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2016年1月

2016年1月31日 (日)

陶芸(1月)

今日は陶芸教室。加茂文化会館に行く。作品が焼き上がっていた。いつも蔭山先生にはお世話になるばかりだ。よくして頂いても、腕の方はなかなか上達しない。

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作品数はたいへん少なくなった。作品展とか、フリーマーケットとか、やはり目標となるものがなければ、怠惰な性格ゆえについ易きに流れてしまう。

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今日は大皿や一輪挿し、花瓶などを作った。1時間あまり集中して、轆轤を回した。
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下手は下手なりに、気長に作っていくしかない。

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2016年1月30日 (土)

斑鳩の里

法隆寺駅で下車する。講演会は午後からなので、斑鳩の里を散策する。旧家が散在している。

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法輪寺を訪ねる。周囲の田園風景に溶け込んでいる。聖徳太子の病気平癒のために建てられたという。1944年に落雷で焼失して、1975年に飛鳥建築様式によって再建された。
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三井神社
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法起寺に行く。聖徳太子の遺命により建てられたという。三重塔は高さ24mあり、日本最大のものである。コスモスの咲く頃訪ねたことがある。今は、冬枯れた風景の中にある。
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法隆寺に向かって歩いていると、石仏たちがおられた。みんな良い表情をされている。
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斑鳩神社に立ち寄る。地元では、「天満さん」の名で親しまれている。
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法隆寺の参道は長い。その周辺にも風格が漂っている。

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法隆寺は、7世紀初めに聖徳太子によって建てられた、世界最古の木造建築である。日本で最初に世界遺産に登録された。
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法隆寺の西側にある、西里の町並みはとても風情がある。

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藤ノ木古墳へ行く。法隆寺の西方約400mに位置して、直径約50m、高さ約9mの、6世紀後半の円墳である。未盗掘であり、装飾性豊かな金銅製の冠や沓、馬具、またガラス玉や土器など、多数副葬品が出土した。こんな有名寺院のそばにあったにもかかわらず、なぜ盗掘されていなかったのだろうか、いろいろ考えていったら興味が尽きない。

藤ノ木古墳の近くを、在原業平が河内の高安に通ったという業平道が通っている。業平はこの古墳のことを知っていたのだろうか。想像するだけで楽しい。「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 唐紅に 水くくるとは」在原業平

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法隆寺駅そばにある、町の洋食屋さんでランチをいただく。これで650円、安くて美味い。
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いかるがホールは、田畑の中にある。
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「浜矩子講演会」が行われる。広い会場(750席)が満席であり、立ち見が出るほどだった。私は最後方で立って、講演を拝聴した。浜先生は同志社大学大学院の教授で、正義感が溢れ、舌鋒鋭い論客である。今日の演題は、「経済学者が語る”日本の戦争と平和”~武力では国民の生命も権利も守れない~」である。
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「経済活動は、人間の営みです。経済合理性にかなうとは、人権の礎たり得ることを意味します。このような営みの中に、最大の人権侵害である戦争が入り込む予知はありません。我々は、強兵のための富国を目指す経済政策の横行跋扈(おうこうばっこ)を断じて許してはなりません。」
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経済というのは人間の営みであり、不幸や戦争ではなく、幸福や平和をもたらすものであるという、浜先生の考えられる経済の原点に共鳴した。
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浜先生は批判精神に優れ、言葉作りが上手だ。TPPは、TYP(とても やばい パートナーシップ)だと言われた。落語が好きなだけあり、ユーモア精神も持ち合わせておられる。

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アベノミクスは「アホノミクス」であり、最近はそれに「ド」がつき「ド・アホノミクス」で酷すぎる。GDPを増やし経済を成長させることは、安倍にとっては「国防費増大」を狙ってのものである。戦後レジウムからの脱却というのは、戦前に戻るという事であり、大日本帝国の復活を目指しているものである。この浜先生の指摘は、ズバリと正鵠を射ている。

浜先生は「ド・アホノミクス」を克服するために、次の三点が必要だと言われた。

1 一つの原点回帰(経済は人間を幸福にするものであるという基本的な考え)

2 一つのバランス感覚(「欲(欲望)」と「矩(倫理)」とが均衡しているという感覚)

