいが、バランス感覚が悪いので転落するであろう。【だんじり会館】で、大工方の体験ができるので、一回挑戦してみたい。

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岸和田だんじり(その3)

少しパレードのコースを外れてみた。
岸城神社。15台のだんじりが宮入する。

岸和田城

五風荘

だんじりの女子の髪型

鳴り物。青年団から5名選出される。篠笛(二管)、大太鼓、小太鼓、鉦。

子供たちの表情が最高に良かった。


川端筋を下がり、岸和田駅南交差点で見学した。ここでも、やりまわしが見られる。
北町



上町


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岸和田だんじり(その2)

半被は町ごとで異なり、だんじりも微妙に違う。それ以上に、町ごとに全体の雰囲気が違う。遠くからどの町かすぐわかるようになりたいものだ。
川端筋で見物。
南上町




紙屋町

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岸和田だんじり(その1)

岸和田だんじりは、元禄の頃に始まり、およそ300年の伝統を誇る。ダイナミックで華麗なこの祭は、ぜひ世界遺産に登録してほしいと思う。
岸和田の駅前通商店街のアーケードの下を疾走するだんじりは、勇壮でスリル感があり、ほんまにわくわくする。観客が両側にたくさん居て、更に狭くなっている所を、すさまじい勢いで駆け抜ける。

筋海町


五軒屋町


カンカン場で見たいのだが、人が多すぎるので、穴場を探した。
本町。頭の上の飾りが可愛かったが、奇抜すぎて・・・。

五軒屋町交差点で見る。
並松町


大北町


中町


大手町


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2011年9月17日 (土)

岸和田のだんじり(春木地区)その1

急スピードで直角に回るやりまわし、それをみごとにやってのける各持ち場の晴れやかな顔、「そーりゃ そーりゃ」の明快なかけ声と鳴り物、大屋根の上で大胆に舞う大工方。他にも、「だんじき」の魅力はかききれないくらいある。はまってしまった江雄は、毎年岸和田を訪れる。
春木と岸和田の二カ所で行われる。春木では、17日の午前の曳行で13台がパレードする。 
春木地区のだんじりが宮入りする、弥栄神社。


大小路町



若松町


中町


宮本町



旭町


松風町


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岸和田のだんじり(春木地区)おわり

春木駅に向かって歩いていると、若松町のだんじりが留まっていた。子供たちが遊んでいたが、これから一生だんじりとつきあっていくのだろう。

あまり知られていないのが、だんじりの彫り物である。彫り物の種類は、人物や霊獣、花鳥等々数限りない。物語の名場面も彫られており、これほど細微に渡るまで細やかに彫刻されているのは、だんじりくらいであろう。




雨が少し降ってきたので、大屋根にシートをかけていた。


春木駅前でしばらく見る。
八幡町


松風町



だんじり髪型(左)なぜか、女の子たちはこんな髪型をしている。これも伝統なのであろう。大工方(右)はだんじりの華であるが、疾走時ややりまわしの時など、怖くは無いのだろうか。「飛行機乗り」や「二変飛び」などの華麗なパフォーマンスも魅力である。

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岸和田のだんじり(春木地区)その2

町では、子供からお年寄りに至るまで各年齢層ごとに役割が決まり、その責務を果たすことでだんじりが運営されている。また、年番や若頭連絡協議会など、各町の代表者たちが連帯している。縦の系列と横の系列が見事に組み合わさり、その一体感がだんじりの魅力であろう。観客もその一体感のいくらかを分けていただける。やりまわしを見終わった後、満足した清爽な気分になれる。

本町



大道町



八幡町



大国町


磯之上町



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2011年9月12日 (月)

采女祭り(奈良市)

仲秋の名月の日(9月12日)に、奈良市で采女祭りが行われた。采女(天皇の日常の世話をする女房)が、天皇の心変わりにより猿沢の池に身を投じたという物語に基づく。

夕方5時に、JR奈良から三条通りを通り猿沢の池まで、花扇奉納行列が行われた。
同じ通りで行われたバサラ踊りとは大きく雰囲気が違っていた。厳かで由緒ある行列だった。
ただ、残暑の厳しさは変わりなかった。そろそろ涼しくなってもいいのだが。

花扇とは秋の七草で美しく飾られた扇で、この祭りのシンボルである。このことから、この祭りを「花扇祭」とも呼んでいる。


十二単(じゅうにひとえ)の花扇使。

福島県郡山市から来られたミスうねめたちは、御所車に乗っておられた。

福島県郡山市から使節団が来られていた。奈良市と姉妹都市を結んでいる。郡山市にも「采女伝説」があり、夏の風物詩となっている。この夏も、震災復興を願い、例年通りの規模で祭をしたという事である。

