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2012年1月

2012年1月28日 (土)

若草山の山焼き

奈良町から若草山に行った。
若草山は全山芝生で覆われた342mのなだらかな山である。丸い丘が三つ重なっているので「三笠山」と呼ばれてきた。
若草山の山焼きは、古都奈良に早春を告げる行事である。

若草山 樂炎LIVE2012
田辺秀行とゴールデンアワーズは歌が上手いだけではなく、踊りも華麗だった。せんと君も登場して盛り上げた。

東大寺や興福寺が間近に見える。

時間がまだだいぶあったので、春日大社にお参りする。江雄は今年厄なので、厄払いのお祈りをした。

5時半を過ぎ、だいぶ暗くなった。聖火行列が若草山麓の野上神社に到着。
行列順序
雅楽道楽-僧兵-奈良町奉行所役人-金峯山寺法螺衆-興福寺-東大寺-春日大社

野上神社のかがり火に点火。山焼きの無事を祈る祭礼が行われる。東大寺・興福寺の読経中、かがり火から松明に火を移した後、山麓中央の大かがり火に点火する。

奈良市の夜景。背景は生駒山。

6時15分頃から奈良礼賛大花火が打ち上げられる。スターマインや尺玉30発連打など、口をぽかんと開けて見とれていた。
撮影技術が未熟で申し訳ない。ISO感度の設定を高く設定しすぎるというミスを犯した。実際はこの写真の〇万倍はきれいです。

花火が終わり、いよいよ若草山に点火。奈良市消防団員約300人が松明に火を移し、法螺貝やラッパの合図で一斉点火。
今夜は三日月であった。

「先人の鎮魂と慰霊、奈良全体の防火、世界の人々の平安をお祈りします。ダイナミックに広がる炎に願いを込めて。」パンフレットより
今年は晴天が続き芝がよく乾燥していたので、火は瞬く間に勢いよく燃え広がった。東北大震災の復興を祈りながら、長い間山焼きを眺めていた。

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ならまち探訪(つづき)

ならまちをあてもなく歩く。
[安養寺]
厚板段葺や切妻造など室町時代の建立で、江戸時代に改変される。

[徳融寺]
藤原朝臣豊成とその娘中将姫の旧蹟。

[ならまち振興館]
蚊帳の製造業であった商家の二階が公開されている。

[ならまち格子の家]
ならまちの伝統的な町屋である。格子越しに見る世界は、本当に風情がある。箱階段など、昔の人の知恵が随所に見られた。江雄のお薦めの場所である。無料なのがありがたい。

[砂糖傳 増尾商店]
水飴を購入した。

[吉田蚊帳]
幼少の頃は、この蚊帳をつって寝ていた。4.5畳の蚊帳が58800円。高くても買いたい気がした。

今回は酒は買わなかった。

[御霊神社]

[元興寺 塔跡]

[金躰寺]

[法徳寺]

[十輪院]
鎌倉時代の石仏に引かれた。

[元興寺 極楽坊]

[大乗院庭園]
奈良ホテルの近くにある名勝。

[荒池と興福寺]

若草山へと歩く。

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ならまち探訪

若草山の山焼きの前に、ならまちを訪ねた。
ならまちは元興寺を中心として、中世に成立した門前町として、江戸から明治にかけて栄えた。町屋が今でも数多く残っており、落ち着いた風情がある。

ならまちは今各種メディアに取り上げられ、観光客が多かった。以前は閑散としていたのだが、町屋を利用した若者向きの店が次々にできていた。

古風な旅館
今では営業していないようだ。

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2012年1月21日 (土)

七条から四条へ

東寺を立ち去り、七条の西本願寺へ行く。
〔西本願寺〕
浄土真宗本願寺派の本山。親鸞の墓地のあった東山大谷から、天正9年(1591)秀吉にこの土地を寄進される。寛永10年(1633)頃には、ほぼ現在の姿になる。