3 三つの道具(自分と違う意見を聞き入れる「耳」、他者の痛みを我がこととしてもらい泣きする「目」、差別される弱い側にさしのべる「手」。

この三点は、「ド・アホノミクス」Iの対極にあるものだ。そろそろ「ド・アホノミクス」を終わりにさせなくてはならない。これ以上、日本を壊してはいけない。

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2016年1月29日 (金)

今夕、高浜再稼働

関西電力高浜3号機が、今夕再稼働する。プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を使う、プルサーマル発電では初の再稼働となる。いよいよ、地獄への道を歩み出したような気がする。何も無ければ良いのであるが・・・。しかし大地震はいつ発生するか分からない。

終日冷たい雨が降りしきる中、夕刻「脱原発奈良でも行動」に参加する。今日は10人あまりだ。

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福島原発事故を無視し、住民の生命をないがしろにする再稼働に、断固抗議する!

「関電や規制庁は「福島原発のような事故を二度と起こさない」という。しかしその想定はあまりにも甘い。事故後60分でポンプ車等の対策は万全となり、格納容器は破損せず、メルトスルーは起こるがその前に放射能放出は終了、よって放射能放出率は福島原発事故の千分の1以下だと言っている。住民の被ばくは5km地点で1ミリシーベルト以下。どれも夢物語だ。福島原発事故を無視し、住民を愚弄するにも程がある。」(グリーンアクション抗議声明)
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関電奈良支店まで、シュプレヒコールをしながらデモをする。塾前ではコールを止める。奈良県警の警察官が一人付き添っている。
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関電奈良支店前では、肉声でシュプレヒコールを上げる。その隣が病院なので、心遣いしている。
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奈良駅前まで、シュプレヒコールをしながら帰る。まとめの集会では、私もちょっとだけ話をさせて頂く。「大地震などの自然災害はいつ起こるか分からず人間の手に負えないが、原発は人間の意志さえあれば止められる。しかし、原発を止めることをせず再稼働して、いったん過酷事故が起これば、もう人間はどうすることもできない。地震多発国である日本において、今こそ原発から決別すべきである。生きとし生けるものの命という観点から、再稼働は許されることではない。」
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関西線の加茂方面が、30分くらい遅延していた。家に孫娘が来ているので、大判「三笠焼き」を土産に買う。マメ茶をいただく。
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せんとくんにも、原発再稼働の不当性を訴えて欲しい。重大事故が起これば、歴史遺産の宝庫である京都や奈良においても、放射性物質にまみれて観光どころではなくなる。
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ずっと以前に、弘法の市で買った額を、部屋に飾った。
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利益最優先の国と電力会社に、なかなか怒りが静まらなかった。経済再生大臣の甘利さんの収賄も、同じ土壌から生まれたものだ。大臣を辞任することを「やせ我慢の美学」と言って涙ぐんだということだが、「名の通り、(甘)い(利)益を得て、なぜこれがやせ我慢」なのか。即刻、福島の避難者や被害者に全額寄付して、議員を辞任すべきである。

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2016年1月27日 (水)

関電包囲全国行動

「高浜原発再稼働を許すな!関電包囲全国行動」が、大阪中之島の関西電力本店前で行われた。私は仕事帰りに参加した。

福島の事故ではメルトダウンした核燃料が今もどこにあるか分からず、高線量の中、汚染水は海に垂れ流され続けている。原発は人間の手に負えないものである。ところが、安倍首相はオリンピック誘致のために、「コントロールされている」と大嘘を言った。マスコミはそれを全く批判しない。そして、更に川内原発を再稼働させ、今週末にも高浜を再稼働させようとしている。また、大地震があれば、フクイチのようになるのが分かっていながら、どうして規制委員会は認めるのだろうか。第2の安全神話の復活である。原発がなくても、電気は十分に足りていたはずだ。

