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2013年7月

2013年7月27日 (土)

平和と民主主義をめざす全国交歓会

7月27日(土)・28日(日)に第43回大会が行われた。「カネより命!99%が手を結び世界を変える」というテーマで、日比谷公会堂を中心として開催された。大阪の知人に誘われ、初めてこの大会に参加した。

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Switch(スイッチ)の歌で始まった。「99%この世界を生きる 99%この世界を変える・・・・・・」未来を変えようと目覚めた、若者たちが舞台を飛び跳ねた。

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実行委員長の土屋さんから挨拶があった。

「9月に再度原発稼働ゼロを実現し、すべての原発を廃炉にしていく闘い、すべての被災者救済を実現する取り組み、働く権利の前進、
基地や戦争を無くす闘い。自ら闘い、そうした願いを持って手をつなぎ合っていきましょう。それが、世界を変える力です。」
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2013東京ZENKOの決議案が読まれた。

「これは民主主義を獲得する闘いだ。私たち民衆は99%で多数派だが、いまだ富と権力は1%のグローバル資本に奪われたままだ。・・・・・。私たちはこのような未来を望んでいない。だからいま、世界の民衆が立ち上がっているのだ。」

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週刊MDS(民主主義的社会主義 機関紙)の編集長の佐藤さんからコメントがあった。

「1%のグローバル資本は、99%の民衆を支配するために、権力によって弾圧する。そして、民衆は恐怖とあきらめによって支配されていく。私たちは決してあきらめはしない。そして、恐怖よりも希望をもって断固戦い抜く。権力はそれを一番恐れているのだから。」

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「給付型の奨学金を実現すべきだ。今の奨学金は、返戻しようとしても貧困ゆえにできない。高利の延滞金もあり、若者たちは苦しんでいる。」

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中央大学の伊東さんから、次のような挨拶があった。

「3年の間、国政選挙が無い.この貴重な時を使って、真の護憲連合の政党を作っていこう。集団的自衛権は国連憲章にも反する。絶対に戦争をする国にすることは許されない。
自民党が民衆の支持を集めているのでは無い。自民党に対峙する、民衆の側に立つ政党が無いだけだ。」
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若者たちによって、日頃の活動が紹介された。
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ブレスレットを孫の土産に買った。
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午後からは、基調集会が行われる。

第1部 「総被曝社会を、フクシマと共に闘って生きる」

第2部 「カネより命! 阿倍も新自由主義も追放だ!」

第3部 「世界とつながりグローバル資本の支配を打ち破る若者たち」

ゲストとして、前双葉町長の井戸側克隆さん、経産省前テント広場の淵上太郎さん、脱原発弁護団全国連絡会代表の河合弘之さんなど、多彩な人たちが登壇される。
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28日(日)には「アメリカの・イラクの若者と共に、グローバル資本と闘う」など、13の分野別討議が行われる。私は、「経産省前テント撤去を許すな!憲法を高く掲げて、フクシマノ被災者・避難者の要求・闘いと結んで」の分科会に参加した。

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2013年7月26日 (金)

霞ヶ関99%オキュパイコンサート

原発なくせ! カネより命!」と題して、オキュパイコンサートが行われた。桜田通りの外務省前(経産省前のテント広場のま向かい)に行くと、何人かの知人に出くわした。「2013東京ZENKO」に参加するために、関西からみんな駆けつけたようだ。

月桃の花歌舞団のエイサーから始まった。関西の団員も数多く参加されていた。

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新曲「スイッチ」を熱唱された。

「見つけた これが世界を変えるスイッチ 思い切り伸ばした手 指先に触れた ああ沸き立つ心 駆り立てるまま動く 動く もう止まらない 99%この世界を生きる 99%この世界を変える」
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あんじゅなさんが反核・反原発の思いを、みんなに語りかけるように歌われた。

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THE HAPPENINGさんは、パワー溢れるロックを披露された。権力の横暴を憤る思いを、ストレートに表現されていた。
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このコンサートの電源は、自転車漕ぎ発電である。ここにも、「金より命」の精神が感じられる。
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このコンサート中、ずっと一心に描かれていた画を披露された。尊い命を蝕むものに対する憤怒がにじみ出ていた。
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最後は、月桃の花歌舞団によるエイサー。みんな本当に元気だ。目が輝いている。
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経産省前のテント広場を訪ねた。東京に来るたびに訪ね、カンパさせて頂いている。2011年9月11日に、福島原発事故とその後の国の施策に対する抗議の場として自然発生的に設置された。それから今日で、685日となる。まもなく2年になるわけだ。

