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2016年7月

2016年7月31日 (日)

沖縄の思いをつなぐ奈良集会

7月31日(日)に奈良県人権センターで、沖縄から平和運動センター事務局長の大城悟さんをお招きして、集会が行われた。「人の世に熱あれ 人間に光あれ」の言葉が、今こそ必要なときはない。

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150人くらいの参加者があった。「沖縄を他人事だと思っていませんか!」という副題が付いているが、参加者たちは自己の問題として沖縄を考え、ここに参加されたのであろう。

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沖縄の高江・辺野古につながる会の事務局長の田村さんが、司会した。会の共同代表の玉浦さんが挨拶をして、松田さんがアピールした。熱情的に語りかけられた。

参議院選挙の結果は、10万票以上の差を付けて、基地反対派の伊佐さんが勝利した。ところが、その翌日全国から500人以上の機動隊を導入して、市民を排除しながらオスプレイパッドの建設を強行している。9年前の2007年から封鎖してきたN1ゲートが、7月22日にこじ開けられたことへの憤怒が渦巻いていた。
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沖縄平和運動センターの大城悟さんが「辺野古新基地建設阻止の取り組み」を語られた。基地前では果敢に機動隊と対峙されている大城さんは、今は仏のような慈悲の顔で訥々とお話しになった。「命こそ宝」を踏みにじる権力への怒りを内に秘めながら、絶対負けないという闘志を秘めておられる、素晴らしい人だ。
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「辺野古の基地建設は、普天間基地の移設代替ではない。耐用年数200年とも言われる、新基地建設であり、沖縄における米軍基地の機能強化にほかならない。」
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奈良ー沖縄連帯委員会の代表、崎浜盛喜さんが集会まとめをされた。シーサーのようなお顔立ちで、不正に対して絶対に許さない気迫が溢れている、まさに正義の人である。

「今こそ、犠牲と差別、抑圧という沖縄の歴史に終止符を打たなければならない。」
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大城さんを囲んで10人あまりが、駅前酒場で酒を飲み交わした。
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小生は一次会で帰ったが、まだまだ飲み会は続くようだった。

「沖縄はけっして他人事ではない!」

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2016年7月30日 (土)

2016 ZENKO in 大阪

平和と民主主義をめざす全国交歓会が、30日にエル大阪で行われた。友人たちと一緒に参加した。

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「STOP 戦争・改憲!倒そう安倍・おおさか維新!」「99%の世界をつくろう!国際連帯の力で」「平和な世界、美しい労働。大切な人権のために連帯して頑張りましょう」などのテーマが付いている。

実行委員長が、決議案や重点方針を提起した。

「安倍政権はけっして強くない。新自由主義政策の矛盾が露呈する中、あらゆる手を使い、市民運動を分断し、メディアに圧力を掛け、無関心とあきらめを植え付けようとする。しかし、私たちが運動を強化し、世界の人々と連帯していけば、必ず勝てる。戦争・原発・貧困などあらゆる課題をトータルに結び、安倍政権を打倒しよう。」

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参議院選挙では、ZENKOは大阪で野党統一候補の渡辺結さんを支援した。善戦したが、自民党や大阪維新に負けてしまった。さらにこの動きを強化していく必要がある。福島や沖縄では現職大臣を打ち破り、東北では軒並み野党統一候補が勝利した。原発や米軍基地、TPPなど争点を明確にして闘えば、民意は必ず反映されるだろう。

「市民と野党による改憲阻止の共闘運動を、地域から作り出そう。」
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月桃の花歌舞団が、「ダイレクト」を力強く歌った。「原発いらない おさらばだ 戦争いらない おさらばだ・・・・・・ 直接言わなきゃ届かない カンタンちょっぴりムズカシイ」
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ZENKO運動のさまざまな報告がなされた。地域や職場に根付いた、小さいけれども地道な実践には、本当に頭が下がる思いだった。

アベノミクスは貧困と格差拡大を深刻化させ、民衆の生活を破壊している。富裕層や大企業への課税を強化して、社会保障や福祉を充実させていこう。いのちと人権が何よりも尊重される社会を実現していこう。