福島県郡山市に伝わる采女伝説は、もっと悲惨である。凶作の危機を救うために采女となり、許嫁の失恋した男性が滝に入水した。采女は仲秋の名月の夜、宮中を抜け出し十二単を池の柳に打ちかけ、故郷に帰ったが、許嫁はすでに死んでいた。男は、女と同じ泉に入水した。

天平衣装をまとった女性たちの笑顔が美しかった。

笛や笙、太鼓などの鳴り物入りであった。

お稚児さんたちは可愛かった。



外人さんも官女姿で参加されていた。

行列が着く前に、猿沢の池に行った。いつもと雰囲気が違い、祭の前の静けさと賑やかさがあった。

龍と鳳凰の舟が二艘。

采女神社は采女を慰霊するために建てられた。鳥居に対して社が後ろ向きに建っている。入水した池を見るに忍びず、そうなっていると言うことだ。

6時より花扇奉納神事が行われる。

空には満月が浮かび、花扇使や稚児たちを載せた舟が、篝火の焚かれた猿沢池を周回する。池の中心に花扇を浮かべ、それを岸まで誘導する。

私用があり、神事は見ずに猿沢池を後にした。

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2011年9月11日 (日)

涼を求めて【洛北探訪】おわり

洛北からの帰途、三条の村山造酢に寄った。繁華街のすぐそばにあることに驚く。京は地下水に恵まれていることを実感した。建物周辺には、酢の香りが漂っていた。

白川。

白川近くに、骨董街がある。

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涼を求めて【洛北探訪】その2

松ヶ崎より更に北上した。比叡山が間近に見えてきた。

宝ヶ池。緑がかった色をしていた。

国立京都国際会館。世界的な会議が行われる。

深泥池(みぞろがいけ)。貴船の奥に住むという鬼の出入り口と言い伝えられた場所である。洛北に来たときは必ず寄る場所で、この池のそばに来ると、何故か落ち着く。

トンボたち



ハナたち

妙満寺。仏舎利大塔は、インドのブッダガヤ大塔をかたどる。

比叡山を借景としている。

円通寺。岩倉までは観光客は来ず、隠れ寺の感がした。

屋根上の苔がきれいだった。

高野川を南下する。「法」の字が遠ざかった。


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涼を求めて【洛北探訪】その1

残暑厳しい猛暑日の中、洛北方面に涼を求めて彷徨った。
高瀬川沿いを北上する。左の写真は細い木の橋で、一人しか渡れない。右の欄干付きの橋よりも、よほど風情がある。

先斗町歌舞練場。師匠らしき人が、入場されようとしていた。

市立銅駝高校南側には、地下水の蛇口があった。梨木神社の染井と同じ水源であるということで、非常に良質な水である。このような地下水が、都の食文化を支えたのだろう。観光客の知らない、穴場中の穴場である。冷たくて何杯もお代わりした。

鴨川に、鷺の親子がいた。

出町柳を過ぎ、妙音堂へ。弁財天が本尊で、京都七福神の一つである。

下鴨神社の糺(ただす)の森。ここは涼感たっぷり。

高野川。背後には、松ヶ崎妙法の「法」の字が見える。

比叡山にだいぶ近づいた。

高野川沿いに、ノーベル賞受賞者の福井謙一の研究センターがあった。

松ヶ崎大黒天。大黒天が本尊で、京都七福神の一つである。

背後の山において、盂蘭盆会で妙法の「法」の送り火を点ずる。

白雲稲荷神社。「たなびかぬ時こそなけれ秋もまた松ヶ崎より見ゆる白雲」紀貫之

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2011年9月 4日 (日)

第21回 相楽合唱祭

あじさいホールで行われた。バレーの練習を終えていったので、すでに始まっていた。
「相楽の合唱団が集い、交流し、練習の成果を発表する場」とパンフレットにあった。「東日本大震災に、歌うことで復興に向けてのエールを送りたい」という趣旨に、江雄は全く賛同する。
夕刻より用事があったので、三分の一くらいしか聞けなかったけど、老若男女の音楽に寄せる愛着がひしひしと伝わってきた。
ほとんどが女性たちであり、男声グループはわずか1団であったのが、同性として少し寂しいと感じた。男性よ、もっと元気を出そう。江雄は、歌はあまり上手では無いが、機会があったら入団してみたいなぁと思った。

