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2015年4月

2015年4月30日 (木)

南紀(南方熊楠と古座川)

和歌山フリーパス(3日間特急・普通・バス乗り放題)の格安切符(9000円)を使い、まず紀伊田辺へ。高山寺に南方熊楠の墓参りに行く。博物学・宗教学・民俗学の先駆者としての膨大な仕事に比して、熊楠のお墓は意外に小さいものだった。

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南方熊楠の顕彰館を訪ねる。蔵書や資料を公開している。その横に、熊楠が半生を過ごした旧宅がある。
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切り通し神社の大楠。町が火災に遭った際、この巨木から水が湧き出し救ったという。
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闘鶏神社を訪ねる。武蔵坊弁慶が義経の命を受け、父の熊野別当湛増が社前で赤と白の鶏を闘わせ、白の鶏が勝ったので、源氏に味方することを決めたという。境内には、樹齢約1200年の大楠がある。歴史小説家の神坂次郎はこの大楠の下で、「鬼打ち猿丸」の小説の着想を得たという。
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古座駅で下車する。レンタサイクルは電動付きである。3時間1500円。大自然の恵み豊かな熊野の山々、その中央に位置する大塔山を母としてクリスタルリバーが流れる。清流を眺めながら、ひとときむさ苦しい世相を忘れる。次回は、カヌーに乗りたい。
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月の瀬に少女峰(しょうじょほう)という山がある。おふじという気立ての良い少女が、望まぬ結婚を迫られ、この高い峰から古座川に身を投じたという。
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一枚岩に到着。高さ約100メートル、幅500メートルの巨岩である。写真に収まりきらないほど、とにかく巨大すぎる。
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戻り道は下りなのでスピードを上げる。時間が少し余ったので、太平洋を見に行く。橋杭岩が遠望できた。鯛にそっくりの島が見える。数年前に、この近くの民宿に泊まったことがある。魚介類が食べきれないほどだった。
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サンボという柑橘を初めて食べた。果汁は少ないがわりと甘かった。この小さい果物店の上にある、安宿に泊まる。夕食に刺身などは出なかったけれど、宿の主は親切だった。酒は持ち込み自由なので、よく飲んだ。

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2015年4月28日 (火)

今日は何の日?

勤務日なので時間休を取り、奈良駅前に4時前に駆けつける。沖縄の辺野古・高江につながる奈良の会主催によるアピール行動に参加した。奈良駅前を通行される方に少しでも興味を持って頂くために、「今日は何の日?」のクイズを出して、答と思う箇所にシールを貼ってもらった。また、奈良・沖縄連帯委員会の代表である崎浜氏が、わかりやすくかつ熱情的にスピーチをされた。ビラ配りもしたのだが、いつものことながらビラさえ受け取られない方が結構いる。しかし、笑顔を絶やさないように努めた。無関心層に何とか少しでも理解してもらうためには、笑顔が大事だ。

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何人か立ち止まって、クイズに参加された。学生や子どもたちも楽しそうにクイズに参加した。クイズに参加する方たちは沖縄の問題に関心を寄せる方が多く、全問正解の人もおられた。
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第1問「今日は何の日?」の答は、「屈辱の日」が正解。1952年4月28日に対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、日本は独立国として主権を回復した(真の意味では、まだ主権を回復したとは言えないが)。しかし、沖縄・奄美はそれから切り離され、米軍の施政権下に置かれることになった。それで、沖縄ではこの日を日本から見捨てられた「屈辱の日」と呼んでいる。沖縄が日本に復帰したのは、1972年。今もなお、米軍基地の74%が集中したままである。

琉球大学名誉教授「沖縄戦で多大な犠牲を強いられた上に、沖縄はこの日に切り捨てられた。沖縄の戦後の苦難の歴史の原点とも言える日。祝う気持ちになれるはずがない。」
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赤色のよく目立つ旗はよく目立ち、写真に納める観光客もいた。少しでも今の政治の動きに関心を持って頂きたい。もちろん私たちの考えだけが正しくてそれを押しつけようとは思わないが、流されないで自分の頭で考えて欲しい。ぜひ沖縄の視点で、国のあり方をいろいろ考えてみて欲しい。
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ほぼ答は合っていた。正解率が悪かったのは、第7問「沖縄県民葬所得に占める基地関連収入の割合は何パーセントか?」である。正解は、5%。1972年には15%あったが、今では観光収入が増えて、基地関連収入は減りつつある。基地の土地を返還された那覇市では、基地のあった場所の収入が約600億円と激増している。翁長知事は「基地は沖縄発展の最大の阻害要因である」と喝破されている。なお、第9問は①から⑤まで全て正解である。要するに、辺野古は普天間基地の移設ではなく、軍港をも供えた巨大な軍事要塞なのである。しかも耐用年数は200年というのだから、沖縄の未来に続く子どもたちに、苦難を押しつけることになる。
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沖縄タイムスより

「1952年4月28日、対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効した。歴史的な日付であるにもかかわらず、日本と沖縄では「4・28」の歴史の記憶を共有することができない。
 日本にとって「4・28」は独立を祝う記念すべき日だったかもしれないが、沖縄にとっては新たな苦難の始まりの日であった。基地を維持するために米国が絶対的な統治権を保有し、軍事政策を全てに優先させてきた地域は沖縄以外にない。
 戦後70年という節目の年の、4月28日という歴史的な日に、ワシントンで、日米首脳会談が開かれる。
 首相が訪米土産を意識し、気負い立って進めてきた「安保法制の整備」や「日米防衛協力の指針(ガイドライン)の再改定」、「名護市辺野古への新基地建設」は、いずれも国民的な合意が得られていない。
 国会での十分な議論もないまま対外公約を先行させ、「国際公約だから」との理由で国会に追認を求めるようなことがあってはならない。
 首脳会談で辺野古移設を再確認すれば、沖縄の人々は再び「4・28」の日に切り捨てられた、と憤りを込めて思うだろう。」

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2015年4月26日 (日)

和束の里

「我夢土下座フィールドフォークコンサートinかも・わつか」が11月に行われる予定である。その招致実行委員会ができ(実際は、いつもの飲み会の延長である)、今日はメンバーたちが和束の里に下見に行く。来て頂くからには、フィールドフォークにふさわしい会場で演奏して頂きたく、何カ所か回った。

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和束町は、宇治茶として名の知られている煎茶の主産地である。山裾から山頂まで、丘陵の形状に合わせて茶畑が広がる。茶畑の景観は生業(なりわい)景観として、京都府選定文化的景観に選定されている。

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ゆうあんビレッジを下見する。周りには茶畑が広がる。ゆうあんビレッジは、古民家ゲストハウスである。独特な外形や太い梁の露わに見えている室内は風情があり、ピアノも兼備しているが、駐車場が無いのが難点であった。ここまで来る道は細く、車の誘導がたいへんで、やや無理ではないかという結論となった。
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次は、「和束丘の上の家」を下見する。白栖(しらす)茶房の坂の上にある古民家である。茶畑が眼下に広がる見晴らしの良い場所である。ときどきライブやワークショップが行われている。難点は、やはり駐車場の問題である。更に会場が50人くらいしか入れず狭いので、少し無理だろうという結論になった。

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次に、活道が丘公園周辺の施設を下見する。安積親王陵墓の際(きわ)まで茶畑が迫っている。親王は聖武天皇の第5皇子で、17歳で死去した。恭仁京と紫香楽京都を結ぶ街道を愛していた皇子のために、ここに陵墓が作られたという。

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和束茶カフェに立ち寄る。客が次々に訪ねて、お茶やその加工品を買って行く。タラの芽や筍も売っていた。新茶は出初めの時期で、50グラムで1500円位とすごく高かったもう少し経てば、100グラム1000円くらいになる。メンバーのU氏の実家は、茶農家である。
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活道が丘公園に行く。茶源郷祭りの時には、この野外ステージでライブが行われる。オープンスペースであり、小鳥のさえずりと森の美味しい空気に包まれている。我夢土下座のフィールドフォークコンサートの会場としてふさわしいと思うが、雨の場合を考えたら決定できない。
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ステージから見た景観。
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次に、てらす和豆香を下見する。森の中にある平屋建ての、100人余りが入れる場所である。周囲がガラス張りで、森と一体化しているような雰囲気である。一目見てからすぐに、ここが一番良いのではないかという声がメンバーたちの中からわきおこった。風情のあるスペースで、駐車場も多くあり、トイレも完備している。あとは音響効果についてであるが、素人なので何とも言えないが、ここにしようとメンバーは意見が一致した。
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あとは泊まるところであるが、てらす和豆香のすぐそばに和束山の家があるのだが、耐震改修工事が始まり、11月宿泊できない。
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ここから山道を少し登ると、「天空カフェ」がある。3年前にオープンして、和束茶を飲みながら周りの茶畑を心ゆくまで堪能できる。我夢土下座のメンバーにはコンサートの前に案内するつもりだ。

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最後は宿泊の問題。和束や加茂には宿泊場所があまりないので、こんな時に困る。

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昨日訪ねた、加茂山の家を再訪する。和束の里から車で約15分くらい。周りは山々で閑静な場所にあり、ここを拠点に浄瑠璃寺・岩船寺や、石仏巡りもできる。いくら騒いでも迷惑にならない。ここが良いのではないかという声が多かった。
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夕刻より、M氏宅で打ち合わせ会、と言っても飲み会。奥様手作りの料理が次から次へ出て、酒は、私の持参した「小野桜」。

これが楽しみでやっているのかもしれない。遅くまでお世話になった。ありがとうございました!

メンバーのU氏の提案で、「我夢土下座フィールドフォークコンサートin茶畑」と名付けることになった。ありがたいことに、これから飲み会が増えそうである。

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2015年4月25日 (土)

当尾の里

午前中は孫娘と公園に行く。いつも出回っているので、少しは家族サービスをしなければと心がけている。

午後からは当尾の里に行く。11月に我夢土下座をお招きして、「フィールドフォークコンサートin加茂・和束」を行う予定である。我夢土下座は、中津川の地でフォークジャンボリー以来45年間、音楽活動をされている。大地や生活に根付いたフィールドフォークを作られ続けており、フォークの名曲が数多くある。素晴らしいフォークをお聴きするために、それにふさわしい会場を、今日は単身で、明日は仲間たちと和束町を下見する。

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当尾小学校は廃校となり、今は当尾の里会館。20年くらい前に木造から建て替えられた(木造校舎は風情があった!)。ここの体育館が候補の一つ。ただ11月の時期に改修工事をするかもしれないということだ。
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やけ仏(阿弥陀三尊石仏)は元亨2年(1322年)に造立された。辻堂があり何度も焼失して、仏さまのお顔は痛々しいけれど、里を見守ってくださっている。その近くに、加茂の山の家と山の家がある。
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山の家の研修室、プラネタリウムのホールも、コンサート会場の候補である。研修室は70名くらいだが、大広間ゆえに少し味気ない。ホールは40名くらいで少し狭い。音響効果はどうであろうか。
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山の家から200㍍くらい山道を上ったところに、仏谷阿弥陀磨崖仏がおられる。巨大な花崗岩に彫られた丈六(約2.5m)の如来座像は、いつ見てもやさしく微笑んでおられる。
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さらに300㍍くらい山道を上ったところに、陶芸小屋がある。庭には赤躑躅が満開であった。2時間ほど陶芸に没頭する。
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ここから1キロくらい行ったところに、浄瑠璃寺がある。寺の紅葉は言葉に表せないほど素晴らしい。

我夢土下座を招致する実行委員会が発足したので、明日そのメンバーたちに今日の下見について報告するつもりだ。
明日は、バレーのあとに和束町に行き、コンサート会場の下見をする。

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2015年4月19日 (日)

陶芸作品(4月)

あじさいホールの傍らに、大阪城石材の残石がある。伊勢津藩主の藤堂高虎が自ら加茂に滞在し、石垣修築用に大野山から切り出して、木津川を下って運びだそうとした残石である。今回は、その石の上で拙い陶芸作品を撮ってみた。

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少しでもマシに見えるかと思ってしたのだが、作品そのものがまだまだ未熟であることが浮き彫りになったようだ。

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2015年4月18日 (土)

花を愛でて後に集会へ

大阪駅から御堂筋を下る。大阪市役所を見ながら、5月17日に行われる「都構想」の住民投票のことを考えた。126年続いた大阪市を解体して、5つの特別区を作り無駄を無くすということだが、「絵に描いた餅」であり、その餅はおそらく食えないだろう。住民サービスが切り詰められていくことは目に見えている。反対であるが、市民でないので投票権がないのが残念だ。

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大川(淀川)沿いに歩く。ツツジが満開である。川の向こうにあるのが、大阪地裁。明後日には、知人の「ひのきみ」訴訟の傍聴に参加する。知人は「思想信条の自由」ゆえに「ひのきみ」に立たなかった。その為に、戒告処分を受け、再任用も拒否された。憲法に基づき、処分撤回のために告訴している。美しいツツジを見ながら、どうしてこの社会は、立つ自由座る自由を認めないのか、度量の狭いことにつくづく情けなくなる。
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図書館や公会堂を通りすぎる。
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バラ園では何か催しが行われていた。陽気に誘われて、弁当を広げている。
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イベントに向けていろんな物を作っていた。
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桜の名残。
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造幣局の通り抜けは終わったが、八重桜の名残を愛でる。
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散策のあと、「井前処分を撤回させる会」の結成集会に参加した。井前さんは、2014年の入学式に「ひのきみ」に立たなかった為に(職務命令がなかったにもかかわらず)、戒告処分を受けている。
冠木弁護士の「憲法の破壊攻撃と『日の丸・君が代』闘争の展望」と題して講演があった。
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「最大の問題は、天皇主権の戦前国家から国民主権の現憲法国家へのいわば革命的変化がなされているのに、国旗・国歌が同一であり、かつ国旗国歌法制化制定時の政府答弁「強制しない」に反して、学校の卒・入学式に敬礼・起立・斉唱を強制しているという最大の憲法違反がなされている。」

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2015年4月17日 (金)

岡山禁酒會舘マンスリーライブ VOL.171

岡山禁酒會舘マンスリーライブLIVE=LIFE VOL.171に参加した。

今回のライブは、5月17日に開催される≪トリビュート ピート・シーガー&笠木透 ≫「2015憲法フォークジャンボリーinおかやま」の、「プレ・コンサート」である。

「2014年に死去したアメリカと日本の偉大なフォークシンガー、ピートシーガーと笠木透をトリビュートし、二人が希求した『平和』を再確認すると共に、世界の宝ともいえる『憲法9条』が永遠に輝き続けることを願って」開催される。憲法フォークジャンボリーの趣旨に私は全面的に大賛成であり、微力ながら力を尽くしたいと願っている。戦争への道をひた走る現政権に毅然として対峙することは、今こそ必要であるからだ。辺野古・高江で米軍新基地建設に反対して座り込むウチナーンチュがそうであるように。

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岡山城西丸西平櫓は国指定重要文化財であり、この建物を見えるようにするために駐車場にしたという。以前は、横の建物との間のスペースが秘密のアジトのような感じで、そこの小さな舞台でコンサートも行われたという。なんだか、風情がなくなったような感じがして、いささか寂しい思いがする。
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建物の中は古めかしくて、タイムスリップしたような懐かしい趣きである。この雰囲気の中から、今をビビッドに生きるフォークシンガたちが音を奏でる。
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OZAKI UNITは全員揃われていた。仕事があり多忙にもかかわらず、毎月集まり演奏し、ライブが行われている。これが14年以上も続いていることに、驚嘆と共に敬服せざるを得ない。メンバーのみなさまに対して、感謝の思いは言葉では言い尽くせない。

「小さな館」「Hobo'sLullaby(ホーボーズ ララバイ)」を歌われる。「小さな館」は、OZAKI UNITの定番であり、これがないと始まらない。「ホーボーズララバイ」には、正直驚いた。このような「流浪」のテーマで、尾崎さんの歌を聴いたことがなかったからである。流浪の悲哀は、尾崎さんの歌唱力によって益々深まる。現在岡山の吉備路文学館で「若山牧水展」が開かれているが、その関連があるのだろうか。「人生は旅である。私の歌はその時々の私の生命の破片である。」牧水

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吉井江里さん登場!初めてお目にかかるのだが、その音楽の解釈の仕方に圧倒されてしまった。「Amazing Grace」を、二つの歌と、ピアノ演奏とで3種類演じられた。「私に人生と言えるものがあるなら」をピアノを弾きながら歌われたが、今まで聞いたことがないようなイメージを与えていただいた。過去のことなどもっと軽い感じで受け流したらいいよと、どっぷりと情感に流れなくてもいい受け取り方を教えていただいた。このような歌の解釈は初めてであり、新鮮だった。

音楽の情操的な力や楽しさを思う存分発揮されている、魅力的なお方である。このようにたいへんすてきなミュージシャンが普通に自然とこのライブに出てこられるのが、岡山禁酒會舘マンスリーライブのすばらしさであろう。夢なのだが、岡山に在住していれば、ぜひとも歌のご指導をお願いしたい。
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尾崎さんが、笠木透さんやピートシンガーのことをお話しされた。1986年7月に岡山で「ピートシーガー」のコンサートが行われ、笠木透さんはフォークスを率いて出演された。笠木さんはピートシーガを「歌ったように生き、生きたことを歌った」偉大なフォークシンガーと敬愛されている。
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笠木透さんの40代の頃の映像を見せて頂いた。1980年代であろうか、笠木透さんのランニング、ふるさとの岩村町探訪、コンサート風景を映し出していた。その頃の姿や歌いかた、声の質は、恵那地方のアイドルのように爽やかで格好良く、晩年の迫力ある重厚なものとは違っていた。(歩き方は同じであった!)あ、これやったら、若者たちのこころをぐんぐん引きつけるなと思った。年輪を重ねた人生晩年の歌唱、だみ声の方が、個人的には好きであるが、思わず映像に引き込まれてしまった。そして、我夢土下座の田口さんのお若い頃のきりっとしたお姿には、目が釘付けになった。笠木透作詞、田口正和作曲のフォークの名曲「時は流れて」「わが大地の歌」「小さな町」などは、この頃生み出されたのであろう。
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ピートシーガーの日本語訳の貴重な映像も見せて頂いた。「We Shall OverCome」や、「花はどこへ行った」などは知っているが、殆ど彼の人生のことは知らない。つくづく思ったことは、フォークというのは、国や国家のために作られるのではなく、民衆の中から作り出されるものだということである。差別される弱き側に立って、反戦歌や反公害など、反権力の歌を作り続けたピートシーガこそ、真のフォークシンガーである。
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5月17日(日)の「憲法フォークジャンボリーinおかやま」に出演されるフォークシンガーたちのことを紹介された。プロ・アマを問わず、知名度は低いかもしれないけれど、笠木透さんのフォークの理念を継承さえている方たちばかりである。雑花塾、中川五郎、よしだよしこ、趙 博(パギやん)、その他に凪の座、武部仁など地域に根付いたフォークシンガーたちである。ここには今を必死に生きる民衆の側に立った本物の音楽がある。「商品化されない、画一的ではない」、今の時代を生きるひとりひとりの生活者としてのこころが、歌に鮮やかに表出される。
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尾崎さんは、笠木透さんの最晩年のお姿を話された。癌にもかかわらず気丈に生き、歌を作り、歌い続けられたお姿を聞き、最後の最後まで自己を貫き骨太に生きられた笠木さんの生き方に深く感銘した。ステージ衣装のアロハとジーンズをなぜ着るのか、その意味も教えて頂いた。虐げられる側、差別される側、苦労を押しつけられる側に立って、生涯歌を作り続け、歌い続けて「文化で闘」ってこられた笠木透さんこそ、正真正銘の音楽家であり真のフォークシンガーである。尾崎さんが笠木さんと最後に握手をする場面を語られたときに、思わずジーンと悲しみが込み上げてきた。なんとか涙を抑えた。
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再び、OZAKI UNITが登場。「「メープルシロップ」を歌い、「平和の暦」は会場の人たちも一緒に歌った。何れも笠木透作曲、尾崎ツトム作曲である。下記の「笠木透と雑花塾」CD文庫には、OZAKI UNITも参加している。
   vol.8『平和の暦~Peace Almanac Singers~』
   vol.7『われここにあり~田中正造没後100年』
   vol.6『豊かな青い海~東日本大震災2 ~』 
   vol.5『私の子どもたちへ~東日本大震災~』 
   vol.4『非暴力~愛するもののために~』
    vol.3『ポスター~大逆事件100年~』 
大逆事件で連座して処刑された熊野の大石誠之助を歌った、「川は忘れない」をお聴きしてから、尾崎さんのファンになったことを思い出した。尾崎さんは笠木透さんの詩を読めば、自然とメロディーが浮かんでくると言われていた。二人の運命的な出会いは、フォークの歴史の中で語り継がなければならない。「愛するもののために」「あの日から」「ナナカマド」「葦の声」など、一度聞いたら忘れられなくなる名曲である。
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ライブが終わり、後片付けを手伝う。椅子や机を元の場所に返し、音楽機材をまとめて車に運び入れる。これはなかなかたいへんであった。いつもすぐに帰っていたことを反省している。ライブが長年続いているのも、やはりOZAKI UNITや仲間たちの協力があればこそだと実感した。

打ちあげにも初めて参加させていただいた。下津井港から直送の魚やたこは実に美味しかった。また、来月に迫ってきた憲法フォークジャンボリーのことなどで、話がはずんだ。実に楽しい酒宴だった。夢中すぎて、写真を撮るのも忘れるほどだった。少し飲み過ぎてしまったようだ。

OZAKI UNIT、そしてそれを支えておられる仲間たち、みなさんたいへんありがとうございました。また、よろしくお願いします。

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烏城十景

岡山禁酒會舘マンスリーライブに参加するために、岡山に。JRが6月まで「おとなびWEB早特」切符を発売しており、庶民には大助かりだ。片道こだま号で2400円。年中売り出してくれたら、もっと岡山に来られるのだが。

桃太郎は新たに烏をお供に付けたのか。

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西川沿いを歩く。父が生前に、平和町にある古備前の店を何度か訪れたことがある。なんとか探しあてたが、シャッターが閉まっていた。今も営業しているのだろうか。
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岡山ラーメンを食べる。確かにおいしかったが、コンサート後の打ちあげで食べたラーメンの方が更に美味しかった。
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旭川を渡り、一ヶ月後に「憲法フォークジャンボリーinおかやま」が行われる、三木記念ホールを訪ねる。係の人が親切に案内してくださった。40年ほど前に作られたということで少し古めかしい感じがしたが、音響効果は優れていて桟敷のようなものもあり、ロビーから見える景観は実に素晴らしかった。5月17日(日)には、このホールで、さまざまなシンガーによって民衆の歌が歌われて、「平和の暦」がくっきりと刻まれることであろう。「ピートシーガー&笠木透」の「トリビュート」というテーマは、ありありと具現化することであろう。
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鵜が気持ちよさそうに戯れていた。
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水辺の桃くんに出会い、その後、旭川沿いに歩く。
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後楽園の新緑が目にやさしい。
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夢二郷土資料館を経て、出石町を歩く。モダンアートの雰囲気がいくらか残っている。

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夕刻より、福岡醤油で建物プロジェクト「たまりバー」が行われる。
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烏城は、天守台が不等辺五角形、その上に長方形、正方形と平面が変化しているので、見る角度によって異なる姿を見せる。
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白山吹は誠実に咲き、ツツジはまもなく満開を迎える。

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岡山禁酒會舘へ行く。

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2015年4月12日 (日)

陶芸

3月から4月の陶芸作品。陶芸教室の行われている、あじさいホールで撮影した。

酒器や食器の他に、花器も作りつつある。蔭山先生から、良い色が出てますよと時々褒めて頂くようになったが、まだまだ先は長い。

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当尾で陶芸をさせて頂いているが、その家の前の白ツツジが満開であった。

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この日は、大きな徳利やぐい飲み、大きな器を作った。沈丁花は盛りを過ぎ、山吹の花はまだ蕾。
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菜の花満開。
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家に帰ると、玄関前に旬の筍が置かれていた。どなたがくださったのだろうか。旬のものなので、ありがたいことだ。
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早速湯がいて、薄く切り筍さしみにしていただく。ほんのり甘く、柔らかくて美味しい。「小野桜」と相性が良く、ピッチは上がる。

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2015年4月10日 (金)

相生・姫路・明石

青春18切符が後一枚残っていたので、期間の最終日の10日は仕事休みなので、旅する。当初は南紀の海を見に遠出する予定であったが、あいにくの雨。行き先を変えて、買い出しツアーに。

相生では、「うまいか」を買う。相生周辺でしか売っておらず、田舎に帰るときは途中下車してよく買う。ビールによく合う。

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姫路駅で下車したが、雨が激しくて城を見に行けなかった。熱々の「御座候」をいただく。手早く手際よく作られるので、見ているだけで楽しい。
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明石駅で下車する。目当ては、魚棚の市。
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平日の昼時なのに、結構買い物客は多い。
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明石の鯛や小魚が並ぶ。
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天ぷらを土産にする。
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イカナゴを買いたかったのだが、もう今シーズンの漁は終わったということで、くぎ煮を買う。イカナゴを買って家に帰ってから、くぎ煮を作ろうと計画していたのだが、これも出来ず。
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買い出しツアーで他にも酒の肴をいろいろ買ったので、奥さんに少し怒られた。雨の日は、やはり家にいるのに限る。

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2015年4月 4日 (土)

笠木透さんお別れコンサート(その2)

私の机上には、笠木透さんの書「雑木群生 個立無限」がある。笠木さんは今どこにおられるのだろうか。どうしておられるのだろうか。

お別れコンサートが始まった。

笠木透を偲ぶ映像の後、これを作られた主催者、山本正博氏の挨拶があった。山本氏は感極まって絶句された。このコンサートが成立したのも、山本氏をはじめとする多くの笠木透の仲間たちが協力されたからであろう。深く感謝致します。涙、厳禁!

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田中鉦三さんが「朝の四時頃」「デコ坊よ」の2曲を歌われた。笠木透と青春時代を共に過ごされたのだろう。山登りや川下りを楽しむ、あの頃はもう帰ってこない。
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我夢土下座は、「めぐりあい」「川のほとり」「小さな町」の3曲を歌われた。「矢車草」「吾も紅」「特攻花」などもお聴きしたかった。笠木透作詞、田口正和作曲のフィールドフォークの名曲は数限りない。笠木透は我夢土下座を結成して、真の民衆のための歌を作っていきたかったのだろう。
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土着民は「ふるさとの風」「付知川下り」の2曲歌われた。笠木透と付知川を船下りした頃は、冒険の無謀さを楽しんでおられたのだろう。バルさんは笠木さんに愛されていたのだろう。
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凪の座は、「雪の野辺送り」「美しいといえるのは人間だけだろう」「光の海」の3曲を歌われた。ピアニストの中村さんのお嬢ちゃんが、お母さんの横にちょこんと座っていた。とても可愛かった。 何度聞いても、「光の海」は名曲だと思う。
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中津川少年少女合唱団は、「私の子どもたちへ」「あなたが夜明けを告げる子どもたち」の2曲を歌われた。手話を交えての子どもたちの歌を、笠木さんは今どこかで嬉しそうに見ておられることだろう。そういえば、笠木さんは10数年前に我が町の小学校に来て歌われたことがある。我が子と共に、「私の子どもたちに」を共に歌ったことが懐かしく思い出される。
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安達元彦さん、岡田京子さん、鈴木たか子さんは、「太陽とあそぼ」「オオジシキ」「カタクリの花」の3曲を歌われた。アコーディオンやピアノのほんものの音は、自然と人間の感性を揺さぶる。
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SAMは、「山の上の芝居小屋」「筑後川」「少年よ」の3曲を歌われた。「山の上の芝居小屋」は笠木透が生前にさよならコンサートで歌って欲しいと言われていたと、進藤さんが教えてくださった。劇や歌に興じて青春を謳歌しておられたのだろう。坂庭省吾さんがここにおられないことが、無性にさびしかった。
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高石ともやさんの歌の後、雑花塾の登場。雑花塾は、「メープル・シロップ」「ペンペン草」「平和の暦」の三曲を歌われた。OZAKI UNITで活動されている岡山の尾崎さんが、雑花塾と一員として歌われるのを見るのは初めてだった。伸びやかで抒情に揺らめく尾崎さんの歌声は、やはりすばらしい。長野県のぽこあぽこ、石川県のでえげっさあ、茨城県のヒューマン・ファーマーズ、福島県のいわき雑魚塾など、全国津々浦々から笠木透の愛弟子たちがステージに上がられた。「平和の暦」をみんなで歌われた。その歌声は、きっと笠木透のところにも届いただろう。彼らはこれからも笠木透を追い求めて、共に歌って行かれることだろう。笠木透は、これからも生き続ける。

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纐纈徹也さんが笠木透が亡くなる前に書かれた手紙を朗読された。笠木さんは貧乏ゆえに、三途の川を相乗り船で漕いで渡ったという。そして、今は小さな塵となって宇宙のどこかを浮遊されているという。そして、最後にこのようなことを書かれていた。「みんなと歌を作り歌い、みんなと共に過ごした時間が、私の人生だった。ありがとう。では、元気で。さようならわが友よ。」涙がにじんでくるのを止めようがなかった。
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SING OUT「わが大地の歌」「私に人生と言えるものがあるなら」「これがすべての終わりとしても」

終わって欲しくなかった。
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アンコールの手拍子が鳴り止まなかった。「小さな町」を出演者全員で歌ってくださった。観衆も総立ちで一緒に歌った。楽しい踊りも加わった。終わって欲しくなかった。
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夜桜爛漫を愛でながら、中津川駅まで歩く。
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笠木透のお別れコンサートで歌われた曲や、いろんな場面を思い浮かべて余韻に浸りながら、長い電車の旅をして帰った。

関係者はたいへんでしょうけれども、来春もぜひ第2弾笠木透追悼コンサートを行って欲しいです。きっと「追悼」プラス「共生」コンサートになることでしょう。笠木さんはみんなの心の中に生き続けておられるのですから。

笠木透さん、コンサート関係者の皆様、たいへんありがとうございました。

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笠木透お別れコンサート(その1)

笠木透お別れコンサートが中津川文化会館で行われた。青春18切符を利用して、中津川に到着。中山道を歩く。

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恵那山は雲がかかっていて、残念ながら見えない。恵那山も笠木透さんを哀悼しているのだろう。
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今日は奮発して、一度は食べたかった、中津川名物のとんかつを食べる。脂っこくなく、かみしめたら肉のうま味が広がる。店に来られていた客も、笠木透さんのさよならコンサートに来たのだろう。笠木さんの話題で盛り上がっていた。
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桜並木のミニ中山道を歩く。
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やはり恵那山は見えず。
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中津川文化会館に着くと、大勢の観客が並んでいた。館内にはいり、すぐに献花台で花を供える。さまざまな展示も行われていた。
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若かりし頃の笠木透さん。青春時代を、自分に正直に突っ走って生きておられたのだろう。
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2002年に笠木透さんが撮影された「恵那山百景」。笠置さんの言葉が添えてあった。「なんという素朴で無骨な山だこと。ここにあるのは21世紀初頭の恵那山。私たちはこれからどんな時代を歩いて行くのだろう。」時代の荒波の中、「素朴で無骨な」生き方をされた人こそ、笠木透さんのような気がする。恵那山はそのまま笠木透さんだ。

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笠木透さんが撮影された草花の写真。言葉が添えてあった。「雑草は悲しい いつも嫌われ 切られたり抜かれたり でも雑草があってこそ 微生物は生き 土は豊かになる」笠木さんは見かけによらず(失礼!)、とても繊細な方であるのだろう。

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笠木さんは田中正造を敬愛しておられた。没後100年に、「われここにあり」のCD文庫を作られた。
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献花台の上には遺影が飾られている。舞台で着られていたアロハシャツもあった。笠木さんによく似合っていた。
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これからコンサートが始まる。涙無くして見られるだろうか。

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