一体この国はどこへ向かっているのだろうか。

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続々と人が集まっていた。関電前には、寒風が吹きすさぶ中ではあるが、熱気が溢れていた。リレートークが続いている。福島・東京・川内・伊方から、そして地元関西圏の人たちが、次から次へと反原発の思いを投げかけておられる。ほんの少しでも関電の八木社長に聞こえたら良いのだが、彼は聞く耳を持たないだろう。
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スピーチの間には、みんなでシュプレヒコールをした。太鼓がリズムをとってくれる。「再稼働反対!」「高浜原発再稼働反対!」「原発要らない!」「金より命!」・・・・・・京都からもいっぱい仲間たちが来ていた。大阪の友人の横で、声を張り上げて、シュプレヒコールをした。
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自治体が、住民の真の安全と幸福を考えるのなら、実現不可能な避難計画を議論するのではなく、事故を引き起こす原発の全廃を強く主張すべきである。特に、障がい者や高齢者たちを、無事避難させることができるのか。積雪など気象条件が悪い場合は、本当に避難ができるのだろうか。福島のことを考えたら、絶対に再稼働などできないはずだ。民衆はもっと怒るべきだ。「俺たちは殺されたくはない!」
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高浜原発で重大事故が起これば、立地する若狭や丹後には人が住めなくなる。そして、琵琶湖(高浜原発からわずか約50kmで、関西一円1300万人の命の水瓶)が汚染されてしまう。大阪市も京都市も、人が住めなくなるのは間違いない。これは絶対に避けなければならない。

人間の尊厳をかけて、再稼働には反対する。人が安心して人間らしく生きる権利を、最優先すべきである。目先の銭ではない!

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2016年1月24日 (日)

高浜原発再稼働を許さない!全国集会

「1・24高浜原発再稼働を許さない!全国集会」が高浜町で開かれた。青森・東京から鹿児島・愛媛に至るまで、全国の原発立地県で粘り強く反対運動をされている方たちが高浜に集まった。関西からは、兵庫・大阪・滋賀、そして京都からはバス2台が出た。

綾部辺り。雪が多くなってきた。

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舞鶴東ICで降り、高浜町に着く。約2時間で、かなり近いことが実感できた。京都市内から直線距離で60kmしかない。若狭湾国定公園となっているが、原発事故が起これば、この美しい海が死の海になる。
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難波江海水浴場では、サーファーたちが波乗りを楽しんでいた。原発事故が起これば、もちろんこんな事など出来はしない。ほんの少しでも、そのことを考えて欲しい。実際に事故が起こらなければ分からないのだろうか・・・・。
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難波江海水浴場から約5分で、高浜原発に到着。福井県警の物々しい警備ぶりである。100人以上来ていた。何か我々が物騒なことをすると思っているのだろうか。危ないのは、原発の方である。

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高浜原発の見える展望台で、まず抗議集会。その後、ゲート前までデモ行進。
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ゲート前で抗議集会、そして関電社長に対して抗議申し入れを行う。「高浜原発は30年を超える老朽原発で、加圧水型、混合酸化物(MOX)燃料をつかう危険きわまりない原子炉である。事故が起こってからは遅すぎる。フクシマを繰り返してはいけない。事故が起これば関西一円に被害は及ぶ。再稼働を即時断念すべきである。」
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バスで、集会の行われる高浜町文化会館に移動する。約600人が全国から参加されていた。

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まず、実行委員会代表の木原さんが挨拶をされる。木原さんは大学名誉教授であり、現在現地の「若狭の家」で、日々反原発の活動をされている。理念も信念も持ち合わされている、すばらしい人である。

「再度の大惨事=地獄への扉を開ける原発再稼働に反対しましょう。人類と地球の未来のために。」
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小浜市の名刹の住職、中嶌哲演さんがアピールされる。中嶌さんは、原子力発電に反対する福井県民会議の重鎮である。関西圏に若狭でつくった電力を送り込み、大量に消費する生活を何とも思わない人たちに警告を発しておられる。

「電気の消費圏の住民も、自分のこととして考えて欲しい。」
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「大間原発反対現地集会実行委員会」、「ストップ川内原発!3.11鹿児島実行委員会」、「伊方原発50km圏内住民有志の会」など原発立地県で、したたかにしなやかに運動をされている方たち、13人のアピールがあった。最後に、「関西学生アルバイトユニオン」の若者が、決議文を読み、参加者一同で盛大な拍手を持って採択した。

「原発反対の声をあげ、裁判にも勝利して、原発を全廃に追い込みましょう。」(決議文最後の一文)
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高浜町の町中を、アピールしシュプレヒコールを上げながらデモする。

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高浜町町役場前を通る。「生き生きと 暮らせる町に 差別なし」という標語がかかっていた。これはこうするべきだろう。

「生き生きと 暮らせる町に 原発なし」

「生き生きと 原発ない町に 差別なし」

「原発なく 暮らせる町に 差別なし」

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若狭高浜駅前でまとめの集会をする。

「原発を再稼働させてはいけません。美しい若狭や京都北部が、豊かな水源・琵琶湖が、歴史遺産の宝庫・京都が、数千万人暮らす関西や中部が、重大事故で放射性物質にまみれる前に、すべての原発を廃炉に追い込みましょう。」

「地震や火山噴火のような自然災害を止めることが出来ませんが、原発事故は止められます。原発は人が動かしているのですから、人が原発全廃を決意すれば良いのです。原発のない、未来に不安のない社会を考えましょう。」

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2016年1月23日 (土)

加茂の里

きっぱりと冬がやって来た。加茂の里を散策する。お地蔵さまは、温かくして頂いている。

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里には、古家が数軒ある。
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春日若宮神社は里の鎮守である。
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常念寺に行く。天台宗真盛宗派で、真盛上人が船屋で法話したのをきっかけとして創られたという。釈迦涅槃図は鎌倉時代に書かれた国重文である。10年前ほど、平和観音が建てられた。
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平和観音前から、加茂の里を見下ろす。加茂の駅近くにマンションが2棟建つ。かって、加茂駅は木造の駅舎で、桜の頃はとても風情があった。
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新川沿いを歩く。

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西光寺に行く。
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灯明寺跡に行く。奈良時代創建の古刹であったが、第2次世界大戦後の混乱期に廃寺となった。今、本堂と三重の塔は、横浜市の三渓園に移設されている。このことはとても寂しい気がする。御霊神社は、この寺の鎮守社であった。

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貞享5年(1688年)の銘がある。
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灯明寺型といって、中台側面の意匠など有名なものであるらしい。
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山田の里から、灯明寺山を望む。
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和束方面を望む。
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山の上にある薬師寺を訪ねる。
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体が温まり帰宅する。今日は若草山で山焼きがある。家のベランダから遠望した。奈良まで約10キロあまりなので、花火の打ちあげの音がよく響く。雨がぱらつき、芝の燃えるのがあまり良くないようだった。よく燃えるときは、山周辺一面が明るくなる。
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早く春が来て欲しい。



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2016年1月22日 (金)

陶芸の後、散策

年末年始慌ただしくて、陶芸に行けていなかった。ようやくこの日、小屋を訪ねる。寒々とした空の下、生駒山が遠望できた。

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小屋の横には、紅梅がひっそりと咲いていた。

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寒くて手がかじかんできたので、早く打ち切りにする。

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野菜畑を見に行く。キャベツが葉を巻き始めていたが、レタスは霜に当たったのか、少し萎れていた。水菜とターサイ、レタスを収穫する。

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散策する。石の上に根を張る樹木。生命力の尊さを見た。

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浄瑠璃寺は、4時を過ぎていたので閉門していた。近くにある、長尾阿弥陀磨崖仏。徳冶2年(1307年)に造立された。屋根石のお蔭で、仏さんの表情も残っている。
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「cafe瑠璃」の虫たちが、何か演奏している。

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藪の中地蔵を訪ねる。弘長2年(1262年)に造立され、当尾の石仏にある年号銘中では最も古い。真ん中に、地蔵菩薩立像、右に十一面観音立像、左に阿弥陀如来座像がまします。
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作業小屋が、自然と一体化している。小屋を撮られるtaguさんに思いを馳せた。
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東小(ひがしお)の里に、五輪塔と、お地蔵さんがおられる。
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西小の里の方に行く。ここにもお地蔵さまがおられる。
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300体くらいおられる石仏群。一体ずつ、それぞれの人生があり、その思いが込められているのだろう。

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道沿いに、石仏たちが見守っていてくださる。
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あたご燈籠。江戸時代に造立という。この自然石の、先の細長いかたちが、何とも言えず洒落ていて面白い。
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いくらか日が延びたのだろうか、5時になってもわりと明るい。家路を急いだ。




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2016年1月16日 (土)