【団名】 「歌われた曲名」

【アルページュ】「学生街の喫茶店」など

【コスモス】やなせたかし作詞「ひばり」など

【グリーン茶々】「世界の約束」など

【山城少年少女合唱団】「すてきな友達」など

【やまなみコーラス】「母の手」など

【コーラス華】「てっせん・どくだみ」など

【ゆーゆー男声合唱団】「なくなくな わらんべ」など

【精華町少年少女合唱団】「また あいたくて」など

今秋に、国民文化祭が京都で行われ、精華町では全国から少年少女合唱団が集うそうである。

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2011年9月 3日 (土)

生水の郷 針江 〔おわり〕

琵琶湖は、針江の人たちのように水を大切に生活の基盤とすることによって、その美しさが守られてきたのだろう。

針江の人たちは花が好きで、石像に花が供えられていた。。

生水(しょうず)をいつまでも守っていただきたい。針江生水の郷委員会があり、いろんな活動がされている。針江の案内も1000円でしてくださるので、お願いしてほしい。。

この清流はいつまでも残してほしい。そして、梅花藻が育つことを祈る。

水のありがたさを、改めて感じる旅であった。

堀川には、50センチ以上の鯉が何匹も泳いでいた。

家並みもしっとりとして落ち着きがあった。


川島酒造。創業140年の歴史がある。


生水(しょうず)を仕込みに使われている。

試飲を4種類させていただいた。やはり「松の花」大吟醸はうまい。

「松の花」本醸造 生原酒」を買い、リュックに担いで持て帰った。1升2300円である。家に帰って夕食に早速飲んだが、仕込み水が良いからか香り豊かで美味しかった。

新旭駅前の店で遅い昼食をとった。店の主人は話し好きで高島市周辺の観光名所を教えてくださり、更に天ぷら大盛りもおまけしていただいた。様々な漬け物は食べ放題であった。

台風のために大幅にダイヤが乱れていたが、強風や大雨による被害はあまりなくて幸甚だった。
今回は、水のありがたさを実感する旅であった。

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生水の郷 針江 〔続々扁〕

琵琶湖西岸の新旭町にある、生水の郷 針江。生水は比良山系からの伏流水で、水を大切にして、水と共に生活をしておられる。

正傳禅寺のそばの堀川には、梅花藻の群れがあった。冷たい清流にしか生えない梅花藻が、小さい可憐な花を咲かせていた。
長く足を漬けられないほど、水は冷たかった。

米原市の醒ヶ井という所にも行ったことがあるが、この針江の梅花藻の群れは規模が小さい。もう少し増やす試みをしてみたらどうであろうか。

醒ヶ井と比べて、多少水温が高いのだろうか。

正傳禅寺。寺前の池からも、水が湧いていた。

池には悠々と鯉が泳いでいた。

境内の湧き水。15度と表示されており、何度もお代わりした。

日吉神社。ここにも巨樹や石造物が多かった。

境内の湧水・宝塔(鎌倉時代)

至る所に湧水があり、そのまま飲めるというのが、本当に素晴らしいことなのだと思った。

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生水(しょうず)の郷 針江 〔続編〕

生水の郷 針江。比良山系からの豊富な生水がこの地に湧き出て、生水と共に生きる姿が見られた。

各家庭によって、さまざまな「かばた」がある。
「かばた」とは、まず湧き水として利用し、次に壺池に貯められ、あふれ出た水は端池で洗い物をするという、浄化のシステムをいう。

「かばた」は水と共に生きる針江の人たちの、昔からの大切な知恵である。

エコブームのずっと以前から、この地では生活の中に自然と位置づけられていた。現代風の「かばた」もある。

飼われている鯉が、洗い物のかすや残飯などを、きれいに食べてくれる。

金魚も飼われていた。

すっぽんもいた。

生水の郷 針江から学ぶことが多かった。水は人の生活の基盤にあるのだとつくづく感じた。

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生水(しょうず)の郷 針江 [琵琶湖西岸]

娘が、青春十八切符が後一枚余っていると言うので、台風の中旅に出た。
木津川(かなり増水していた) ・宇治川

京都駅で、湖西線が動いていたので、琵琶湖方面へと行く。まだ雨は降っていなかった。琵琶湖の波もいつもとあまり変わらなかった。

稲穂を守る案山子たち。

新旭駅で下車。

森神社。道祖神を祀る。

ケヤキ・黒松・公孫樹の巨樹があった。

銀杏がいっぱい落ちていた。

宝塔。宗派の隆盛と子孫の繁栄を願って、鎌倉時代に多く造られた。

針江。生水の郷。平成名水100選の一つ。

水車がよく回っていた。

至る所に湧き水があった。比良山系に降った雨や雪の伏流水が、この郷に豊富に湧き、それを生活に利用されている。

各家庭ごとに、湧水の汲み場所がある。

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