〔興正寺〕
真宗興正寺派の本山。

〔龍谷大学本館〕
明治12年(1879)竣工される。本願寺大教校として使用され、現在は龍谷大学の校舎となっている。

〔本願寺伝道館〕
明治28年(1895)に建築される。軒回りや塔屋はサラセン様式で、ひときわ目を引く。

〔東本願寺〕
真宗大谷派の本山で、真宗本廟という。親鸞の娘「覚信尼」が仏堂を建て、御影を安置したことを起源とする。内部には927畳の大広間がある。
「今、命があなたを生きている」親鸞聖人750回忌が終わったばかりである。

〔涉成園〕
枳殻(からたち)の垣根があり、枳穀亭(きこくてい)ともいう。

蝋梅(ろうばい)

本願寺周辺の寺内町には、仏教関係の店が多い。

〔長講堂〕
後白河法皇が晩年を過ごした院御所「六条殿」内に建立したお寺。
江戸初期に作られた後白河法皇座像が、大河ドラマ「平清盛」放映記念として特別に公開されている。

〔蓮光寺〕
知恩院を本山とする浄土宗のお寺。「負別如来(おいわけにょらい)」は快慶の作と言われる。

〔市比売神社〕
商売の繁栄を加護し、子供の成長と女性を守護する。「天之真名井(あまのまない)」の湧き水も有名である。

〔佛光寺〕
親鸞が越後流罪から赦免され、山科の地に草庵を建てたことに由来する。

〔犬塚勉展(京都高島屋にて)〕
38歳で早世した画家で、スーパーリアリズムと言っていい風景画がすばらしかった。

〔錦天満宮〕
地下100尺(約30m)より水が湧き、年中17.18度の水温を保つ。梅の花が早くも咲いていた。

〔錦市場〕
子持ち寒ブナの煮付けが美味しそうだった。

京都駅までまた歩く。今日は3万歩を超えた。

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初弘法

今年最初の弘法の市を訪ねた。
美術館「えき」京都で、「北斎の富士-富岳三十六景と富岳百景-」見た。
富士の柔軟なとらえ方や奇抜な構図が面白かった。さすが、後世に残るだけの価値がある。

東寺まで行く途中に、行列ができているところがあった。だし巻きを作っている店で、その手際の良さに見とれてしまった。

東寺に到着。雨が降り出したにもかかわらず、初弘法で人が多かった。

骨董や古着、陶器や絵画、漬物や明太子どて焼きなどの食べ物など、多種類の物が売られていた。

1000店が軒を並べ、10万人の人出だった。
ある骨董屋で、丹波焼きの酒器で良いのがあった。だいぶ迷ったが、今回は買わなかった。晴れていたらゆっくり見られるのに、とても残念だった。雨がやみそうにないので早めに立ち去る。

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2012年1月15日 (日)

恭仁(くに)宮跡

地元の恭仁宮跡・山城国分寺跡を訪ねた。あまりに近すぎて、めったに行かない。現在も、金堂跡(大極殿跡)基壇と塔跡基壇が地表に残っている。
塔跡基壇
七重塔であったようだ。天平の廃都に建つ七重塔は、いかにも荘重であっただろう。

金堂跡(大極殿跡)基壇
聖武天皇が天平12年(740)に、この瓶原(みかのはら)に新都をを定めた。4年余りで廃都に成り、その後大極殿を中心に山城国分寺として再利用された。南北3町(約330m)東西2町半(約275m)の広大な寺域を持っていた。

「「咲く花の 色は変はらず ももしきの 大宮人ぞ たちかはりける」
「みかの原 布当(ふたぎ)の野辺を 清みこそ 大宮ところ 定めけらしも」万葉集

恭仁宮跡近くには、木造の小学校がある。小さい頃をつい思いだした。

この学校の横で、恭仁京市が地元の人によって行われている。野菜は市価の半値以下の安さで、新鮮である。百合の根や大かぶら、山芋や餅などを買い求めた。

「みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらん」
泉川というのは、今の木津川のこと。
バレーの練習があるので、短時間の散策であった。

野菜を求めに恭仁の里に行った。

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2012年1月14日 (土)

鶴橋から天王寺へ(その2)

今宮えびすを後にして、四天王寺へと歩いた。
四天王寺
今から約1400年ほど前に、聖徳太子が建立した日本仏法最初の官寺。四天王寺には4つの施設が作られ、病院や児童施設、老人ホームのような福祉関係のさまざまなことをやっていたという。仏教精神に基づくものである。

