« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年2月

2012年2月25日 (土)

洛北を歩く(おわり)

北野天満宮では、梅花祭が行われていた。
2月25日(土)は菅原道真の御崩御の日であり、菅原公の愛した梅花に因んだ祭である。
北野天満宮には約50種、1500本の梅の木がある。
「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」
今年は寒冷な日々が続き、開花しているのは少なかった。

梅の種類によっては、見頃のものもあった。
牛は菅原道真公の神使である。牛の周辺は、つぼみは堅かった。

上七軒の芸妓や舞妓によって、「梅花祭野点大茶会」が開かれていた。
芸妓や舞妓さんの優雅な笑みと気品ある仕草に、思わず見入ってしまった。

梅の花と芸妓、舞妓の組み合わせは、日本文化の代表的な美であると思った。

北野天満宮を後にして、四条烏丸まで歩いた。
ライブハウス「都雅都雅」で前売り券を購入する。
3月14日(水)に、宮崎勝之・田口正和のコンサートがある。我夢土下座のリーダーである田口氏は、「我が大地の歌」「時は流れて」など、数々の名曲を作曲されている方である。
今から楽しみで楽しみでしかたない。早く来ないかなぁ!!

今日は、3万歩近く歩いた。少し風邪気味ではあったが、我ながら感心する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

洛北を歩く(つづき)

上賀茂神社から鴨川を下り、大宮通りをすぎ、大徳寺へ行った。
大徳寺

大徳寺は臨済宗大徳寺派の総本山である。鎌倉末期に、大燈国師により開創される。別院2ヶ寺、21の塔頭(たっちゅう)がある。
右は、平康頼の塔。

山門

仏殿

法堂

仏殿が1665年再建されたが、その頃に植栽されたイブキの大木。

興臨院
能登の戦国大名畠山氏ゆかりの塔頭。唐門は室町時代の禅宗様式を表す。

瑞峯院・三玄院

龍源院・黄梅院

千躰地蔵塚

北野へと下る。
千本焔魔堂に寄る。
本尊として閻魔法王が祀られている。

境内には、紫式部供養塔がある。約600年前に建立される。

続きを読む "洛北を歩く(つづき)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

洛北を歩く

上賀茂神社、大徳寺、北野天満宮、四条烏丸と約3万歩歩いた。
まず北山で下車して、北上する。
大田神社

百太夫社・鎮守社

かきつばた
「神山や 大田の沢の かきつばた 深き頼みは 色に見ゆらむ」藤原俊成

北大路魯山人の生誕地

中世の頃に、上賀茂神社の神官の社家町として町並みが形成される。

藤木社
明神川の守護神として祀られる。樹齢約500年の大楠の木。

上賀茂神社
雷(いかづち)の御神威により、厄を祓い災いを除く厄除け明神として広く信仰されている。京都の鬼門の守り神として、厄除けの信仰が篤い。

葵の紋章

神饌所

川尾神社(迷いを取り除く神様)、須波神社(心を静める癒やしの神様)

玉橋(高欄付きの木造そり橋)

岩上
葵祭にあたり、宮司が岩上に蹲踞して、勅使に返祝詞(のりと)を申す。)

涉渓園
曲水宴が行われる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月18日 (土)

大和郡山探訪(おわり)

城下町を歩いた。豆腐町や材木町、雑穀町や魚塩町など、箱本十三町の面影が残っている。箱本十三町というのは、豊臣秀長が作った自治組織である。一ヶ月ごとに、各町が治安や消火などを行った。

箱本館「紺屋」
江戸後期に建築した、元藍染め商の建物である。
藍染めを職業とする人たちが、この紺屋町には集まった。

座敷には金魚コレクションが展示されていた。金魚の意匠を使った美術工芸品が、数多く保管されている。

大和郡山は金魚のふるさととして有名である。
柳沢吉里が甲斐の国から転封されたときに、家臣が観賞用に持参したことに始まる。幕末から明治にかけて、養殖が盛んに行われた。農業用の溜め池が多くあったことも、産地となった理由である。全国の約四十パーセント生産する。

景泰藍魚瓶
約400年前の金魚鉢。

藍染め体験工房もある。
藍でハンカチなどの染め体験ができる。面白そうなので、一度やりたい!

城下町だけあって、旧家が至る所にある。

春岳寺
大納言、豊臣秀長の菩提寺。

浅井家別邸
明治初期の洋風建築。2階のバルコニーが洒落ている。

杉山小児科医院
大正期に建築。尖塔や窓のステンドグラスなど、洋風建築である。

柳楽屋
柳町商店街は、風情のある町並みである。この町屋で、甘酒を無料で頂いた。

三の丸会館で「わいわい交流会」が行われていた。
やまと獅子太鼓は、とても迫力があってつい見とれてしまった。

大和郡山はいつもJRで通り過ぎるだけであったが、予想以上に見所が多かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大和郡山探訪(つづき)