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今、テントひろばは国から土地の明け渡しを求める訴訟を起こされている。国有地の不法占拠として提訴されたわけだが、どうして不法なものであろうか。この国の原発施策と民主主義を争う大事な裁判である。
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早稲田大学の名誉教授の佐藤昭夫氏は次のように訴えておられる。「経産省前テントは、原発大災害を心に刻むものであり、国がテント撤去を求めるのは、忘れさせ無かったことにしようとするものである。」

「憲法21条が保障する集会・結社・表現の自由は、民主主義社会において最も重要な基本的人権であり、最大限尊重されねばならない。民主主義社会において最も重要な基本的人権を奪おうとする本件訴訟は、訴権の乱用であり、直ちに却下されるべきものである。」

「本件は、国による典型的なスラップ(嫌がらせ)訴訟であり、表現の自由の侵害である。」
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首都圏反原発連合が呼びかけをして、国会議事堂周辺では毎週金曜日に抗議集会が行われている。「原発のない未来のために、大人の私たちが行動するのは、今しかありません。子どもたちの未来のためにも、すべての原発を無くそうと一人でも多くの人に伝えましょう。」

国会議事堂前の抗議集会には、今回の参議院選挙(東京都)で当選された若い女性議員がアピールされていた。

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官邸前抗議も、大勢の人々により行われていた。「福島第一の原発事故は収束していない!」「再稼働は絶対に許さない!」「大飯原発はすぐに停止せよ!」
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周辺にはこのような風刺漫画が置かれていた。
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路上では、反原発の音楽会も開かれていた。一緒に歌った。「戻れるか 果たして いつの日か戻れるか 放射能降り積もる わが故郷・・・・・・」
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「再稼働ありきの新規制基準にNo!」「再稼働より、一刻も早く事故収束を!被災者への補償を」首都圏反原発連合の呼びかけによって、8月にも毎週金曜日6時~8時まで主総鑑定・国会議事堂周辺抗議が行われる。

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仙台

早朝、仙台を歩く。昨年は青葉城跡を訪ねたので、今回は大崎八幡宮に行くことにする。片道約4キロである。定禅寺通りを西方に行き、勾当台公園を過ぎる。森の都と言われるだけあって、緑豊かな街である。

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広瀬川は昨日来の雨で濁っていた。

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林子平のゆかりの寺。

「親もなし妻なし子なし版木なし 鉦もなければ死にたくもなし」自ら六無斎と号した。
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ある幼稚園の前に、手造りの看板があった。
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ようやく大崎八幡宮に到着。

社殿は国宝に指定されている。総黒漆塗りの建物に、極彩色の彫刻が施されていて、豪華絢爛な桃山文化の粋を凝らしている。ちょうど、七夕祈願祭の笹が飾られて、多くの願い事が短冊に書かれていた。
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龍宝寺
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仙台駅には、今日から七夕飾りが飾られていた。いつか見に来たい。
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福島駅前には、芭蕉と曾良の旅姿立像があった。元禄2年(1689)に奥の細道に旅立った芭蕉は、今の日本をどのように見ることであろうか。
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東北本線で東京に行く。
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2013年7月25日 (木)

女川・松島

東北本線で仙台から小牛田、石巻線で浦宿まで行く。石ノ森漫画館リニューアルオープンを記念して、「マンガッタンライナー」が走っている。

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浦宿から代行バスに乗る。

山を下りると、悲惨な情景が広がっていた。

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死者597名、行方不明277名、全壊・半損壊3271戸。一人一人に尊い日々の生があっり、一戸一戸に温かい家族の営みがあったはずである。特に、世帯数3852戸の大部分が壊滅したのは、言葉にならない。
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女川港周辺は津波の被害が最も大きくて、今は跡形もない。復興事業が進み、残骸が取り除かれ整地されている。ここに多くの人が住んでいたと想像するのが難しいほどである。
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仮設住宅

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女川で頂いたパンフレットに次の言葉があり、胸を打った。「女川は流されたのではない 新しい女川に生まれ変わるんだ 人々は負けずに待ち続ける 新しい女川に住む喜びを感じるために」女川町の小学生の詩である。

震災前から、女川から秋刀魚の品物を取り寄せていた店がある。今はどうなっているのか、探し訪ねた。そして、ようやく万石浦で新しく工場を再建したというのを知り、訪ねていった。工場などすべて津波で流されてしまったが、奇跡的に瓦礫の中からさんま黒酢煮のレシピの入ったUSBが見つかり、製造を再開することができたという。東京の子たちへ、復興セットを贈った。
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建治の碑(1276年に建てられた供養碑)が工場脇にあった。
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蒲鉾本舗 高政「万石の里」を訪ねた。笹かまぼこの製造を見、試食も頂いた。
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浦宿から石巻を経て、矢本に着く。ここから仙石線の代行バスに乗り、松島へ行く。

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仙石線は寸断された。
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松島に着く。あいにく雨模様なので、島々はかすかに見えるだけだ。
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五大堂へ行く。
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瑞巌寺に参る。
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圓通院の山門

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三省殿
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天麟臨
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松島海岸から仙石線で仙台に帰る。
今夜は仙台最後の夜なので、食事を豪華にした。飲み放題が1000円だったので、生ビール日本酒ワインに至るまで深酔した。
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仙台名物牛タンを頼んだ。もちろん、美味。
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2013年7月24日 (水)

南三陸

気仙沼線BRT(バス高速輸送システム)で、南三陸の志津川に到着。

死者数612人、行方不明226名、みんな一人一人に尊い人生があった。全壊・半損壊3316戸、それそれの家で、家族の団欒があった。みんな、それが無くなった。

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残骸が取り除かれ、土が山積みされている。ここに多くの家があり人が住んでいたということが、全く信じられない。
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復興が急ピッチで進められている。
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僅かに残る残骸により、津波のすさまじさを実感する。
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瓦礫の山であるが、その一つ一つはすべて尊く大事なものだ。
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南三陸さんさん商店街で、買い物をする。お金を落とすことが少しでも復興に寄与することになればいいと願う。
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チリのイースター島から本物のモアイ像が今春南三陸町に贈られた。モアイを島外に出すことは初めてのことだという。モアイには、「未来に生きる」という意味がある。太平洋を越えて結ばれた友情は、大きな力となるであろう。
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3.11以前、以後の南三陸の町並みの写真が展示してあった。津波のすさまじさを、今更ながら実感した。
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再びBRTに乗り、柳津まで行く。
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柳津から気仙沼線に乗る。前谷地から石巻線に乗り、小牛田まで行く。
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南三陸でもらった新聞に次の言葉があり、心底感動してしまった。

「ここで生きてきた幸せ ここで生きていく喜び 海と共に生きるまち」

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気仙沼

仙台に泊まり、東北線・大船渡線に乗り、気仙沼駅で下車。

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市役所のここまで津波が来た!!
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港周辺には何も無い・・・・・・・。建物の残骸は跡形もなく片付けられていて、それが余計に悲惨さを際立たせている。
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気仙沼市の死者数1206人、行方不明236人。全壊・半壊11053戸。何と無残な数字か。
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ここに家があった。生活があった。幸せがあった。喜びも悲しみもあった。それがすっかりなくなった。
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復興店舗で食事をとった。

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鰹やイカのフライがおいしかった。
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駅近くの昔ながらの旅館。
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気仙沼からBRT(バス高速輸送システム)に乗り、南下する。
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ここに気仙沼線の線路があった。
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海近くの廃墟ビルが無残。
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気仙沼線の線路が流されていた。
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復興店舗が元気に営業されている。頑張って欲しい!!
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自分にいったい何が出来るのだろうか、そればかり考えて流浪した。

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志津川で下車する。

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2013年7月23日 (火)

相馬新地

相馬は、岡山に避難されているマジョリンさんの故郷だ。

岩沼から亘理まで、常磐線に乗る。亘理からは代行バスに乗り換える。

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新地で下車する。

「国破れて山河あり 城春にして草木深し」の詩がすぐに思い出された。二年前の春、(戦争ではないが、)津波によって人々の生活は奪い去られた。ここに確かに人々の暮らしがあったのだ。
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100名あまりが亡くなり、600軒近くが全壊・半損壊した。

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釣師浜に立ち、多くの命を奪った海を、とても憎く思った。
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ここを常磐線の電車が走っていた。
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常磐線の橋の跡
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それでもなお懸命に生きておられる。

「やるしかねえべ祭」を開催される。「笑顔と共に前へ」進まれようとする地元の人たちを、ただただ応援するしかない。

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また亘理まで戻る。
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七夕祭りが近づき、駅横の施設に七夕が飾られていた。
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荒廃した地を見てきた後だけに、「命」のあるものへと、カメラは自然と向いた。トイレの入り口の所に、ツバメの雛がいた。なぜか目頭が熱くなった。
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仙台へと行く。
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2013年7月22日 (月)

白石

東北の地を流浪した。

青春18切符を利用して、関西線・東海道線・東北線を乗り継いだ。宇都宮に一泊して、ようやく東北へと入った。大雨のために黒磯駅で電車はストップした。1時間ほど待って、電車は動き出す。

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郡山駅前には、放射線量を標示していた。ここでは少ないが、福島第一原子力発電所の事故は修復するどころか、放射性物質を含む汚染水が海へと流出するなど、益々混迷の度を深めている。
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「うねめまつり」が8月3・4日に行われる。「築こう 元気な こおりやま」という副題があり、元気を出して困難を乗り越えていかれることを祈るばかりだ。

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白石駅で下車する。

壽丸屋敷(明治中期の豪商の館)を訪ねる。

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新島八重の愛銃、スペンサー7連発騎兵銃の模型
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白石城(伊達政宗の重臣、片倉小十郎が建てた18000国の居城)に上る。

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武家屋敷旧小関家(中級武士)は、農家風の素朴な建物だった。

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沢端川の橋の欄干に、こけしが立っていた。
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蔵王酒造
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延命寺の山門は白石城の厩口門を移築したものである。

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安珍地蔵尊(道成寺物語の主人公の安珍は、当地の出身であり、その安珍を供養した。)
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「桜より 松は二木を 三月越し」岩沼駅前の芭蕉。

芭蕉が現在生きておられるならば、このフクシマの状況をどんなふうに見られるだろうか。
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2013年7月20日 (土)

京都ピースナインコンサート

京都教育文化センターで、2013年京都ピースナインコンサートが開かれた。今年で9回目ということで、京都蓮根の会などが主催して、憲法9条の会などが後援している。「バイバイ原発 いま、もう一度憲法を考えよう」というテーマで、4時間あまり出演者の皆さんは熱演された。

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横井久美子 さん

「行動するシンガーソングライター」として世界各地の歌を紹介されてきた。高石さんや笠木さんと競演することをたいへん喜んでおられた。「父をかえせ 母をかえせ・・・」の広島原爆の惨状と痛切な思いを描いた詩に、曲を付けられて歌われ、最後に館内のみんなで心を込めて歌った。特に、「私の愛した街」はすばらしい曲だと思った。軍隊に制圧されてもなお戦い続けようとする民衆の真の強さを、情感を込めて熱唱された。

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高石ともや さん

日本のフォークソング創生期より、今に至るまで活躍されている。一昨年に妻を亡くされ、悲しみを引きずっておられるようにお見受けしたが、それでもなお「生と死」「戦争と平和」などについて、熱く語られ、自然と歌に引き込まれていった。特に、この会場の近くが場所になっている、妻のとしこさんの作詞された「蝉しぐれ」は本当に素晴らしかった。みんなは自然に「we shall overcome・・・・」と一緒に歌われていた。
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松元ヒロ さん
ザ・ニュースペーパーを離れて、一人で芝居やマイムニュースなどを演じておられる。安倍晋三の物まねは特徴があまりないので難しいと言われていた。それに反して財務省大臣は口を曲げるだけで、本人になりきっておられた。自らを日本国憲法に見立てて演じられる「憲法くん」の一人芝居は、やはりこの憲法は理想だからこそ守り続けなくてはいけないと確信した。現実に合わせるのではなく、理想に近づける努力をすべきである。「憲法くん」を大いに励ましていきましょう。
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笠木透 さん  雑花塾のみなさん

「私に人生と言えるものがあるなら」から始まり、みんなの心をすぐに引きつけられた。今回は、「足尾鉱毒事件」を告発していった田中正造さんをテーマにして作られた歌を披露されていた。足尾銅山から、沖縄の基地、フクシマの被曝に至るまで、日本の根本の構造を変革しなければ、何も解決しないことを、歌や語りを通して強烈に訴えておられた。人権を侵害するものたちに対して、決して許すことが出来ない怒りが渦巻いていた。欲を言うならば、ストレートな曲調ばかりで、できたら叙情性も兼ね備えておられる岡山のOZAKIさん(雑花塾の一員)も出演して頂きたかった。ロビーでお会いして、直接その思いは伝えることが出来た。「ナナカマド」を京都の皆様にもぜひ知って欲しかった。山本忠夫さんのアコーディオン、鈴木さんや増田さんのギター演奏や歌は、これがフォークなのだとつくづくすばらしいと感動してしまった。笠木透さん、いつまでも民衆の立場に立って、元気に歌い続けていって欲しいと願います。
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尊く美しい充実した時間が、瞬く間に過ぎた。

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大文字山

午後からピースナインコンサートに参加するので、京都市内に行く。今出川で下り、東に向かって歩く。

百万遍知恩寺(法然の43歳の頃と伝える木像が安置される)
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子安観世音(白川道にあり、白川女は必ずここに花を供えて商いに出る)
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銀閣寺道にある漬物屋さんの看板
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大文字山は、五山の送り火で最も目立つ「大」の字が点火される、466mの山である。

登り口に石仏がおられた。
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初めのうちは、小川沿いに沿って登る。
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中尾山城跡から流れ出る清水
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更に登っていく。息が荒くなる。
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ようやく市内の景観が見え始める。
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大文字山の点火口に到着。
自分のその一人であるが、夏の暑いときなのに、登山客が多い。
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市街が眼下に見渡せる。
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望遠レンズにやり替える。京都タワー、御所、真如堂などがよく見えた。

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更に登り、三角点に到着。見晴らしはやや悪くなるが、南方がよく見える。
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大の字の右側のほうから下山する。急坂もあるので、少し危なかった。
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霊鑑寺(南禅寺派の尼寺)
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あまりにも暑いので、哲学の道には人気がなく、ベンチでゆっくり休息した。水中の鯉が気持ちよさそうであった。
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神宮丸太町の方へ歩く。

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2013年7月16日 (火)

祇園祭宵山

祇園祭の宵山に行った。午後すぐに仕事を早く切り上げて、JR近鉄・地下鉄を乗り継いで四条まで行った。
祇園祭は平安時代初めの頃疫病が流行して、神泉苑に66本の鉾(当時の国の数)を立て、祇園社の御神輿をお迎えして素盞嗚尊(すさのおのみこと)をお祭りし、病気平癒・開運除災を祈ったことに始まる。祭の担い手はしだいに町衆に移り、懸想品などで山鉾の豪華な美しさを競うようになった。

町衆の皆さんが秘蔵の工芸品や美術品を披露しもてなしてくださるので、今回はこれを目当てにまつりにやって来た。町屋がギャラリーになる機会は、宵山の期間だけだ。

長刀鉾

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函谷鉾

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菊水鉾

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占出山
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孟宗山
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山伏山
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鯉山
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浄妙山
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黒主山
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鈴鹿山
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役行者山

この日、僧侶らにより護摩が焚かれる。
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八幡山
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北観音山
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放下鉾
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綾傘鉾
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月鉾
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蟷螂山
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人間国宝の羽田登喜男が手がけた友禅。
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四条傘鉾
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船鉾
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岩戸山
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木賊(とくさ)山
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白楽天山
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ある店先に、山鉾のミニチュアが飾られていた。
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夕刻になり、駒形提灯に灯りが灯され、コンチキチン・・・・鉦や笛、太鼓のお囃子が響き渡る。

まつり情緒が漂い始めるが、夕刻より用事があり、残念ながら来年に持ち越し。

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2013年7月14日 (日)

祇園さんの喧嘩御輿

「祇園祭」が、福山市新市町の素盞嗚神社で行われた。地元の人たちから祇園さんと愛称している。この地の祇園信仰が播磨を経由して都に伝わり、「祇園祭」となったことで、発祥だと言われている。

祇園信仰は、祇園精舎の牛頭(ごす)天王と、素盞嗚命(すさのおのみこと)を共に祀る信仰で、最強のタッグで死者の怨霊を退治する御霊会から発展したものである。

早朝素盞嗚神社にお参りする。この神社は7世紀頃に創立されて、本殿は備後の初代藩主の水野勝成ヶが再建したという。

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夜の9時過ぎ頃より、3体の御輿が集まってきた。中須、新市、戸手相方の3地域の氏子たちが500キロ以上もある御輿を担いで、激しくぶつけ合う。激しければ激しいほど、無病息災の願いが叶うと言われるので、本当に気合いを入れてぶつけ合う。以前に死者が出たほどの豪壮激烈な祭であり、「けんか御輿」と呼ばれる。狭い境内に大勢の観客が集まり、それぞれの地域を熱狂的に応援する。