散策の後に上映会

当尾の里は広い。浄瑠璃寺はその南に位置する。今回は、地元の人しか知らない里の北方面を歩く。山羊を飼っている家がある。

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尻枝の里に小さな寺、金蔵院がある。
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道路沿いに、こんな立て札があった。「渡美堕詩」は「とびだし」と読むのだろう。飛び出し注意ということだろうが、イカス兄ちゃんを見ていたら危ない気がした。しかし、めったに車は通らない。
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菜の花畑が広がっていた。
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森の里が見えてきた。
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森八幡宮へ行く。江戸時代の様式を残す、格式の高い古いお宮である。この境内に、正中3年(1326年)の銘のある、線刻の不動明王と毘沙門天がおられる。700年近く年月が経っているが、克明に姿が残っている。
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山際に大きな紅梅があった。香りが辺りに漂っていた。
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農家の作る野菜は、やはりすばらしい。大きさが違う。
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ロウバイの花が優雅に咲いていた。香りが一面に満ちていた。
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南下手の里に、大きな梅の木があった。

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「はあぶや」は、ハーブティーや珈琲が美味しいと評判のお店である。主は、いろんなハーブを育てられている。我夢コンサートにも来て頂いた。
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加茂方面へ向かって歩く。遠くに、和束の山脈が見える。
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加茂駅に着くと、すっかり暗くなっていた。
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駅のすぐそばに、「加茂のしもちゃん」というお店がある。今夜はここで、「我夢土下座フィールドフォークコンサートinわづか」の上映会がある。企画はTさんで、ゴルフ帰りによくこの店を使っていて、いちどここでコンサートの上映をしたらということで、十数人集まった。実行委員会のメンバーたちである。プロジェクターで壁一面に映し出し、かなり迫力がある。小生の編集した拙いものであるが、みんな楽しんで見ていた。2ヶ月前の感動が、今また甦ってきた。
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しもちゃんの名入りの焼酎を、一本プレゼントしてくださった。委員長のNさんはじめ、みんな大喜び。
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感動が満ち溢れて、すっかり酔っ払ってしまった。本当に最後の最後まで、「我夢土下座フィールドフォークコンサートinわづか」を楽しませて頂いた。

みなさん、ありがとうございました。

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2016年1月15日 (金)

脱原発奈良でも行動

同じ団地に住む知人Aさんに教えていただき一緒に、「脱原発奈良でも行動」に参加する。大阪や京都の関電前での抗議行動に参加したことは何度かあるが、奈良は初めて。

「脱原発奈良でも行動」は、奈良「でも」、脱原発の「でも」が行われているということから名づけられた。今回で176回、3年半を越える。続けることはなかなか難しいものであるから、本当にすばらしいと思う。そして、尊いことだと思う。「脱原発」という一点で集まり、党派や宗派などを問わないので、多様な人が参加されている。

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手作りの提灯などが、なかなか奈良に合っている。私も何か作らなくては・・・。
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毎週金曜日、6時30分からJR奈良駅の旧駅舎前で集会が行われて、関電奈良までデモをするという行動である。今日は30名弱の参加だ。
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デモスタート。デモといっても、「再稼働反対!」「原発要らない!」などのシュプレヒコールを上げながら、歩道を歩くパレードだ。警察官一人付き添い、親切なことに誘導してくれ、交差点では交通整理までしてくれる。

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関電奈良支社に到着。ここでみんなで声を張り上げてシュプレヒコール!関電が、原発に頼る割合が一番高い。人間の制御できない技術は使うべきではない。
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駅までシュプレヒコールをしながら帰る。塾前では声を出さない。また、行き帰りの道中、ゴミ拾いをされている。
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まとめの集会。初めての参加ということで、マイクを回されたので、いつも思っていることを語る。「国の富というのは、お金ではかれるものではない。GDPがどうのこうのではない。つましい暮らしであっても、そこに人と人との温かいつながりや、命の輝きがあれば、それが富というものである。原発は事故が起これば、それを根こそぎ一気に奪ってしまう。現政権は、再稼働を進め、原発を輸出しようとまでしている。これは「命こそ宝」という人間の尊厳や誇りを、否定するものである。私は、断じてそれを許すことはできない。」
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また来よう!

電車の時間までだいぶあったので、近くの酒屋に行き一本仕入れる。御所(ごせ)市の酒蔵で、良い酒を作られている。しぼりたて純米生酒、まだ発酵している。2257円で、かなりお得である。

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奈良阪から春日山へ

奈良には、観光客があまり訪れないところがある。奈良阪もそのひとつである。Rimg_1908_r

奈良阪を歩く。ここは旧京街道で、般若坂とも言われる。高札も置かれていたという。奈良豆比古神社では、翁舞という珍しい舞いが行われる。裏山には、樟の巨樹がある。樹齢千年あまりで、幹囲約12.8mもある。近づけば圧倒されてしまう。

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街道筋には、古家が随所にある。「しかせんべい」を作っている家があった。

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般若寺を訪ねる。
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植村牧場では、自家製の乳製品が売られている。
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奈良少年刑務所は、明治41(1908)年に建造された。刑務所らしくないのが良い。
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夕日地蔵は、笑っているようでまた泣いているようで、とても良い表情をされている。会津八一「ならざかの いしのほとけの おとがひに こさめながるる はるはきにけり」
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奈良阪を下っていくと、東大寺が見える。手前には、北山十八間戸。

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奈良阪から、北御門町に入る。奈良の古農家が残っている。

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五劫院には、私の大好きなお地蔵さまがおられる。少し左の方を向いて、右のお地蔵さんとお話されているような姿である。いったい何のお話をされているのだろうか。
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東大寺を再興された公慶上人のお墓もある。
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空海寺のお地蔵さんは、生きておられるようなありありとした表情である。
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転害門
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この料亭の裏山に、子規の庭がある。子規が泊まった旅館の跡に、作られている。柿の木越しに、東大寺が見える。
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鹿たちが遊んでいる。

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大仏池から東大寺を眺める。

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    戒壇院を訪ねる。
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    指図堂
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    東大寺には入らずに、大鐘を見に行く。
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    二月堂へ行く。3月1日よりお水取りが始まる。
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  • 四月堂
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    手向山八幡宮
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    春日山は、現在立ち入り禁止。23日(土)に山焼きが行われる。
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    水谷神社にはイブキの巨樹がある。
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    一言主神社では、反基地・反原発・反貧困・反差別を願った。到底一言ではすまない。
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    春日大社
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    春日大社には末社が多くある。
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  • ささやきの小径を通り、志賀直哉旧宅へ。志賀直哉自らが設計して、9年住んだという。奈良の地をとても気に入っていたようである。ここで、「暗夜行路」が完成した。
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    高畑の町を歩く。路上で画家が一心に絵を描いていた。
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    片岡の梅林に行く。
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    夕刻が近づき、鷺池近くの鹿は横たわっていた。
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    興福寺へ行く。夕焼けがきれいだった。
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    これから、反原発の金曜日集会に参加する。














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2016年1月10日 (日)

備北

妻と共に帰省して、墓参りする。芸備線甲立駅は無人駅である。

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昼はもちろん、広島風お好み焼き。野菜がたっぷり入っていて、ソースも甘くて、大好きだ。

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妻の実家周辺を散策する。「平和の像」に目が留まった。「核兵器廃絶と日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。ピカドンを忘れないために」という言葉を読んで、いろいろ考えさせられた。

今こそ、このことが必要である。「核」とともに「原発」も廃絶すべきである。今の日本の方向は、「真の平和を求め」る方向から逸れていっているので、「ピカドンを忘れない」をベースにして、原点に戻って行動すべきではないかと思った。なぜアメリカは広島に原爆を落としたのか、その後なぜ落としたアメリカの核の下にあらねばならないのか。なぜ原爆が悪で、原発が正であるとされるのか、すべて根はつながっている。

妻の叔母はピカドンで被曝した。
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この地にも、被曝アオギリ2世がすくすくと大きくなっていた。生はこれほど尊いのである。
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三次ワイナリーに行く。何杯も試飲する。
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ピオーネ畑が広がる。妻の実家方の墓参り。
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可愛川の川原でとんどするのに参加した。竹のはぜる音がぱんぱんと響いた。餅をあぶり、ぜんざいにしていただいた。また、竹に酒を入れて沸かしたものを頂いた。竹の香りが酒に染み込み、美味くて何杯も飲んでしまった。
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息子夫婦は東京へと帰っていった。別れ際に、孫娘はばあばと別れるのがつらくて泣いていた。
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2016年1月 8日 (金)

東海道(亀山・四日市)