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ウチナーから、キャンプシュワブ前行動のリーダー、上間芳子さんが熱くアピールされた。「参議院選挙で野党候補が圧勝した直後に、高江のヘリパッド工事を強行した。ウチナーの命こそ宝を踏みにじるようなやり方を、絶対に許さない。私たちは必ず勝つ!」
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韓国やイラク、インドなどからのアピールがあった。
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「福島の放射能被害の実態と取り組み」をアピールされた。また、伊方原発再稼働反対についてアピールされた。避難指示を解除して帰還させようとする政策は、再稼働を進める政策と一体化して、福島の人々の命と人権を踏みにじるものであり、到底認めるわけにはいかない。
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盛り沢山すぎて、すべては消化できなかったが、たいへん勉強になり、日々の実践に行かしていこうと思った。





 

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2016年7月28日 (木)

平泉

東北本線で金ヶ崎駅で下車する。伊達氏が盛岡藩との藩境に要害を置き、今でも武家町が残っている。重要伝統的建造物保存地区に指定されている。

急に雨が降り出し、びしょ濡れになってしまった。

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平泉駅まで行く。レンタサイクルを借りて流浪する。幸いなことに、雨が上がった。

柳之御所遺跡から高館を望む。
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高館義経堂に行く。芭蕉がこの平泉を訪ねたのは、元禄2年(1689年)旧暦5月のことである。一説によれば、芭蕉が平泉を訪ねたのは、この高館で自刃した義経の500回忌を意識した旅とも言われている。

奥の細道に、「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。・・・・・。高館に上れば、北上川南部より流るる大河なり。」「夏草や 兵どもが 夢の跡」
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中尊寺にお参りする。八幡堂、弁慶堂、薬師堂など多くの末寺がある。

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本堂にお参りする。
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秘仏ご開帳があり、一字金輪佛にお参りした。パンフレットを見て頂ければお分かりのように、肌や唇などには彩色がなされ、「人肌の大日如来」として厚く信仰されている。
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金色堂新覆堂。金色堂は藤原清衡が1124年に建立して、金箔を貼った豪華絢爛さは本当にすばらしかった。三代のご遺体も安置されている。神秘的な雰囲気も漂っていた。
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「五月雨の 降り残してや 光堂」松尾芭蕉
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旧覆堂。
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能舞台。
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観自在王院跡

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毛越寺は、次回に残しておく。
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毛越寺から約6キロ先にある、達谷窟毘沙門堂にお参りする。ここまでは観光客はあまり来ない。

途中、鬘石や姫待滝を見る。
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達谷窟毘沙門堂に到着。岩面大仏はスケールが大きく、見応えがあった。
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猛スピードで平泉駅まで帰る。何とか電車に間に合った。

今回、松島は通り過ぎただけだった。
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仙台駅で下車して、遅い昼食。
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仙台駅で空港線に乗り換える。まもなく七夕祭り。
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ピ-チで1時間30分あまり。快晴だった。
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六泊七日の東北旅行が終わった。すごく中身の濃い充実した旅だった。妻はこの間田舎に帰り、親孝行をしていた。旅の自由を与えてくれた妻にも感謝したい。

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2016年7月27日 (水)

イーハトーブ花巻

イーハトーブとは、宮沢賢治が名づけた「心象風景の中の理想郷」のことである。賢治生誕120年の記念すべき年である。小生は賢治の大ファンであり、レンタサイクルでワクワクしながら流浪した。

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新渡戸稲造記念館
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同心屋敷の手前に、良い顔の石仏がおられた。
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同心屋敷では、お茶を三杯もいただいた。お年寄りの心尽くしが嬉しい。
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「雨にも負けず」詩碑(字は高村光太郎)へ行く。「野原ノ松ノ木ノ 小サナ茅葺キノ小屋ニイテ 東ニ病気ノ子供アレバ 行ッテ看病シテヤリ・・・・・・」農学校を30歳で退職した賢治は、ここに羅須知人協会を設立して、理想の実現に挑んだ。  
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宮沢賢治の生家。
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イギリス海岸に行く。北上川と猿が石川とが合流しているところで、白い泥岩が露出する。ドーバー海峡に似ているので、賢治が命名した。