郡山城跡で行われている盆梅展を見に行った。

豊臣秀吉の弟の秀長が大和・紀伊・和泉の三カ国を領地として、郡山城に入ったのに始まる。   

秀長の死後、郡山の城主は増田・松平・本多と次々に替わったが、江戸中期の享保9年(1724)に、柳沢吉里入城して、15万石の居城として大和を治めた。

続きを読む "大和郡山探訪(つづき)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大和郡山探訪

「大和な雛まつり」と「盆梅展」を見に行く。
郡山城の外堀。

薬園(やくおん)八幡神社
名前の通り、境内には薬草園がある。

実相寺
阿弥陀如来像は鎌倉時代初期の作。

源九郎稲荷神社
源義経が吉野に落ちのびたときに、白狐が側室静を送り届けたという。「白狐渡御」が4月1日に行われる。

社務所には雛人形が飾ってあった。下のは江戸時代のもの。近くの遊郭の遊女が持っていたという。

旧川本邸
大正11年に建てられる。木造3階建てで、優美な格子やハート型の窓など意匠を凝らしている。

遊郭の賑わいを偲ばせる。

通りに面した部屋に、雛人形が飾られている。

2階から3階に上がる階段にも、雛人形が飾られている。
14段の雛飾りで、遊郭の優雅な雰囲気によく調和している。

他の部屋にもいろんな雛飾りがある。

本家菊屋
江戸後期に建築。県下最古の老舗和菓子屋。御城ノ口餅は400年前から食べられており、15個で1300円。娘達が来ているので、土産にする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月12日 (日)

男子プレミアリーグ観戦

大阪交野で行われた男子プレミアリーグを観戦した。
1試合目 サントリー3:2FC東京
外人選出の活躍が目立つ中、全日本選出の山村選手がガッツ溢れるプレーを見せていた。

2試合目 JT3:2パナソニック
パナソニックの主催ゲームで、全日本選出の選手が多いので、当然パナが勝つと思ったのだが、予想に反してJTが逆転勝ち。特に、新人八子の活躍が光っていた。

何れもフルセットまでもつれ込み、2試合で5時間という長丁場であったが、瞬く間に時間が過ぎた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月11日 (土)

当尾・森・高去を訪ねて

地元の山里を訪ねた。
近いだけに、あまり行くことがない。

団地から坂を下りれば、景色が一転する
無人販売所では、大根や白菜が売られていた。

続きを読む "当尾・森・高去を訪ねて"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年2月 5日 (日)

南紀を訪ねて(復興和歌山 蘇る聖地熊野) その6

本宮から龍神バスで中辺路を行く。
川湯温泉を過ぎる。川原を掘れば湯が沸き出す、珍しい温泉である。仙人風呂という露天風呂には、多くの人が入っていた。

渡瀬(わたぜ)温泉
湯の峯温泉へはまだ台風の被害がいえず、バスは通らなかった。

近露王子

道の駅 熊野古道中辺路

熊野古道館

滝尻王子
後鳥羽上皇は28回も熊野詣でをしたという。それだけ人を引きつけるものがあったのだろう。

岩を抱いたケヤキ。

この滝尻王子から険しい山道を登る。
熊野の聖域となる。

続きを読む "南紀を訪ねて(復興和歌山 蘇る聖地熊野) その6"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南紀を訪ねて(復興和歌山 蘇る聖地熊野) その5

新宮から熊野バスに乗り、熊野川沿いを進み、本宮へ。

台風の爪痕が随所に見られた。道路が寸断されていた。川水の青さゆえに余計に悲惨に感じられた。

熊野本宮大社。
八咫烏の幟(のぼり)が目を引いた。
八咫烏は、神武天皇東征の時、熊野に迂回してきた天皇を道案内して勝利に導いたという。

参道は、予想に反して短かった。
正遷座120年大祭が今春から来春にかけて行われる。その幟がたくさん立てられていた。

熊野御幸は、延喜7年(907年)から嘉元元年(1303年)にかけての396年間に、140回行われたという。白河天皇の御幸では総勢814人だった。平均300人前後が集団で過酷な旅をした。
コースは次の通りである。
京都ー住吉ー和泉ー紀伊半島海岸沿いー紀伊田辺ー中辺路ー本宮ー熊野川下りー速玉神社ー那智神社ー雲取ー本宮
20数日から1ヶ月くらいかかり、まさに難行苦行だった。

中央の社殿は、修理中で白いテントに覆われていた。
「熊野より日本の再生を 人から人へ声を掛け 心をつなごう」このスローガンにはひかれるものがあった。

正遷座120年記念大祭が、来年まで行われる。

拝殿には、「煌めく」の字が掲げてあった。原発にさよならして、自然と共存できる持続可能なエネルギーを追求し、光り輝く日本であってほしい。

黒い八咫烏ポスト
黒は、神の使いの八咫烏の色である。本宮の大地を象徴している。

祓殿(はらいどの)王子跡
熊野本宮参詣の前に、祓いを行った場所である。
熊野古道を歩く。発心門王子まで歩きたかったのだが、時間が無いので断念。またの機会にしよう。