関から亀山まで、JRで行く。青春18切符の旅。

亀山宿は、東海道53次の江戸から46番目の宿場町である。関宿に比べれば、東海道の面影はあまり残っていない。しかし、ところどころに旧家がある。

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伊勢亀山城には天守は壊されているが、勇壮な石垣は残っている。
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本陣跡は商店街の一角にある。
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遍照寺の千手仏が素朴で良かった。
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東海道を歩く。この辺りはいくらかその面影がある。
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亀山から四日市へJRで行く。レンタサイクルを借りる。電動自転車で1日借りて、240円の安さである。まず、萬古焼きを見に行く。「萬古焼き新春見本市2016」が行われていた。急須・土鍋・食器などが多かった。

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これは88000円。手が出ない!やはり芸術的なものは高い。日常使えるものは、それほど高価ではない。
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四日市名物「なが餅」を土産に買う。餅で餡をくるみ、薄くのばして軽く焼いたものだ。この辺りに本陣があった。

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四日市宿は、江戸から数えて43番目。東海道を西に向かって、自転車で走る。アーケード街は東海道だが、そこに大入道が現れた。

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文豪の丹羽文雄の生家跡があった。私の好きな作家の一人である。
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濱田の里の辺りは、東海道の風情がいくらかある。
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日永神社には、東海に現存する最古(明暦2年)1565年の道標がある。
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境内のツバキに、しばし目を奪われた。
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日永の追分まで行く。東海道と伊勢街道との分岐点だ。茶屋や旅籠で賑わっていただろうが、今は全くその面影はない。多くの車が行き交うだけだ。
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四日市駅まで自転車を飛ばす。四日市から加茂まで、約2時間。今回は車中で酒を飲まずに我慢した。

三連休は、妻の老父母の孝行らしきものをしに、帰省する。東京の息子夫婦も合流する。

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東海道(関宿)

青春18切符が後一枚残っていたので、関西線に乗り、東海道を歩く。加茂駅から関駅まで、約1時間10分の近さだ。

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駅から約5分で東海道。関宿は、東海道53次の江戸から数えて、47番目の宿場町である。現在東海道の殆どが昔の面影失っているが、この関宿は唯一歴史的な町並みが残っている。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

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関宿まで江戸から約106里あるという。宿場町のほぼ中央部にある眺関亭からは、関宿の町並みが一望できる。
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鈴鹿の山脈(やまなみ)に抱かれるように、宿場がある。東西約1.8Kim、江戸から明治にかけて建てられた古い町屋が200軒あまり連なっている。
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玉屋は、関宿を代表する旅籠である。広重の浮き世絵も展示されている。
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地蔵院は、「関の地蔵に振り袖着せて 奈良の大仏婿に取ろ」の俗謡で有名だ。東海道を旅する人々の信仰を集めた。本堂、鐘楼、愛染堂が国の重要文化財だ。
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地蔵院の門前にも、旧家が立ち並んでいる。
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西追分は東海道と大和・伊賀街道の分岐点である。からは、鈴鹿の山脈が近くに見える。旅人はどんな思いで鈴鹿峠を登っていったのだろうか。私もいつかは歩いて峠を越えてみたい。
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東に向かって歩く。
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福蔵寺におられた地蔵さまは、とても良い顔をされていた。
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更に東に向かって歩く。
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東追分は関宿の東の入り口だ。ここは東海道と伊勢別街道の分岐点で、伊勢神宮を遙拝するために鳥居が立っている。
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関駅に急ぐ。1時間に1本なので、乗り遅れたらたいへんだ。
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関宿はあまり観光地化していないので、歩くのに最適だった。朝早かったせいもあるだろう。どこかの宿場町は観光バスが何台も止まり、観光客があふれるくらいであるが、これはあまり風情がない。

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2016年1月 5日 (火)

余呉湖から賤ヶ岳へ

新年最初の旅。今年も仕事や平和行動の合間をぬって、安い旅、歩く旅、歌の旅をしていくつもりだ。

元日以来、運動不足だったので、青春18切符を使い余呉湖へ。雪の多いところだが、全くない。あいにくの曇りで、時折雨がぱらつく。湖畔ではワカサギ釣りを楽しんでいる。私はバードウオッチングしながら、湖を半周する。カメラの性能と腕がもう一つなので、あまり良い写真が撮れない。

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山口誓子「秋晴に 湖の自噴を 想ひ見る」 
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尾の呂が浜で、賤ヶ岳の合戦が始まったという。
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余呉駅から、1,2kmで登山口。賤ヶ岳(421m)に登る。雨や雪が多いのだろうか、苔が多い。

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登山口から飯浦(琵琶湖畔)切り通しまで、1.2km。あと0.7kmで頂上だ。
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賤ヶ岳周辺は、羽柴秀吉と柴田勝家とが合戦をした古戦場である。今の季節だったら、「枯れ草や 兵どもが 夢のあと」。琵琶湖と余呉湖が、眼下に広がっている。南遙かに竹生島、北方には雪を被った山が遠望できる。
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余呉湖は神秘的な雰囲気を湛えている。
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木ノ本方面へ下山する。

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賤ヶ岳古合戦戦没者霊地には、兜を被った石仏がおられた。仏には兜は似合わない気がした。
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どんどん下っていく。冬期はリフトも停止している。
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木ノ本の大音の里に着く。この里では、琴糸を作っていたという。
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「極楽」という名の民宿があった。極楽に行けるものだったら、一度泊まりたいものだ。
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伊香具神社は風格があった。
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糸取り資料館の後には、鮒寿司やワカサギ料理などを食べさせてくれる料亭がある。若かりし頃職場の連中と行ったことがある。
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一の宮の白樫の大樹は、樹齢約400年という。巨樹は、野神として祀られる風習がある。
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黒田の里に行く。
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黒田官兵衛の先祖の碑が残っている。。
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北国街道を歩く。

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酒蔵に寄り、しぼりたて生吟醸酒「北国街道」を買い求める。ここは桑酒でも有名である。街道筋には、もう一軒酒蔵がある。醤油屋も3軒ある。それだけこの街道は賑わっていたのだろう。
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木之本地蔵院に行く。日本三大地蔵尊の一つで、眼病を治す仏様がおられる。
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北国街道沿いには、旧家が多く残る。
本陣のあった薬屋さん。
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もう一軒の酒蔵。ここも良い酒を造っておられる。趙ビッグな杉玉があった。
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パン屋には鏡餅ではなく、鏡パンが置かれていた。洒落たことをされると好感が持てた。
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雨が降り出したので、急いで木ノ本駅まで行く。車中では日本酒を少しいただき、長浜・彦根・近江八幡・大津、そして京都へ。行きは湖西線を通ったので、琵琶湖を一周したことになる。知人のように、いつかは歩いて琵琶湖一周を成し遂げたい。

新年最初の旅は、2万歩を超えることができた。ありがたいことである。

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2016年1月 4日 (月)

借りている畑に、タマネギを植えに行く。12月中旬に行って以来で、久方ぶりだ。途中の田園は、暖冬のせいで、荒涼とした冬枯れの景色ではない。

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畑の近くには、早くも紅梅が咲いていた。
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椿の花も咲いていた。
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沈丁花のつぼみも膨らんできた。
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イチョウの葉が一杯積もっていた。イチョウは枯れないらしい。そのままにして、雑草を引き抜く。

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水菜やターサイ、レタスなど、大きく成長していた。我が愛しき子を見るように目が細まるのを感じる。
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タマネギを植える。植える時期が少し遅いだろうか、素人でよく分からない。
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今夜は収穫した水菜で鍋料理。やはり自分が育てた野菜は、野菜特有の甘さや歯ごたえなど、市販のものとは全然違う。田舎から持ち帰った豆餅が美味しかった。
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手をかければかけるほど、野菜はそれに応えてくれる。あまりマメではないが、もっと手をかけていきたい。

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2016年1月 1日 (金)

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

拙ブログにお目を通していただき、誠にありがとうございます。

本年もよろしくご指導をお願い致します。

芦田川から初日の出を見る。

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兄の運転で、芦田川沿いを車で走る。見事なとんどが、地域の老人会によって作られている。

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御調(みつぎ)八幡宮に初詣する。四時頃だったが、参拝客は多かった。並ばずに遠くから、世の平安、家族の健康などを祈る。
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早くも梅が咲いていた。
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元日は、日が差せば温かい、穏やかな天気であった。この一年間も、この天気のようであって欲しい。きな臭い匂いは嫌だ。

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