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羅須知人協会へと自転車を飛ばす。
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花巻農業高校の敷地内にある。宮沢賢治の偉大なところは、全く「利己」というものが無いことだ。真の博愛の精神に満ちて行動した。
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北上川を渡る。
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イーハトーブ館には、賢治に関する書籍や研究論文が整理公開されている。ここだけでも半日は過ごせそうだ。
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長い木段を上り、胡四王山に上る。最近熊が出没したので、注意するようにと掲示があった。賢治の作品に何度も出てくる、早池峰山(はやちねさん1917m)は雲に隠れていた。
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宮沢賢治記念館に行く。芸術・宗教など5分野から、賢治にアプローチしている。ここも半日は過ごせそうだ。
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宮沢賢治童話館に行く。童心に帰って楽しんだ。
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この日は、ケンジの宿に宿泊した。一泊朝食付きで3500円の安さである。食材や酒を買い求め、旅の最後の夜をゆっくりした。

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2016年7月26日 (火)

遠野

仙台駅から東北本線で、一関、花巻へと行く。駅周辺は、七夕祭りの予告がされていた。

今日も青春18切符を利用する。

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釜石線との乗り継ぎの時間がだいぶあり、周辺を散策する。林風舎には、賢治の作品をモチーフにしたグッズが売られていた。きつね蕎麦が美味しかった。
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遠野駅まで行く。レンタサイクルを借りる。遠野郷を流浪する。
狐の関所は田んぼを見下ろす小高い丘で、狐は通行人をよく化かしたという。
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カッパ淵へ行く。カッパを釣ろうとする者がいた。
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カッパ淵には、カッパが住んでいると言われる。遠野のカッパは赤色という。時間があったら、キュウリを餌にして釣ってみたいものだ。
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伝承園に行く。農家の生活様式を再現して、伝統行事や民芸品の制作などもできる。人馬が同居した、江戸末期の曲がり家があった。

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オシラサマは、娘と馬との恋物語で知られる。
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柳田国男の「遠野物語」のもとになったのが、地元の佐々木氏のお話である。展示館もあった。
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遠野駅周辺を散策する。お寺や彫刻などには、少し不思議な雰囲気が漂う。
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釜石線の途中では、眼鏡橋が見える。銀河鉄道のモチーフになっている。
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花巻駅からバスで、鉛温泉に行く。一軒宿の藤三旅館があり、レトロな感じのする旅館である。田宮虎彦がこの旅館に逗留して、「銀心中」を執筆した。

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鉛温泉は、源泉掛け流しの湯である。格安の湯治部に泊まる。部屋食で、盛り沢山のおかずが出た。自由に飲めるから、部屋食は好きだ。特別キャンペーンで、一泊二食で、5000円の安さであった。
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白猿の湯は、湯船の深さが125センチメートルで、立って入る。桂の湯には露天風呂がある。川のせせらぎを見ながら、長らく浸かっていた。
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白猿の湯、桂の湯に、数えられないくらい何度も入った。すっかり疲れがとれたみたいだ。

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2016年7月25日 (月)

南相馬市・飯舘村

今日だけはレンタカーで移動。仙台から常磐自動車道を通り、まず相馬へ。

まず百尺観音にお参りする。相馬出身の仏師が、岩山を切り開き建立した。大震災で犠牲となった方たちを哀悼した。そして、早期に復興するように願った。

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道の駅そうまに寄る。大震災に関する資料も展示してあった。身元不明者のポスターには心が痛んだ。

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国道6号線を南下して、南相馬市に入った。道路脇には、フレコンバッグが大量に置かれている。放射線量はどのくらいだろうか。
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海岸の方へ行ってみる。海原の青色が目にしみた。こんな美しい海が、津波となって襲ってきたのが恨めしかった。
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相馬小高神社にお参りする。中村藩相馬氏の城跡でもある。相馬野馬追の「野馬懸」は、既に終わっていた。
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南相馬市小高地区は、今年の7月12日に避難指示が解除されたばかりである。5年4ヶ月ぶりに、約13000人が帰れることになった。住民が多く帰って賑やかになって欲しいが、現状を見る限りたいへん厳しいと思った。まだ至る所で除染が進行中である。
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大悲山の石仏にお参りする。薬師堂・阿弥陀堂・観音堂に石仏が祀られており、これらの石仏群は日本三大磨崖仏のひとつであるということだ。特に、薬師堂の石仏は、2メートルを越す半肉彫りの座像を中心として10体が刻まれている。残念ながら、お顔は摩滅されている。境内の大杉は、幹周り約8.5メートル、高さ約45メートル、樹齢1000年の巨樹である。

周囲は未だ除染中であった。
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浪江町に入る。申し訳ないが、ゴーストタウンというしか仕方が無い。高線量の放射性物質が蔓延しているために、地震で崩壊されたままである。原発は人間の生活とは共存などできはしないと、憤怒が込み上げてきた。
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国道6号線をさらに南下して、双葉町に入る。現在もまだ自動車のみ通行可で、その自動車もまれにしか通らない。福島第一原発への入り口からは、もちろん進入は禁止されている。フクイチまで約3キロ離れているのだが、放射線量はやはり異常に高い。帰還困難区域なので、町に入る各道路は封鎖されている。

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引き返して、浪江町の海岸のほうへ行く。フクイチの鉄塔が遠望できる。数軒の家の外形を残すのみで、殆どの家は基礎の部分を残すのみである。空白感に捉えられて、言葉は見当たらなかった。
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県道12号線を通り、飯舘村へ行く。2011年の東北大震災前までは、「日本で最も美しい村」連合に入り、豊かな自然に恵まれた村だった。

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至る所に、除染された土を入れたフレコンバッグが山積みされている。さらに緑のシートで覆われたところもある。
飯舘村は地震の被害は軽微だったが、当日のフクイチからの風の流れにより、20キロも離れているのだが、放射性物質に汚染された。放射線量が年間積算20ミリシーベルトに達する恐れがあり、「計画的避難区域」に指定され、一ヶ月以内に住民全員の避難が指示された。
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2012年に、避難指示解除準備区域(年間20ミリシーベルト以下)、居住制限区域(20ミリを超え50ミリ以下)、帰還困難区域(50ミリを超える)の3区域に指定された。
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今年の7月から長期宿泊が実施されている。そして、来年2017年3月31日に避難指示が解除されることが決定した。帰還困難区域は適用されない。
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飯舘村役場を訪ねて、除染担当者からお話を伺った。今年の7月1日から、村に帰りこの庁舎で業務が行われるようになった。今も仕事が終われば、福島市など村の周辺に帰るということだ。

来年3月末に避難指示が解除されても、「基幹産業が農業なので、どのくらいの人たちが帰ってこられるのか、そして農業で生活が成り立っていくのか、とても気がかりである」と話されていた。

役場室内・外は、確かに線量が低かった。しかし、山沿いや谷底など、スポット的に線量が非常に高いところがある。特に、帰還困難区域の長泥地区は、到底人が住めるような所ではないということだ。除染が完全に行われるのは、なかなか厳しいものがあるような気がした。
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フレコンバッグを搬出してから、避難指示解除を決定すべきだと思うが、搬出の見通しはないということだ。一方では早く村に帰りたいという住民の思いがわかるだけに、とてもつらい。
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飯舘村が復興できるのか(もちろん復興して欲しいのだが)、それを考えたら胸が苦しくなった。
今日は一日、心が重たかった。



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2016年7月24日 (日)

相馬野馬追

早朝に海辺を散歩する。釣り客を乗せた船が、次々出港する。塩釜湾で唯一の島、曲木(まがき)島は古今集などに詠まれている。

「わが脊子を 都にやりて 塩竃の 曲木の島の まつぞ恋しき」

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青春18切符を使う。仙石線で仙台まで行き、常磐線に乗り換え亘理(わたり)駅まで行く。代行バスに乗り換え、相馬駅まで行く。駅の修復工事が行われ、仮設商店街での営業がなされていた。

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相馬駅から電車で、原ノ町駅まで行く。
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相馬野馬追を一度見てみたいと、ずっと前から思っていたのだが、震災後にその思いが余計に強くなっていた。今ようやくその念願が叶い、小雨などものともせずこの祭りにどっぷりと浸ってしまった。
相馬野馬追は、戦国時代から続く一千有余年の歴史を誇る伝統文化行事である。500余騎の甲冑騎馬武者が勇壮に出場して、世界一の馬の祭典と言われている。

お行列が始まる。相馬大田神社に供奉する中の郷(南相馬市原町区)勢を先頭にして、相馬小高神社に供奉する小高郷(南相馬市小高区)勢、標葉郷(浪江町・双葉町・大熊町)勢が続き、しんがりは相馬中村神社に供奉する北郷(南相馬市鹿島区)勢、宇多郷(相馬市)勢がつとめる。五百余騎の大軍が威風堂々と行列する姿を、最前列に座って眺め、実に圧倒されて目眩がするほどであった。

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雲雀ヶ原祭場地で、甲冑競馬が始まった。兜を脱ぎ白鉢巻きを締めた若武者が、旗指物をなびかせながら疾走する。人馬一体となった姿は迫力があり、思わず歓声を上げてしまった。一周1000メートルのコースが、たいへん短く感じられた。

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いよいよメインの神旗争奪戦が行われた。花火が上がり二本の御神旗がゆっくりと舞い降りてくると、騎馬武者たちがどっと駆けだし、果敢に奪い合う。落馬する人もあり、救急車で運ばれていた。勝者は誇らしげに旗を掲げて、本陣山の羊腸の坂を一気に駆け上る。その晴れ晴れとした若者の顔は、見ていて清々しかった。

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まだ時間があったので、原ノ町駅から小高駅まで電車で行く。7月上旬に避難解除となり、復旧開通したばかりだ。どのくらいの放射線量なのか、測定計器がないのでわからなかった。ほとんど人気(ひとけ)は無い。

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仙台まで戻る。今日は一日中、興奮気味であった。




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2016年7月23日 (土)

気仙沼

3年前のさんさ酒屋のコンサートで、八竜リバティーバンドが「あなたへ」という歌を歌われて、感動の涙を止めようがなかった。それ以来、気仙沼を訪ねて、作詞をされた菅原さんを訪ねてみたいという思いが強くなった。

青春18切符を使う。仙台から東北本線で小牛田へ。石巻線に乗り換えて、前谷地で気仙沼線BRTに乗り換える。BRTとは、(Bus Rapid Transit)の略で、線路のあった専用レーンを一部走る。

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南三陸町では、大震災の津波で832人が亡くなった。当時の人口の約5%にあたる。海に近いほど、その惨状の爪痕が今もなお残っていた。住民たちは不屈の精神で頑張っておられた。南三陸さんさん商店街などの仮設商店街には、弾んだ元気な声が飛び交っていた。イースター島から送られたモアイ像も、力強く応援していた。

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南三陸町防災対策庁舎では、高さ約15メートルの大津波にのみ込まれて、43人が犠牲となった。震災復興記念公園として、この建物は残すという。

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津波を起こした海は、非情なことにあまりにも美しかった。海に対して憎しみを抱くべきであるが、美しさに浸ってしまった。
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気仙沼駅に到着。前谷地駅から約二時間半かかった。
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レンタサイクルを借りて、街中を回る。市役所には、ここまで津波が来たという標示があった。気仙沼では、1359人が亡くなられた。直接死が1031人、関連死が108人、行方不明が220人である。

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補陀寺に寄る。津波で亡くなられた死者を悼む。江戸中期の六角堂が珍しかった。

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修復しているところと、そのままにしているところがある。
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すがとよ(菅原)酒店を訪ねる。「あなたへ」の作詞をされた菅原文子さんは、歌にあるように店番をされていた。

あの日、愛する夫は伸ばした手をすり抜けて、津波に流された。それ以来、「私はいつものようにお店で待っています。ただただひたすら あなたのお帰り待っています。」震災から1年3ヶ月経ち、愛する夫は遺体で発見されたという。息子たちが頑張って店をやっていると言われたとき、文子さんの目は輝いていた。

「負げねえぞ 気仙沼」を買い求め、八リバコンサートでの再会を約束して辞した。

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復興屋台村 気仙沼横丁で昼食をとる。得々定食を食べる。刺身は、ハチマグロの中トロ、中オチ、カツオ、焼き魚は塩麹付けのカツオなどであった。これで1200円の安さで驚嘆してしまった。

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気仙沼お魚いちばに寄る。カツオのたたきを試食したが、これまで食べたことがないほどたいへん美味しかった。

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気仙沼駅から大船渡線で一関駅まで行く。

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東北本線で塩釜駅まで行き、東塩釜まで歩く。その途中、塩竃神社に寄る。急傾斜の石段が、とてもきつかった。その周辺には、寿司屋さんや、酒蔵などがあった。

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今夜は船宿に泊まる。一泊二食で5400円。部屋に食事を持ち込むことができたので、今日すがとよ酒店で買った「負げねえぞ 気仙沼」をいただく。まろやかで美味しすぎて、すぐに空けてしまった。
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2016年7月22日 (金)

仙台

東北を流浪した。東日本大震災発生から5年経ち、現状はどうなっているのだろうか、この目で見てみようと考えたからである。これが主な目的であるが、他にも「相馬野馬追」「宮沢賢治生誕120年」「奥の細道」など、いろいろある。

関空から仙台空港へ。飛行時間は、1時間30分ほど。格安航空で片道5000円あまり。

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仙台駅には4時頃着いた。七夕祭り前で、まだ人は少ない。
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欅並木が続く、定禅寺通りを歩く。勾玉台公園には、こんなドキッとするような彫像があった。女性の恋に憑かれた目が、印象的であった。
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メディアテークで行われている、東北障がい者芸術公募展を見に行く。「東北のたからもの  -さがして・みつけて・すきになる」の副題が付いていて、感動のあまり長らく見入ってしまった。
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「スーパービッグ フィッシュ」弘前大学付属特別支援学校

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復興を期待する思いが絵に溢れている。
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常禅寺通りの中央緑地帯では、夕刻が近づき、手作りカフェが開かれていた。
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広瀬川の対岸に、青葉城跡が見える。
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仕事関係の安ホテルに泊まる。今夜だけ夕食は奮発して、仙台名物の牛タン、シチューを食べた。おいしさのあまりに、酒を飲みすぎてしまった。
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2016年7月21日 (木)

草取り

午前中は妻と一緒に園芸店に行く。野菜や花の名前や、育て方を知るのに役に立つ。キュウリだけでもいろんな種類があることに驚いた。

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買い求めたオジギソウを鉢に植える。触れると葉を閉じるので、孫が喜ぶことだろう。
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陶芸をさせて頂いている、家の庭の草取りをする。いくらでも草が生えるので、たいへんだ。梅雨が明け日差しは強くなったが、時折涼風が通り過ぎる。

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すっかり疲れてしまったが、しばしの休憩後に陶芸に集中する。
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しばらく畑の作業。草取りをこまめにしなくては、すぐに広がってしまう。

トウモロコシの赤ちゃん!大きくなってくれれば良いのだが。

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ミントの花は、情熱的な赤だった。
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帰りに、知人の営む野菜市に寄る。知人の息子は西洋野菜を栽培していて、見知らぬものが多く置いてある。茄子の種類もこんなにたくさんある。もちろん中身も味も違うので、それぞれの料理法があるらしい。

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数本のキュウリをサービスしてくださった。いつもありがたいことだ。

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2016年7月18日 (月)

落花生の花

落花生の花を初めて見た。実からは想像できない、品のある黄色の小さな花だった。

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アスパラガス
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茗荷
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紫蘇
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茄子が次々できている。
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今日、収穫した野菜たち。
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陶芸に集中する。大皿や壺を造ってみた。

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家に帰り、カボチャを切ってみた。
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妻が、素材を活かすシンプルな料理を作ってくれた。
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予想以上にカボチャが甘かった。自分で育てたものは、やはり何でも美味しい。

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2016年7月17日 (日)

陶芸作品(7月)

拙い作品が焼き上がった。

撮影しているところに先生が通りかかられたので、「自己満足です」と言い訳した。先生は「記録として残すことも大事です」とフォローしてくださった。ありがたいことである。

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下手さを追求すれば何とかなるであろうと、ポジティブに考えるようにしている。

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月下美人

月下美人が咲いた。大輪の可憐な白い花で、一夜限りの哀れな花である。懸命に咲いた花をいじらしく思った。

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今夜は山の仲間たちの飲み会があり、9時過ぎに奥さん連中が月下美人を見に立ち寄る。あと一時間もすれば、咲くであろう。満開を見てもらえなかったのは、とても残念。
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午後10時くらいを過ぎて、妖婉な花を咲かせたらしい。小生は酔っ払って、眠りの世界に。

月の明るい晩に咲くとかいう。シャッターを閉めていたので、月は確認できず。
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翌朝の様子。

後方が咲き終わり萎れた花。しょぼんと垂れ下がり、何か力尽きたような姿だ。前方が今夜花を咲かせる。やはり勢いがあるものは違う。
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月下美人の花言葉は、「ただ一度会いたくて」だそうだ。恋の思いが似つかわしいと思った。

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2016年7月16日 (土)

島ヶ原

忍術学講座を聴いた後、加茂に帰る途中、三重県島ヶ原に寄る。島ヶ原駅前にある、「夢の道」でちょっと遅い昼飯をとる。地元の高齢者たちが運営されている。ランチは800円で、地元の野菜がふんだんに使われ、とても美味しかった。ご飯はお替わりができ、もう満腹であった。

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腹減らしに、島ヶ原の里をさまよう。

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薬師堂を訪ねる。この境内には、室町時代頃の六地蔵がいらっしゃる。
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また、阿弥陀如来磨崖仏がおられる。巨岩に挟まれていて、花崗岩に彫られた仏さまは顔がまだわかる。
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西念寺にお参りする。大きな榧の木がある。舟形光背を背にして、来迎印を結ぶ阿弥陀さまがいらっしゃる。ふくよかなお顔である。
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鸕宮神社に参る。天保14年(1843年)に作られた巨大な石燈籠は、なんと約58トンある。また、寛文6年(1666年)に造られた四角燈籠は珍しかった。

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正月堂にお参りする。奈良東大寺の実忠和尚の開基と言われ、本尊の十一面観音立像は33年に一度開帳される秘仏である。

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島ヶ原には他にも見所があるのだが、次回に取っておく。


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忍術学講座

三重大学伊賀連携フィールド「忍者・忍術学講座」が、ハイトピア伊賀で行われた。伊賀忍者の研究をしている友人が、この講座のことを教えてくれた。

今日は、甲野善紀氏が「現代スポーツの常識にはない武術の身体運用法」と題して実演入りでお話しされた。まず、手裏剣投げ。遠距離や近距離から手裏剣を投げられ、みごとに的を射ていた。

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甲野氏は、従来のスポーツ運動論にはなかった身体運用法を、様々な武術・武道・スポーツ・異業種との交流からヒントを得て研究している。

甲野氏の紹介する技術は、一例を挙げると、「安定している重心 (バランス) をわざと不安定にする事によって、軽い力加減で動かせるようにするものである。重いドラム缶を斜めにして転がすように。」

甲野氏が少し動作を起こすだけで、100キロぐらいの若者が軽く飛んでいた。

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鷲のような指にすることにより、高い台にも簡単に載れる。

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真剣をすごい早さで返されて、その早業はまさに神業だった。

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甲野氏の理論は、常識を覆すものが多いので、とても面白かった。「やけどしたら水で冷やすのではなく、湯につけた方がいい。やけどしたことを、身体に忘れさせるのである。」

次回は、三重大学名誉教授の脇田裕久氏による「古武術的身体操法」の講座が8月20日に行われる。


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伊賀上野

三重県の伊賀上野に行く。車で約40分である。

伊勢道と奈良道が交わる鍵屋の辻は、三代仇討ちのひとつ、伊賀越え仇討ちの舞台となった。今は資料館があり、荒木又右衛門の遺品などが展示してある。朝早くて、まだ開館せず。

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伊賀流忍者博物館に行くが、まだ開館していなかった。忍術体験館や、忍者伝承館もあり、必見の価値あり。
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俳聖殿は、旅姿の芭蕉を建築で表現したものである。
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伊賀上野城は、藤堂高虎により築城され、内堀と高石垣がそのまま残っている。天守閣は、1935年に復元された。高石垣は、日本有数の高さである。

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芭蕉翁記念館は8時30分より開館する。芭蕉文庫には芭蕉の真蹟や連歌俳諧に関する資料が数多く展示してある。今は、「芭蕉と芭蕉忌」という企画展が行われている。芭蕉の最期に立ち会った其角や去来などの句も展示してあった。
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芭蕉翁の生家を訪ねる。芭蕉は、正保元年(1644年)にこの地で生まれ、29歳まで過ごした。