大斎原(おおゆのはら)
熊野川・岩田川・音無川の三つの川が合流する中州に、熊野座社は鎮座していた。1889年に熊野川の大洪水により大部分が流出し、かろうじて難を逃れた四社を移築したのが、現在の本宮大社である。

熊野川の川原が広すぎて、水の流れが見えなかった。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

南紀を訪ねて〔復興和歌山 蘇る聖地熊野〕 その4

新宮市内を歩いた。
明日行われる「お燈まつり」。その装束や松明などを売っていた。
「お燈まつり」は、神倉神社の538段の急な石段を、約2000人の男達が一気に駆け下りる、勇壮で神聖な祭である。「お燈まつりは 男のまつり 山は火の滝 下り龍」と串本節に歌われている。
明日は仕事なので今回は見られないが、いつかは見に来たい。

神が降臨する神体山として崇められている。

538段の急な石段にはさすがの江雄も上がるのを躊躇したくらいである。お年寄りは、石段の登り口で、お祈りされていた。登りよりも下りのほうが、いくらか高所恐怖症でもあるので、より怖かった。

続きを読む "南紀を訪ねて〔復興和歌山 蘇る聖地熊野〕 その4"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南紀を訪ねて〔復興和歌山 蘇る聖地熊野〕 その3

二日目の早朝、勝浦漁港にマグロの競(せ)りを見に行った。勝浦港は遠洋・近海マグロ漁の基地であり、生マグロ水揚げ日本一を誇る。

はえ縄漁で捕獲して、船上で活け締めにして冷凍保存した物であるから、鮮度抜群で生きているかのようであった。
ビンナガまぐろ(びんちょう、とんぼ)が最も多かった。
体長1.4m、体重40kgくらいあり、マグロの中では小型で胸びれが長いのが特徴である。

マグロが次々に水揚げされていた。
北海道から沖縄まで、全国のマグロ漁船が入港してマグロを水揚げする。

マグロの他にも、見たこともないような魚もいた。

6人ぐらいで移動していたこの魚は、いったい何であろうか。

漁港近くの魚屋

おばあさんの小さい店で、マグロや干物を買った。

漁港近くには、足湯があった。

紀伊勝浦から新宮へ行く。太平洋の朝焼けは雄大であった。

新宮駅に到着。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月 4日 (土)

南紀(復興和歌山 蘇る聖地熊野)を訪ねて その2

勝浦からバスに乗り、那智山に行く。
2011年9月、紀伊半島を襲った台風12号。
土石流により壊滅的な被害を受け、多くの死者も出した。
献身的な尽力やさまざまな支援によって、次第に蘇りつつある。
犠牲となった亡き人はもう帰ってこないけれど、残された者たちが力を合わせて懸命に生きておられた。
悲しみを乗り越えて生きておられる姿は、たいへん尊いものに感じた。

大門坂を歩く。

続きを読む "南紀(復興和歌山 蘇る聖地熊野)を訪ねて その2"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南紀(復興和歌山 蘇る聖地熊野)を訪ねて(その1)

「南紀パス」といって、「元気です和歌山」のキャンペーンの一環として、JRがお得な切符を発売した。特急や現地のバスが、乗り放題の切符である。
天王寺8時発のオーシャンアローに乗る。

本州最南端が見えてきた。
串本駅
橋杭岩は、大島に向けて橋の杭のような岩が並んでいる。

鯛島
3年前、この島の前の民宿に泊まった。朝夕、鯛島を見ながら、島の命名に上手いなと思った。

串本から勝浦にかけて、島の形のおもしろさに見入った。できたら、名前を付けたいものだ。

紀伊勝浦駅に昼前に着。特急に乗るのは稀なので、写真撮影。

勝浦駅前。
佐藤春夫の「秋刀魚の歌」の碑があった。

漁港周辺。
マグロを追いかける、沖縄や高知の船が停泊していた。
勝浦港は生マグロ日本一を誇る。

マグロを食べさせてくれる店が各所にある。このマグロ丼は、1100円で、江雄の腹の中に入った。鮮度抜群で美味だった。

秋刀魚の丸干し
店先で秋刀魚を干していた。20本買い土産にする。

商店街で、竹筒の中におひな様がおられた。

ポンカン。
皮をむいたときの香りが特徴。ほどよい酸味と濃厚な甘みは、やみつきになりそうだった。

南紀勝浦雛巡り。
漁港近くの会場には、雛飾りがいったい何体飾られていたのだろう。迫力がありすぎた。

鯨形のホテルの送迎船。大きなホテルが周囲にある。

ビン玉通り(脇仲通り)
かってこの通りが町の中心だったので、旧家が多い。軒先に雛飾りが置かれていた。

海翁禅寺。臨済宗の法燈寺派の禅寺。山の中腹にあり、この境内から町並みがよく見えた。

格安の民宿に泊まった。素泊まり2500円。それでもテレビあり空調もありで、江雄にはもったいなすぎた。そばに足湯があった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »