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2014年7月

2014年7月30日 (水)

辺野古に基地を絶対作らせない

辺野古に基地を絶対に作らせない大阪行動の呼びかけで、近畿中部防衛局で「新基地建設反対」の緊急集会があった。谷町4丁目からすぐのところの官庁ビル内にあり、その前で抗議のアピールやシュプレヒコールを行った。Rimg_7327_r
平日にもかかわらず、30人近くの人が参加していた。防衛局から広報の担当者が2人ほど我々の前に出てきて耳を傾けてくれたが、上層部にどこまで届くかは心許ない。しかし、あきらめた段階で負けとなるので、粘り強く連帯して戦い続けなくてはいけない。沖縄の新基地建設反対の世論を無視して、埋め立てに向けた工事を強行しようとしている安倍政権に対して、ノーの声を上げ続けていきたい。

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辺野古新基地建設反対を願い、手作りのカードや衣装がステキだったし、勇気づけられた。
「辺野古現地における連日の建設阻止の行動に心を寄せながら、今できることを各地でも行いましょう。」
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午後からは、大阪地裁に行く。Tさんの「君が代不起立減給処分取消訴訟第3回口答弁論」の傍聴をした。君が代の起立斉唱を強制することや、不起立を理由に減給処分することは、明らかに憲法違反である。大阪府国旗国歌強制条例による職務命令は、教員の心の自由を侵害するもので、長い目で見て教育そのものを破壊するものである。

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その後、弁護士会館で報告集会があった。

7月31日(木)夕刻には、奈良駅前で「沖縄の辺野古高江につながる会」による、スタンディングとビラ配りに参加した。 あまりビラは受け取ってはもらえなかったが、笑顔を絶やさず行った。マイクを渡されたので、沖縄戦のことを引き合いに出して、「軍隊は人民を守らない、軍隊が守ろうとするのは国家しかない、人民が犠牲になることはもうやめにしよう」などとアピールした。

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『辺野古浜通信』より

「沖縄を犠牲にする浅はかな官僚。暴力と戦力を信奉する政党。安易な脅しにのり殺し合いに参加したいのか、止めることに協力するのかを、よく問いかけてください。(中略)沖縄だけの闘いではありません。辺野古や高江だけの闘いではありません。みなさんの力で、日本を変えてください。」

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2014年7月27日 (日)

陶芸(7月)

7月にでき上がった陶芸作品である。蔭山先生にはお世話になるばかりである。夏バテを防ぐために爽快なイメージで作りたかったが、さてできばえはどうであろうか。

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大きい器はなかなか難しく、思うようなものができない。
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知人がフリーマーケットをするので、小生の未熟な愚作を置いて頂いたが、まずまずの売れ行きだったそうである。全額寄付するつもりだ。

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2014年7月21日 (月)

瀬戸内海

帰省の翌日、早朝の散歩を兄とする。6歳上の兄の方が、歩くのは速い。山辺には石仏がおられる。

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ひまわり畑と睡蓮池に寄る。
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旧家がある。
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集落には、このような御堂が建てられている。
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雉子がいた!
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福塩線は、1時間に上り下り合わせて4本しかないローカルな鉄道だ。
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昼前から、老母を連れて瀬戸内海に行く。因島大橋、多々羅大橋などを過ぎ、大三島に着く。

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マーレ・グラッシア大三島で、塩風呂に入る。
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大山祇神社は通り過ぎる。ところミュージアム、伊藤豊雄建築ミュージアム、岩田健母と子のミュージアムなど、新しく美術館ができていた。
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ふるさと憩いの村に着く。廃校を宿泊施設に改造している。今から20年前にみんなで泊まったのでとても懐かしかった。老母もまだ若かった。今もなおゆったりと時間が流れている。すぐ前が海で、猛暑も忘れて貝拾いをした。

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2014年7月20日 (日)

けんか御輿

いなかで祇園祭があり、帰省した。いなかの人は、京都の祇園祭より古いものだと自慢している。真偽のほどは分からないが、勇壮な祭りであることは間違いない。

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各町内を御輿が巡回する。40近くの甥っ子も担いでいた。腰を痛めないように!

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素盞鳴(すさのお)神社は通称「天王(てんのう)さん」と呼ばれる。平安時代中期から祇園祭は始まったという。祇園祭の終了日の深夜、新市地区、戸手・相方地区、府中市中須地区の氏子たちが、3体の御輿を激しくぶつけ合う。
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まず中津地区の御輿が境内に入る。
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新市地区の御輿が境内に入る。

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いよいよ御輿が激突する。過去に怪我人や死者も出るほど、勇猛激烈な祭りであり、現在では櫓の上から止めに入る。

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ロープ内には入れないし、多人数の輪ができ遠くからしか見られないので、どちらが勝ったかは判明しない。遠くから見ていても、すごく迫力がある。
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まだまだ祭りは続く。10時30分が最終の電車なので、戸手地区の御輿を見ないままやむなく帰る。




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2014年7月19日 (土)

ピースナインコンサート

「ありがとう ピースナインコンサート ラスト公演」が、京都教育文化センターで開かれた。パンフより「憲法九条を守り、平和を愛する心で作ろう-京都の有志で始めたこのピースナインコンサート。10年目を迎える今年が最後の公演になります。戦争できる国づくり、キケンな原発再稼働への動きなど、情勢はまだまだ予断を許しません。唄を愛する心は、平和を愛する心。皆さん、今こそ声を一つに、ご一緒に歌いましょう。」

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午前中は京橋で会議があり、京阪電車で神宮丸太町まで行く。まだいくらか時間があったので、周辺を散策する。
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京都教育文化センターホールには、長蛇の列が並んでいた。岡山から雑花塾のメンバーとして尾崎さん来られていた。お忙しそうにされていたので、少しだけ挨拶する。
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川満七恵さんは現在宮古島に移住されて、沖縄民謡を歌われている。伸びのある歌声は真っ青な沖縄の海を連想させる。数年前島内のホテルでお聴きしたことがあるのを思い出した。
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高石ともやさんは、語りと唄が一体となり、いつの間にか唄が始まっている。フォークというものはカルチャーなのだということを強調されていた。メディアですぐに広まる歌は、民衆のフォークではない。いろんな町の会場で聴衆との間で創り上げる唄こそ、本当のフォークなのだと言われていた。「巡礼歌集」の中の「六波羅蜜寺」の唄が心にしみわたった。

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松元ヒロさんが危険な政治情勢を笑いで風刺する一人芝居は、痛快に面白かった。政治家の物まねをしながら、その偽善性を巧みに浮き彫りにされる。麻生さんや小泉さんの物まねは何回見ても、ついつい笑ってしまう。自分が日本国憲法になる、「ケンポー君」が、朗々と前文を朗読する姿を見ながら、絶対にこの憲法を守らなくてはいけないと強く確信した。

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野田淳子さんは、人のもつ優しさを透明感のある声で送り届けてくださる。このコンサートが終わりになることを悲しんでおられたが、きっと形を変えて蘇ることだろうと希望を語ってくださった。金子みすゞの詩に曲を付けた歌が好きなのだが、今回は笠木透さんと雑花塾の歌「涙の潮」を歌われて、これも実に感動的なものだった。
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笠木透さんと雑花塾が最後に登場された。笠木さんが杖をもっておられることにまず驚いた。笠木さんは足がお悪いのであろうか。三途の川が見えるところまで行ったと、辛いことを面白く話されていた。まだまだ渡って欲しくない。嬉しかったのは、山本さん親娘の演奏と歌が聴けたことである。「カンオケの歌」は雑花塾との活動の中で生まれた、やまみちゃんのフォークの代表作である。やまみちゃんの淡々とした歌唱の中に、表情豊かな命が漲っているのが大好きである。岡山の尾崎さんの作曲された「ピース・オールマナック・シンガーズ」や「えんねさんのジャガイモのすりやき」は平和を希求する歌で、やはり心にズシンと伝わってきた。欲を言えば、尾崎さんの天空に響く声でこれらの歌をお聴きしたかった。

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最後は、みんなで「私の子どもたち」と「街」を歌った。ステージに上がって大きな声で歌われる、その表情はあまりにも美しかった。アンコール曲は、「あなたが夜明けを告げる子どもたち」で、ケンポー君の歌詞を表現するジェスチャーに爆笑してしまった。
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ピースナインコンサートはラストではなく、来年新たなスタートを切って欲しいと強く切望する。

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2014年7月12日 (土)

三楽三座

19年ぶりの「三楽三座」が、愛知芸術劇場で4時半より開かれた。これがおわりのホレホレバンドの主催による。パンフにはこのような言葉があった。「2011年3月11日の震災が起き、故郷に帰る見通しもままならない現実と、思い知らされた原発事故の教訓を顧みず再稼働しようとする国。(中略)景気が良くなったとしても、一握りの人たちの裕福さだけで良いはずがありません。」全く共感した。

三楽三座とは、これがおわりのホレホレバンド(結成から27年、名古屋尾張地方)、土着民(結成から43年、中津川市付知町)、我夢土下座(結成から44年、中津川市)の、3つのバンドによるフォークコンサートである。今から45年前のフォークジャンボリーが、音楽の原点になっている。

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愛知芸術劇場は、地下鉄栄駅から間近で名古屋の中心部に位置する。絵画関係の市が行われていた。

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これがおわりのホレホレバンドは、生活に関わる教育、福祉、労働、政治、経済など幅広いテーマで暮らしに関わる歌を作り続けておられる。一人一人が存在感のある個性を持ち、まさに「ほれぼれ」してしまうような魅力溢れるバンドである。

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土着民は、付知町の鼓土里座を自分たちで建てられ、そこを拠点に歌って踊って芝居しておられる。小さな村に土着して歌を作りづけておられるバンドである。それにしても前のリーダーのエンターテインメントぶりには、会場は拍手喝采であった。顔の表情だけでも、十分に絵になる。大棟梁が新しくCDを作られたので、コンサート開始前に購入した。

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いよいよ待ちに待った、我らが我夢土下座の登場。間宮さんが回復されて、口芸で魅了させて頂いた。社会を風刺する辛辣な話題から、地元坂下にまつわる山頭火の文芸に関する話題まで、話に聞き入ってしまった。「山にて眠り河にて眠る」「真空の街」「遠い故郷」は、何れも作詩は細田登さん、作曲は田口正和さんであり、フィールドフォークの名曲の一つと言っても過言ではない。このような歌こそ、民衆のなかで生まれ育っている真の歌である。いつまでも民衆の間で歌い続けられるであろう。メジャーではないけれど、ほんもののバンドが存在している。間宮さんが言われていたように、すばらしいフィールドフォークを次々に創造される、その才能に尊敬の念を抱かざるを得ない。

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再び、これがおわりのホレホレバンドの登場。「ならぬことはならぬのです」は憲法九条を変えようとする動きに、毅然として立ち向かう歌であった。いっぺんに好きになった。
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出演者一同でアンコールに応えられた。
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終わったのが8時前で、あっという間に終わった感じだった。時が止まって欲しかった。名古屋から近鉄特急で帰る。余韻に浸りながら、ビールを飲みつつ・・・・。

8月2日(土)に椛の湖で「SUN SUN 椛の湖 コンサート 2014」が行われる。フォークジャンボリーを知らない子どもたちへ本当のフォークを伝えるためのイベントである。我夢土下座も土着民も出演されて見に行きたいのだが、木曽駒に登るので残念ながら参加できない。

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木曾三川

近鉄長島駅で下車する。桑名市長島地区は木曽川と長良川に挟まれた中州で、水との闘いの歴史が刻まれている。

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高い石垣が積まれている。
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輪中の里を通り過ぎる。
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スイカが熟れていた。
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木曾三川(木曽川・長良川・揖斐川)は明治の河川工事で三川を分流した。

船頭平こう門は、水位の違う長良川と木曽川を往来できるようにした門である。
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人権の松(枝が人の漢字になっている)
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近くの船頭平河川公園には、蓮池があった。
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長良川沿いに歩く。木曾三川公園のタワーが見える。
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長良川(左側)と木曽川(右側)。
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長良川を渡る。
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木曾三川公園にある輪中の農家。
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洪水時に供えて、あげ舟が用意されている。
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洪水時に水が通りやすくするために、田の字型で壁が少ない。
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タワー下の花園。タワーに上ったら三川がよく見えるであろうが、高額なためにやめた。
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揖斐川を渡る。
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多度川の畔で休息する。

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多度大社に参る。本殿の奥には滝。
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多度駅まで歩く。民家前に手作りの人形たちがいた。3万歩を超えていた。
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近鉄多度駅は養老線にある。対向車は大垣まで行く。
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桑名まで行き、再び名古屋へ。これからコンサートがある。

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2014年7月11日 (金)

一身田寺内町

近鉄津駅で下車する。偕楽公園に行く。

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一身田に向けて5キロくらい歩く。美術館や総合文化センターなどを通り過ぎる。
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ようやく一身田寺内町が見えだした。
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寺内町に入る。寺内町は専修寺を中心に、末寺や商家や宿屋などが集まり町を構成して、外堀で囲まれている。その範囲は東西約500m、南北約450m。

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商家が立ち並ぶ。
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昔懐かしい金物屋さん。私の実家もそうであったので、幼少の頃を思い出してしまった。
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石橋と釘貫門は何れも江戸時代のもの。

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山門(1704年建築)
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真宗高田派本山の専修時(せんじゅじ)。

御影堂(1666年建築)は親鸞聖人の木造を安置する、780畳の大きな御堂である。Rimg_5718_r_2
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鐘楼
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蓮池そばで汗をぬぐい、しばらく休息する。
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太鼓門
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御影堂は全国屈指の大きな建物である。
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御影堂の横に、如来堂(1748年建築)がある。
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その横に太子堂がある。
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御廟(1672年造)
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唐門(1844年建築)
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寺内町を後にして、高田本山駅まで歩く。
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名古屋まで行き、安宿に泊まる。

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2014年7月 6日 (日)

雨の嵐山

東京から息子家族が来ているので、保養を兼ねて嵐山に行く。あいにくの雨。

鈴虫寺に参る。

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苔寺は予約が必要。
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嵐山高雄パークウエイを走る。雨で神護寺参拝は断念。

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保津川を眼下に眺める。
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7月7日(月)5時過ぎ頃から、単身で嵯峨野を歩く。さすがに観光客は誰もいない。

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天竜寺
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野宮神社
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祇王寺
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化野念仏寺
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愛宕街道
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寂庵(瀬戸内寂聴さんの草庵)
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嵯峨鳥居本の旧家
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常寂光寺

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小倉池

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嵐山公園展望台から保津川を眺める。
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川縁を歩く。夜になれば鵜飼いが行われている。
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宿に帰って食事の後、一家でトロッコ列車に乗る。

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保津川下りの舟が見えた。
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トロッコ亀岡駅で下車して、馬車に乗る。
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馬堀駅からJRに乗り、嵐山駅まで帰る。息子一家が東京に帰るのを見送る。

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2014年7月 4日 (金)

原発賠償京都訴訟

原発賠償京都訴訟の第3回口頭弁論が京都地裁で行われ、傍聴に参加した。京都地裁では最も広い101号法廷ではあるが、傍聴者で満席となり、入れなかった人は弁護士会館で説明を受けることになった。

事務局長の田辺弁護士からのメールを紹介する。

「第3回の期日では,因果関係についての主張をします。国や東電は,避難指示区域の外におられた方については,「自主的避難者」であるとして十分な補償をせずにいました。しかし,これらの方々も,決して勝手に逃げたのではなく,逃げざるを得なかったのです。そして,そのことによる損害は,国・東電が賠償しなければならない範囲のものであることを指摘します。法律上,賠償しなければ範囲は,単なる因果関係でなく「相当因果関係」が必要と言われています。 「相当性」が必要なのです。この相当性を国・東電は,「(区域外には)放射線による健康被害のリスクがない」という科学論争にしようとしています。私たちは,この問題は科学論争ではなく,社会的な観点から判断するべきだと主張しています。」
 
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「そして,その判断をする際の根拠を3つ,指摘します。
 
 一つ目は,放射線が人体に及ぼす影響には様々なものがあるということです
 二つ目は,過去にいくつもの放射線被ばく事故が起こっており,被害が現に生じているということです。
 三つ目は,国内法は,公衆の実効線量限度を年間1ミリシーベルトと極めて厳格に定めていたと言うことです。」
 
 
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「一つ目,放射線の影響について,重要なポイントは,次のとおりです。
 
 まず,区域の内外を分ける実効線量は,外部被曝についてのものであり,内部被曝の危険性は勘案されていません。そして,内部被曝は,アルファ線による傷害を招く大変恐ろしいものです。また,放射線による影響には,いくら以下の数値なら心配しなくて良いといういわゆるしきい値がありません。

 二つ目,過去の放射線被ばく事故は,広島・長崎の原爆,第五福竜丸事件,JCO,チェルノブイリ等,いずれも悲惨な結果をもたらしており,このことは人々の記憶に染みついています。

 三つ目,日本政府は,1990年のICRP勧告を受けて,これを国内法に取り入れ,炉規法,電気事業法,放射線障害防止法によって,いずれも罰則等のペナルティによって年間1ミリシーベルトを守らせています。

これらの事情に照らせば,福島県や隣接する地域から多くの人が避難したことには社会的な相当性が認められるのは当然ということになります。」

弁護士のパワーポイントを使ってされたプレゼンは、実にわかりやすかった。裁判官もしっかりと聞いておられたようだ。それに対して、東電と国の弁護士は人ごとのように聞いているようで、全く許せない気がした。

裁判が終わり、京都弁護士会館で報告会が行われた。 
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鴨川を渡り、神宮丸太町から京阪・JRで帰宅する。
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福井地裁の大飯原発差し止め訴訟での判決では、「人格権」が何よりも優先されるとあった。この原発賠償訴訟においても、「人格権」に基づき、国と東電は避難者にきちんと賠償すべきであると私は考える。

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