正月らしく、どんど焼きをしていた。

四天王寺伽藍は、日本で最も古い様式に配置されている。仁王門を入ると、五重塔があり、金堂講堂の順に南面して一直線上に建てられている。

地蔵堂には数多くの小さな石仏が並んでいた。冬の時期なので、手製の帽子を付けてもらわれていた。

2時半より、この六時堂で「どやどや」が行われる。今日の旅のメインは、この「どやどや」である。

「どやどや」とは、修正会(しゅしょうえ)法要の結願日に、天下太平・五穀豊穣を願って行われる。法要中に祈祷された「牛王宝印(ごおうほういん)」という魔除けの護符を、寒中素裸になって奪い合う。
現在では、四天王寺関係の幼稚園児と中・高校生に限定されて行なわれる。

「牛王宝印(ごおうほういん)」を受けようとして、どやどやと集まるので命名された。裸祭はとても迫力があり、見ていて興奮するほどであった。水を掛けられて湯気が上がっていた。見ているだけで、こちらは体が冷えた。、

興奮を冷ますために、一心寺へ寄った。浄土宗の宗祖、法然の創建した寺である。

本多出雲守忠朝の墓
元和2年(1616)、酒が過ぎたために大坂夏の陣で死ぬ。酒のために身を滅ぼすことがないようにと願って建てられた。

天王寺公園を通り、美術館を過ぎ、天王寺駅へと歩いた。今日の歩数は、25000歩を超えていた。目標の3万歩まであと僅か及ばなかった。

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鶴橋から天王寺へ(その1)

環状線の鶴橋駅で下車すると、昼前から焼き肉のにおいが立ちこめていた。焼き肉の有名店が建ち並ぶ。
鶴橋の地名は、4~5世紀頃に日本で最初に架けられた「鶴の橋」に由来する。朝鮮半島からの渡来人達の技術が生かされたのだろう。

西方に歩き平野川に出て、南下する。
生野コリアタウンと言われる、御幸通中央商店街がある。「御幸」というのは、天皇の鷹狩りの場所であったのだろう。
この辺りを「百済野」とも言い、朝鮮半島からの渡来人達がこの地に移り住み、高い文化の花を咲かせたものと思われる。また、「猪飼野」とも呼ばれるのは、朝廷に献上する猪を飼っていたと思われる。

焼き肉店や、キムチ・チヂミ・韓国食材の店などがひしめき、韓国に迷い込んだのではないかと思われるくらいである。

御幸森天神宮
仁徳天皇を祭神とする。百済からの渡来人である王仁(わに)博士が、天皇の即位を祝い「難波津」の歌を詠んだという伝説がある。
「難波津に 咲くやこの花 冬籠もり 今は春べと 咲くやこの花」

弥栄神社
御幸通りの近くに神社。
ここから桃谷に向かい、上町台地へと歩く。

愛染堂 勝鬘院
西国愛染明王霊場 第1番札所

1597年に豊臣秀吉が再建する。大阪市内最古の建築物。
1902年(明治35年)のサンフランシスコ万博に、この多宝塔の模型が日本建築の代表として出展された。

愛染鬘(かつら)
桂の木に葛(かずら)が絡みつき、一体となった姿から、「縁結びの霊木」として有名である。

愛染坂と清水坂

大江神社
上町台地の西端にあり、昔はこの近くまで海が迫っていた。この地を「夕陽丘」と言い、今でもここから見る夕日は美しい。

左は、タイガーズファンの作った、狛犬ではなく、虎!!
右は、「夕陽丘」の碑。

今宮戎
4・5日前は「十日戎」でごった返していたが、その後片付けをされていて、今日は閑散としていた。今日参っても、ご利益はあるのだろうか。

えびすの、「え」は入り江の「え」で、「び」は神霊を意味し、「す」はおられるところという意味があるらしい。今でも釣り竿と鯛を持ち、要するに、当初は海の神様であった。
通天閣が間近に見えてきた。やはり、今でも大阪の顔である。

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2012年1月10日 (火)

十日戎

えびす宮総本社である、西宮神社の十日戎に行った。
西宮神社は、全国のえびす神社の総本社として、古くから尊崇されている。
中世以降、えびす様を福の神と崇める信仰が盛んになり、人形操りや謡曲・狂言などの芸能を通して、全国津々浦々にまで御神徳が広がっていった。

例年100万人の参詣者があり、この日もごった返していて、前に全く進めない状態であった。この表門の前まで来るのにも、30分以上かかり、更に本殿まで30分以上かかった。

福笹は孟宗竹の枝で、冬でも青々とした葉を付け繁殖力があることから用いられるようになった。笹は、命が蘇り発展する姿を象徴している。
この笹に、さまざまな小宝が付けられる。子宝は吉兆とも呼ばれ、銭袋・小判・小槌・鯛などの縁起物を束ねたものである。

本殿

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2012年1月 9日 (月)

相生の牡蠣を求めて

青春18切符が後一枚残っていたので、今年の干支である龍にちなんだ相生の白龍城へ行く。
那浪の街道
昔は海だった。築100年以上の旧家もあった。
「縄(那浪)の海に 塩焼くけぶり 夕されば 行き過ぎかねて 山にたなびく」万葉集

浄土真宗 得乗寺
「欲望から つつしみへ」この言葉が掲示してあった。今の日本には、この思想が求められていると痛切に感じた。

八幡神社
鎌倉時代の創建で、天明2年に再建。地元の氏神様として篤く信仰されている。大きなとんどがあった。

大正時代の絵馬が掲げられていた。

松尾大天王

厄除神社

ペーロン海館
ペーロンは、龍の姿をイメージした木造船である。
総勢32名が乗船し、銅鑼・太鼓に合わせて、漕ぎ手28名が、木製の櫂で、人力で漕ぎ、300m折り返しの距離を競漕する。毎年5月に行われ、一度見に来ようと思う。

白龍城(ペーロンジョウ)

相生の牡蠣を買った。

名産のうまいかや雷ミックスも、土産に買った。

冬の割には、穏やかな海が広がっていた。

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2012年1月 8日 (日)

プレミアリーグ(女子)観戦

大阪府立体育館で行われた女子プレミアリーグを観戦した。
全日本に選ばれている選手達が目前に見られて、珍しく少し興奮してしまった。
オリンピック出場を目指して、JTの竹下選手を始め、若手の岩坂選手や新鍋選手(何れも久光製薬)たちは、随所に感動を与えるプレーを見せてくれた。

久光製薬 3:1 岡山


トヨタ車体 3:0 JT
かっての全日本のエース高橋選手は、3セット目の後半に出場し、ベテランらしい上手い自在のプレーをしていた。

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2012年1月 7日 (土)

京都府北部を訪ねて(おわり)

舞鶴市内を歩く。
レトロ風の銭湯を見つけた。

土壁の旧家が多い。

渡邊家住宅
近世末期に廻船問屋を務めた旧家。主屋は明治3年に建築。

「清連亭」昼食。
肉じゃがや牡蠣丼が売り出し中。もちろんカニ料理も。

伊佐津川の河口

吉原地区では、伊佐津川支流の川間近に家が建ち並ぶ。
「ニワトリはハダシだ」の映画や、「ええにょぼ」のドラマなどのロケ地になった。

吉原 水無月神社

舞鶴港とれとれセンター
やはりカニが多かった。

地元の人の紹介で、魚屋「大六丸」で、カニやイカを購入。安くて新鮮な魚介類が売られていた。

舞鶴線が信号の故障で不通になり、西舞鶴駅で二時間近く待たされ、代行バスが綾部まで出た。帰宅は九時前になった。旅をしていたら、こんなこともある。

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京都府北部を訪ねて(その2)

綾部から舞鶴線で、西舞鶴に行く。

圓隆寺
愛宕山の麓にある、行基創建の由緒あるお寺。
〔総門〕

〔本堂〕

〔多宝塔〕

〔鎮守堂〕

〔太子堂・観音堂〕

朝代神社
673年に創建される。
4年に一度行われる、吉原の太刀振りや神楽などが有名である。

法華宗 本行寺
京極丹後守の菩提寺。

曹洞宗 桂林寺
室町時代に創建される。

浄土宗 見樹寺

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京都府の北部を訪ねて(その1)

青春18切符を利用して、一人旅。
関西本線・奈良線で京都駅に行き、山陰本線に乗り換える。

丹波地方に入り、雪景色になった。

綾部駅で下車する。

街道には、大正や昭和の古い建物が多く見られた。

大本教 弥勒堂
大本教は、1892年にこの綾部で開教された。

大本教 長生殿
開教100年を迎えた1992年に、この巨大な建物が作られた。20世紀最大の木造建築とされる。御所を思わせる壮大な殿舎に、たいへん驚嘆した。

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2012年1月 6日 (金)

葛井寺(ふじいでら)・道明寺天満宮

仕事を早く切り上げ、大阪での初詣で。
まず、葛井寺へ。
紫雲山葛井寺は、葛井(藤井)氏の氏寺として7世紀に建立されたという。本尊は千手観音菩薩で、天平時代の代表的な仏像として、国宝に指定されている。西国33カ所の5番札所である。


藤井寺駅から、道明寺駅へ近鉄で移動。
道明寺天満宮まで徒歩5分。学問の神様である菅原道真を祀る。
参詣者は少なかった。大絵馬の龍の顔は、とてもユーモラスであった。。

撫で牛
牛は、天神様のお使いとして知られる。痛いところを撫でると、その痛みが消えるという。

巨木

修羅
1978年に、当社敷地から大小の出土。修羅に載せて重たいものを運んでいた。大きいのは約8.8mあり保存処理されていて、写真は復元された物。

梅園
梅の咲く頃は賑わう。

25日は初天神で、「うそかえ祭」が行われる。

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2012年1月 5日 (木)

吉野山探訪

吉野山を歩いた。ロープウエイには乗らず、七曲がりと言われる急坂を上る。

幣掛(しでかけ)神社
大峯山に登拝する山上参りの際、最初にお参りする。

眼下にロープウエイが見えた。

黒門
金峯山寺の総門であるが、わりと簡素であった。。

銅の鳥居
この辺りから、土産物屋が多くなった。


仁王門
金峯山寺の正門である。重層入母屋造りで、高さ20mもあり、勇壮な堂々たる建物だった。



阿像は1338年、吽像は1339年に建立。

金峯山寺 蔵王堂
修験道の霊場である、吉野大峯の中心的伽藍として、信仰を集める。天正20年(1592)に再建される。高さ34m、桁行26m、梁間27mの威容を誇る。
御堂の重厚で雄渾な姿に、ただただ圧倒されてしまった。

観音堂

愛染堂

威徳天満宮
桃山時代の作風であると思った。

行者像
怖い形相で、長いこと見られなかった。

非常に急な階段を下り、脳天大神に行った。

蔵王権現の変化(へんげ)されたお姿であり、女性の修行道場として開けていた。
首から上の守り神として、広く信仰されている。あまり知られていない、ミステリーなパワースッポットである。
吉野駅までの道を参詣者に尋ねたところ、車に乗せて頂き駅まで送ってもらった。本当に親切な人に巡り会えて、新年早々嬉しいことだった。

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2012年1月 4日 (水)

橿原神宮 初詣

橿原神宮に初詣に行った。三が日を過ぎると、参拝者が少なくなる。

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2012年1月 1日 (日)

謹賀新年

瀬戸内海のしまなみ海道を訪ねた。
〔尾道〕
渡船に乗り、向島から尾道へ行く。千光寺や浄土寺などが間近に見えた。

〔大三島〕
大三島に行き、大山祇(おおやまつみ)神社で初詣でする。
能因法師の雨乞いの楠。日本最古の楠(樹齢3000年)。

乎知命(おちのみこと)お手植の楠。樹齢2600年で、古来より神木として崇められている。根回り20mで、圧倒されそうな豊かな存在感がある。

大山祇神社のご本殿は鎌倉時代に造営された。海の神や武人の神として広く信仰を集め、戦勝の御礼として武具や甲冑が奉納された。全国の国宝・重文の甲冑の8割がこの神社にある。

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