中須の御輿
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新市の御輿
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いよいよけんか御輿のぶつけ合いが始まった。ガツンンとぶつかり互いに御輿を押し合いぶつけ合い、御輿が押し出され地面に付いた方が負けとなる。荒々しい男たちは全ての力を合わせてぶつけ合う。今年は中須が勝ったようである。
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勝った中須の氏子たちは、実に嬉しそうだった。拝殿に御輿を納める。
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戸手の御輿が境内に入る。甥っ子も担いでいる。

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新市と中須のけんか御輿の勝敗は、甥っ子によれば、戸手が勝ったという。迫力満点の祭りである。

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2013年7月13日 (土)

帝釈峡

JRの広島めぐりパスを利用して、老母に会いに帰省した。

老母と一緒に帝釈峡に行き、涼をとった。

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出迎えてくれたのは、大山椒魚。
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神龍湖にかかる神龍橋は(湖面上の移動により架設された)
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老母は妻と共に食事する。その間に、帝釈峡を歩く。
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白雲洞(石灰岩で出来た奥行き200mの鍾乳洞)
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雄橋

全長90m、幅18m、厚さ24m、川底からの高さ40mあり、渓流の浸食作用で出来た日本一の天然橋。

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石灰岩のアーチ橋で、世界3大天然橋の一つ。
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国の天然記念物
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帝釈峡に咲いていた花たち。

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断魚渓(峡の中で最も流れが速い)
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鬼の供養塔(10mにも及ぶ石柱で、雄橋を作った鬼の供養塔と言われる)
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鬼の唐門(洞窟の入り口部分が天然の橋となって残っている)
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老母もゆっくりと涼をとり、休養できたようだ。

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2013年7月11日 (木)

月下美人咲く

妻の丹精して育てている月下美人が、今夕咲いた。

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月下美人はシャボテンの仲間であり、名前の通り月夜の晩の下で咲く、か弱く美しい美人のような花である。翌朝までに萎んでしまう。まさに「佳人薄命」のような花である。
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垂れ下がっていた蕾が、この夕刻に自然に上を向き芳香を放った。
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あまり代わり映えのしない日々であるが、今夜だけは贅沢な夜であった。

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2013年7月 6日 (土)

長寿道・下ツ道

畝傍駅で下車して、耳成山に登る。

耳成山は大和三山の一つで、わずか139.7mしかない。円錐形の秀麗な山容である。

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山に入ると直射日光が遮られ、やや涼しい。
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これが頂上。周囲の景色は全く見えない。
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耳成山を下山する。

醍醐町環濠跡(村落の周辺に2間くらい溝を掘り、内側に土居を盛り上げ、外敵の侵入に備えた)
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藤原京 

後方の山が天香具山。「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天香具山」

694年に、耳成山、天香具山、畝傍山の大和三山に挟まれた土地に、日本最初の政治都市と言える都を造営した。その後、平城京に遷都した。

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資料館で、詳しい説明をしていただいた。
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長寿道(阿倍文殊院から続く道)を歩き、おふさ観音に到着。

ちょうど「風鈴まつり」が行われていた。涼しげな音を響かせていた。風鈴の音が、夏の厄を祓ってくれるのだろう。
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全国各地から集めた風鈴を買い求めることもできる。
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池の傍らの風鈴が特に涼しげであった。
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下ツ道を北上する。

八木札の辻は下ツ道と伊勢道とが交差するところである。ここに18世紀後半に建てられた旅籠屋があり、現在交流館として一般公開されている。案内の方に丁寧な説明を受け、麦茶までいただた。二階で昼寝をすれば、風も良く通り最高な気分が味わえるだろう。
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八木札の辻の界隈は、江戸時代中期以降、伊勢参りや大峰山への参拝巡礼なので、特に賑わっていたという。現在も旧家が多い。
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昼は、橿原市でラーメンを食べた。「希望軒」のスープは、あっさり感が絶妙なバランスであった。底が見えるまで全部いただいた。チャーシュー大盛りは食べきれないくらいの迫力だった。
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下ツ道を更に北上すして、多神社に寄る。ここには、太安万侶も祀られている。東西に一間社の春日造りが並ぶ。江戸中期の建築様式であるらしい。
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今日は、久しぶりに2万5000歩を越えた。

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