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2011年12月

2011年12月24日 (土)

北陸探訪(その6)

高岡駅に戻り、待ち時間に立山連峰を撮影。
高岡市は、万葉集の編者とされる大伴家持が越中国守として赴任し、数多くの秀歌を残したところである。時間があれば、万葉歴史館や高岡大仏などを訪ねて高岡コロッケを食べてみたかったが、今回は残念ながらパス。

特急はくたか(越中湯沢行き)・特急しらさぎ(金沢行き)
特急は見るだけで、乗ったことはない。

各駅停車の電車に乗り、途中小松で下車し食事。次第に一面雲に覆われ、雪がちらつく。

福井駅で下車する。

雪がだんだん激しくなる中、次の電車まで40分あったので、城址公園を散策。

結城秀康
関ヶ原の戦い後、越前68万石の大名になる。徳川家康の次男。

越前水仙が植えられていた。

天守台跡の石垣。
更に激しく雪が降る。雪から霰(あられ)に変わる。

福井地震(1948年6月)により、石垣の崩落した跡が残る。この頃には、原発がなくてその事故の心配は不要だったが、今では福井県は原発の日本一の密集地である。

激しく霰が降り、雷まで鳴り出したので、駅まで退散する。
敦賀行きの電車乗り、湖西線を通り、京都へ。

奈良線の電車の接続街で、駅ビルをぶらぶらすると、クリスマスムードで一色。今日は、そういえばイブであった。

今回の探訪は、青春18を使ったものであり、予報に反して天気に恵まれた(最後の方を除き)のが幸いだった。立山連峰の勇姿は後々まで心に留まるであろう。

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北陸探訪(その5)

高岡から氷見線に乗り換える。氷見市生まれの藤子不二雄さんの「忍者ハットリくん」列車が走っている。

雨晴(あまはらし)駅で下車。
雨が晴れて明るく好転するということで、縁起の良い駅として人気がある。
義経岩
義経たちが奥州に落ち延びる途中、この海岸でにわか雨に遭い、弁慶が持ち上げた岩陰で雨宿りしたという伝説がある。

富山湾のかなたに、3000m級の立山連峰を望むことができる。この雄々しい景観を、江雄は初めて見て感動のあまり見とれてしまった。

この景観は、1年間の中で50日くらいしか見られない。暴風雪の予報にも関わらず、こんなにはっきりと見えて、余程運が良いのだろう。

望遠レンズの性能がもっと良かったら、もっと良い写真が撮れたと思う。
電車に乗る時間が迫ったので、後ろ髪を引かれるような思いで立ち去った。

雨晴駅から氷見線に乗り、高岡へ。

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北陸探訪(その4)

富山城址公園に行く。
4月には有名なチンドンコンクールが行われる。

佐藤記念博物館・前田正甫(まさとし)富山藩第二代藩主で、富山売薬の基礎を固めたという。

富山藩13代、約230年の居城。現在の城は昭和29年に建築し、今は郷土博物館になっている。

丸薬を売る。

いたち川に行く。宮本輝の「蛍川」の舞台となった。
清水町延命地蔵。
この川沿いには、たくさんのお地蔵さまがお祀りされている。昔、川がよく氾濫して、水害の犠牲者たちを供養した。

石倉町延命地蔵
ここの湧き水は、「万病に効く水」として知られている。

泉町延命地蔵
ここの湧き水は、鯉の口から出ている。

源氏鶏太はこの泉町で生誕した。サラリーマン小説が有名だ。

いたち川の風景。

川沿いの花たち。

いたち川と松川が合流している。次に、松川沿いを歩く。ここには彫刻が雪を被り、少し寂しそうだった。

田中耕一さんや小柴昌俊さんなど4人のノーブル賞受賞者が、富山と高山を結ぶ国道41号線の約九〇キロの沿線に関わりがあり、ノーブル街道と呼ばれるようになった。その記念のモニュメントがこれである。

富山と言えば鱒寿司。これから調理されるところだった。

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北陸探訪(その3)

富山で泊まったホテルの10階から撮影。
暴風雨・雪の予報に反して、絶好の晴れ。立山連峰から太陽が昇った。

5年前の2006年の9月に、立山に登った。

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2011年12月23日 (金)

北陸探訪(その2)

兼六園そばの小さな食堂に入る。700円で、金沢の地元の家庭料理が味わえた。煮魚と、少し甘い味噌汁が美味しかった。

主計町(かずえまち)茶屋街
浅野川沿いにある茶屋町で、優雅な雰囲気が漂う。

尾張町の旦那衆がお忍びでこの坂を通り、茶屋に通っていた。泉鏡花の遊び場所でもあった。
ひがし茶屋街
文政3年(1820)に加賀藩公認の茶屋町として始まる。

旧中屋
文政3年(1820)に、建築。
ひさしは出が少なく、優美な外観を呈する。玄関の大戸を含む全てが、ベンガラ仕込みを残す。

格子は木虫籠(きむすこ)と呼ばれ、内側からは見通しが良いが、外側からは見通しにくい。

徳田秋声記念館。自然主義作家として活躍した。
梅の橋などは泉鏡花の舞台となっている。

金沢文芸館(五木寛之文庫)

泉鏡花記念館
泉鏡花の生誕の地に建つ。「高野聖」などの名作を生み出す。金沢から多くの文豪が出ている。、

下新町
「この町は一端のみ大通りに連なりて、一方の方は行き止まりになりたれば、往来少なかりき。」泉鏡花

寿屋
藩政末期の建築。羽二重問屋であった。
二階の両袖に卯建をもち、黒瓦の屋根や三階の構造など、重厚さを感じた。

金沢駅前で、星陵高校のチャリティーコンサートをしていた。明快な演奏で、思わず足を止めた。

富山駅に到着。「風の盆」で有名な八尾行きの電車。

富山駅前
薬の行商人の像があった。

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北陸探訪

青春18を使い、北陸へ旅をする。天気予報は暴風雨・雪なので、無謀かもしれない。

各駅停車で長時間乗るが、車中で読書三昧。

金沢に着く。早速、近江町市場へ。

観光客のみならず、地元の人たちも歳末の買い物で混雑していた。

とにかく安いし、ネタが良い。旅のはじめなので、何も買わず。カニやブリを土産にしたかった。

黒門前にある旧高峰家(アドレナリンの創製者である高峰譲吉の旧居)

河北門(三の丸の正門)から城内へ入る。

加賀藩前田家の居城

二の丸北面の石垣は、寛永8年(1631)に築造。

三の丸広場から撮影。予報が外れて、青空が見えてきた。

三十間長屋

鶴丸倉庫

第六旅団司令部

兵部省(後の陸軍省)の本部が城内に置かれ、この赤煉瓦のトンネルは、弾薬庫建設時に作られた。

重厚な石川門を通り、兼六園へ。

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2011年12月22日 (木)

OSAKA光ルネサンス

仕事が終わり、中之島に光ルネサンスを見に行った。この時期は、まさに「光が文化になる季節」であり、光が無性に恋しくなる。
大阪から元気を出そうということで、東日本大震災の起こった今年も行われている。
〔スターライト・シティ・スクエア〕
大阪市役所庁舎側面のイルミネーション。

〔中之島イルミネーションストリート〕
約20万球の電球が彩る、童話的な光のトンネル。

〔OSAKA光ルネサンス 光絵本〕
大阪市中央公会堂東面には、クリスマスシーズンにふさわしい映像作品が映し出される。

〔フランスアベニュー〕
フランスの夜の町並みを再現。

〔ワンダーローズ ファンタジー〕
ローズライトガーデンには、光のトナカイがいた。

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2011年12月18日 (日)

忘年餅つき

バレーの練習後に、臼杵で餅つきをした。
15臼搗(つ)いた。

粘りけがあり、よく伸び~る。
ママ達は丸めるのに大忙し。

あんこ入り餅
きなこ餅

安倍川餅

大根おろし餅
鏡餅

お土産(芋入りや海老入りも作った)

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2011年12月17日 (土)

春日若宮おん祭(その2)

春日若宮おん祭は、大雨洪水による飢饉に、疫病蔓延からの救済を願い始まった祭である。今年は、東日本大震災や奥吉野熊野大水害の早期復興を祈願して、別願舞楽の奉納が行われる。
【松の下式】
一の鳥居をくぐった先の「影向(ようこう)の松」の前で、流鏑馬や競馬などのいろんな芸能が行われる。

【御旅所祭】
春日おん祭の中心行事。仮御殿へお渡りになられた若宮様の御前で、厳粛な儀式が行われる。

御旅所でお祭りが始まると、まず若宮様に色とりどりのお食事をお供えする。

巫女のお神楽はたいへん優雅で悠長で、思わず見とれてしまった。このようなスローなテンポさが、今こそ見直されるべきだと思った。何事もスピードが早すぎる現代において、このスローなテンポは貴重である。

お渡りをした人々による田楽や細男(せいのお)、舞楽など、古くから日本に伝わる伝統芸能が次々と奉納される。御旅所の前の芝生で行われるので、「芝居」の語源とも言われる。

午後10時半頃まで、奉納は続けられる。夕刻より陶芸があるので、後ろ髪を引かれる思いで去る。

帰りに興福寺を通ったが、境内に紅葉の盛りの木があった。異常気象の現れかもしれない。

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春日若宮おん祭

師走の古都を華麗に彩る、日本最古の文化芸能の祭典である、春日若宮おん祭を見に行った。
春日若宮おん祭は、春日大社の摂社の若宮神社の祭礼で、大和国一国を挙げて盛大に行われてきた。今年で876回目を数える。
【お渡り式】
若宮様の御旅所に参勤する行列で、様々な時代の衣装を着た人たちが列をなし、たいへん華やかである。

巫女さんやお稚児さんが馬に乗って、お渡りする。今日は菊水楼の傍らで見学した。菊水楼は明治24年(1891)年の開業で、入母屋造りの純和風である。表門は江戸時代の物。

細男座(せいのおざ)・猿楽座・田楽座

流鏑馬(やぶさめ)児

野太刀

大和士(やまとざむらい)

大名行列に子供たちもお手伝い。表情が明るい!

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2011年12月12日 (月)

神戸ルミナリエ(その2)

「夢灯す、光の芸術」「希望の光」
阪神大震災のメモリアル、ルミナリエは今年で17回目である。犠牲者への鎮魂と復興再生への夢を託して、開催されている。あの悲惨な地獄絵は、今では跡形もないが、いつまでも忘れないでいよう。
5時30分になり、点火。

慰霊と復興のモニュメント

東日本大震災の復興支援ゾーンがあり、東北の商品を売っていた。

噴水の池に映って、上下ともに光の競演だった。

「困難をも勇気に変える希望の光を手にすることでしょう」とパンフレットにあったが、「希望の光」が東北に届いてほしい。

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神戸ルミナリエ(その1)

KOBEルミナリエの最終日であり、午後から休暇を取り、神戸へ。1995.1.17から早くも17年経つ。今でもあの衝撃は心に鮮明に残っている。

早く着いたので、街中をサンポ。クリスマスムードいっぱいだ。

神戸にはおしゃれな店が多いと、つくづく思った。

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2011年12月11日 (日)

和歌浦を訪ねて(その2)

妹背山に登り、和歌浦を眺める。万葉集に歌われた世界に、思いをはせる。昨年に、芸術上価値の高い、国の名勝に指定された。
「和歌浦 潮満ちくれば 潟をなみ 蘆辺(あしべ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」山部赤人

妹背山を下りる。和歌浦の周辺には、工場や家が建ち、万葉集の世界からはほど遠い。

〔塩竃神社〕
海風蝕によって作られた青石の洞窟がある。安産の守護として名高い。

〔不老橋〕
徳川慶福(よしとみ)の命により、嘉永4年(1851)に完成。アーチ形の石橋である。
徳川家康を祀る東照宮の祭礼時に、御旅所に向かうために通行した「「成り道」に架けられた。

万葉集の歌からとられた「潟をなみ」が方男波と記され、公園になっている。万葉集のことを解説展示した万葉館がある。入りたかったが、時間が無く通り過ぎる。

和歌浦を挟み、対岸には名草山の中腹に紀三井寺がある。
「名草山 言にしありけり 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに」万葉集には、「慰め」と「名草」をかけた、旅人の恋の歌が詠まれている。

西国三十三カ所第二番札所。「吉祥井」などの三つの井戸があり、これが名前の由来である。

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和歌浦を訪ねて

万葉集ゆかりの和歌浦を訪ねた。
和歌山市駅からバスに乗る。
〔和歌山城〕
今回はパス。

〔玉津島神社〕
和歌の神様とされる、稚日女尊(わかひるめのみこと)を祀る。


紅葉がまだ残っていた。
山部赤人の歌碑

「やすみしし わが大王の 常宮と仕へまつる・・・・・・」

「沖つ島 荒磯の玉藻 潮干満ち い隠りゆかば 見ほえむかも」

根上がり松
三断橋

海禅院 多宝塔
徳川頼宣が明暦元年(1655)に、生母の供養のために建立。


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2011年12月10日 (土)

和歌山加太を訪ねて(その2)

今回の旅のメインは淡嶋神社。
少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る。医薬の神様で、安産や子授けに霊験あらたか。
旧暦3月3日に行われる雛流しで有名である。

殿舎の内外には、ビックリするくらい多くの人形が飾られていた。
優雅な京人形達に見つめられて、身の置き場がなくなった。

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和歌山加太を訪ねて

人も待ちも穏やかだ(加太)を訪ねた。
難波から南海電車に乗る。
〔みさき公園〕

〔金輪寺〕


〔紀ノ川駅〕加太線に乗り換え。

〔加太駅〕
明治45年に建てられた。

樹齢200年の大いちょうが、駅のそばにあった。

〔中村邸〕
明治の終わりに建てられた洋館。1964まで警察署として使われていたそうだ。

〔道しるべ〕右和可山(わかやま)道・左阿王満(あわしま)道

この道しるべを左に行き、淡嶋神社へと行く淡嶋街道を通る。古い屋敷があった。

〔加太春日神社〕
社殿は桃山時代の特徴を表しており、国宝。5月に海老祭が行われる。

〔称名寺〕
「救いとは帰る場所を与えられているということではないでしょうか」という字が掲げてあった。まさに同感!

〔常行寺〕
境内にビャクシンの巨木があった。

ビャクシン
檜(ひのき)科の常緑針葉樹。樹高約13m、胸高幹周約4.7m、樹齢400年。

〔阿弥陀寺〕

〔吾妻屋 旧本館〕
昭和8年(1933)に建築。二階大広間は100畳に柱もなく、屋根裏にも人が立って歩けるほどである。


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2011年12月 9日 (金)

美術館「えき」KYOTO

仕事が京都であり、電車に乗る前に駅ビル内に行く。すっかりクリスマスモードだった。目当ては、美術館「えき」KYOTOで行われている「ガレとドーム」。北澤美術館の所蔵のガラスコレクションである。ガレとドーム兄弟は、世紀末の芸術潮流「アール・ヌーヴォー」の流れを代表する工芸家である。

芸術性の高さに酔ったような気分になって、館を出る。
神秘・清新・妖艶・優雅などの言葉が次々に浮かんでくる。

ほてった心を冷ますために、駅ビルの屋上に上がる。

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2011年12月 4日 (日)

加茂の紅葉

加茂の紅葉はやっと見頃になった。
〔春日若宮社〕

畑を背景にした紅葉がすばらしかった。

里には旧家が何軒かある。

体育館近くの紅葉


加茂体育館に到着。
さあバレーをしよう!

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蕎麦打ち

バレーの仲間たちと蕎麦打ちをした。

二八そばはもちろん十割りそばも作った。

そば粉は、北海道産の石臼びきの新しいものを取り寄せた。

職人のOKUちゃんが、細く切ってくれた。

八回蕎麦打ちしたので、土産もできた。

打ち立てのおいしさは、言葉では言い尽くせない。またバレーの後に、気軽にするつもりだ。

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2011年12月 3日 (土)

富田林・寺内町を訪ねて(その2)

寺内町
〔興正寺〕
この寺を中核として、東西400m南北350mあり、今もなお中世から近世の面影を残している。

〔妙慶寺〕
享保5年(1720)に本堂建立。

〔旧杉田家住宅〕
寺内町成立以来の大家である。酒造業で財を積む。
一般公開しているのはこの家だけ。

〔木口家〕

〔中井家〕

〔奥谷家〕

〔佐藤家〕

〔葛原家〕

〔杉田家〕

〔越井家〕

〔嶋田家〕
虫籠窓(むしごまど)時代によって窓の形が異なる。

〔寺内町センター〕
天下一徳利・蘭引(蒸留水製造器)
江戸時代後期

織田作之助
富田林の長姉の家に滞在して、名作を書いた。
「人の一生は偶然の連続である。偶然を敏感に感受して、必然に変えるのだ。」これが織田作の人生哲学だ。

石上露子
杉山家の長女として、明治15年(1882年)に生誕。
『明星』で活躍して、新詩社の五才媛の一人である。
その端正な容貌ゆえに、「白菊の花」にたとえられた。
「みいくさに こよひ誰が死ぬ さびしみと 髪吹く風の 行方見守る」

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富田林・寺内町を訪ねて(その1)

近鉄電車に乗り、河内長野へ。紅葉がきれいだったので、途中下車する。

富田林・寺内町へ行く。今回の旅のメイン。
永禄年間(1558~1570)に、一向宗の証秀上人により興正寺が発意された。この寺を中核として町が作られた寺内町で、宗教自治都市である。

門が開いておらず、とても残念であった。


城之門筋は日本の道百選のひとつ。

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堺を訪ねて

与謝野晶子の出身地、堺を訪ねた。
〔与謝野晶子生家跡〕
海恋し潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家
〔開口神社〕
海上交通を護る神様

〔菅原神社〕
楼門は鉄砲鍛冶の榎並屋の寄進により、1677年に建立された。幸いに戦災を免れた。

〔善長寺〕
「生かされてる 細かな恵みに 気づく幸福」この言葉が掲げられていた。

〔本願寺堺別院〕
文明8年(1476)、蓮如上人が日明貿易で栄えていた堺に御坊を営んだのが始まりという。

文政8年(1828)に再建の本堂は、堺最大の木造建築。

〔覚応寺〕
この寺の住職の河野鉄南は浪華青年文学界で活動して、与謝野鉄幹や晶子と知り合いで、二人の縁を持った。
5月29日の晶子の命日には、「白桜忌」が行われる。

〔十輪院〕
衆生もいずれ仏になるのだろう。

〔月蔵寺〕
本堂は正徳2年(1712)建立。
境内の紅葉は鮮やかだった。

〔山口家住宅〕
大坂夏の陣の後に建築された。400年の年月が流れる。

チンチン電車が走っている。
〔鉄砲鍛冶屋敷〕
江戸初期の鉄砲鍛冶の生活がしのばれる。

天下茶屋に行き、蕎麦作りをする。
江雄の打った蕎麦。

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