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生家の裏には、処女句集「貝おほひ」を執筆した釣月軒もある。伊賀への帰郷の際には、この家で起居した。
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愛染院は、松尾家の菩提寺である。
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伊賀街道を歩く。風情のある古家が散在している。
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伊賀牛で有名な「金谷」。いつも見るだけ、通り過ぎるだけである。一度は入って食べてみたい。
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近鉄電車が通り過ぎた。
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上野天神宮にお参りする。
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近辺にはだんじり蔵がある。
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蓑虫庵へ行く。門人の服部土芳がこの庵を結び、芭蕉が「みの虫の 音をききにこよ 草の庵」と賛して、この区を与えたので名が付いた。まさに、わび・さびの世界である。芭蕉堂やや古池塚もある。
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もうしばらく街道筋を歩く。和菓子屋もたくさんある。
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伊賀焼きの店もある。
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良い時間となった。


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2016年7月13日 (水)

吉向松月窯

仕事が一段落ついたので午後から休みを取り、案内状をいただいていた陶芸展に行く。守口の京阪百貨店で開かれている。

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吉向松月窯は大阪の古窯である。江戸時代に大阪十三(じゅうそう)の地に窯を築いてより、200余年。高津、枚方を経て、現在交野(かたの)の地で脈々と作陶を続けられている。
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現在9世の松月で、伝統を引き継ぎながら、新しい工夫をなされている。青釉や緑釉を主とした色釉や、色化粧土を用いた色鮮やかな「楽(らく)焼き」風の焼き物である。特に、色釉を使って自然の風物を描いている、ほのぼのとした絵がとても素晴らしかった。

窯主の許可を得て、その作品の一部を撮らせていただく。

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若松金彩重箱を、陶芸で作られていた。高度の技術がなければ、到底できないだろう。
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「天の川」と題された陶筥が、たいへん印象的だった。大空の拡がり、宇宙の神秘をしみじみと感じた。
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窯主に釉薬のことや粘土のことなどいろいろご教授いただいた。ありがとうございました。一桁値段が違っていたので、今回は買うことができなかった。良いものは、それだけの価値があるということなのだろう。
伊賀の友人も来ていた。彼は車で来ていて帰る方向が同じなので、家の近くまで乗せていただく。その途中、奈良県生駒市の高山にある、「鶴亀庵」に寄り、コーヒータイム。

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鶴亀庵の庵主は82歳になるが、話し好きでお元気だ。主の集めた骨董も展示されている。

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魯山人の作と言われていたが、真贋についてはわからない。
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庵主の四方山話に耳を傾けながら、ゆったりと珈琲をいただく。
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庵主は独学で水墨画もされている。
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庭園(作庭)を営んでおられたので、庭も見飽きない。
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店の近くには、お地蔵と役行者がおられた。
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目の幸せを得て、心洗われる半日だった。

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2016年7月10日 (日)

石仏の里 当尾

投票を終えた。本当にこの国はどうなるのだろうか。立憲主義・平和主義を壊してはいけない。憲法の改悪を進める政治家たちは、当然落選するべきだ。

わらべ地蔵を、石仏の里当尾に案内する。

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弥勒如来立像は、文永11年(1274年)に造立された。笠置寺の弥勒磨崖仏を写したものとして有名である。
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数百メートル先は奈良市である。
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当尾の里で最も有名なのが、わらい仏である。永仁7年(1299年)の造立である。永遠の微笑をたたえている。優しく力強く、凡愚を抱きしめてくださる。

わらべ地蔵は長らく眺めておられた。

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阿弥陀如来(中央)は、浄土へと来迎くださる。

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観世音菩薩は蓮台を捧げられている。

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勢至菩薩は合掌されている。
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この辺りは、美しい日本の歩きたくなる道に選ばれている。わらべ地蔵は少し緊張気味ではあるが、興味津々である。

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一願不動(1287年)は、ただ一つ一心にお願いすれば叶えてくださるという。今日は「野党統一候補の勝利」をお願いした。
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岩船寺へお参りする。紫陽花は見頃を過ぎていた。
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すぐ近くの白山神社に寄る。
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浄瑠璃寺へ向かって歩く。
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あたご燈籠(江戸時代)はおもしろい形である。わらべ地蔵はしきりに感心していた。
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浄瑠璃寺に到着。猫がわらべ地蔵を迎えてくれた。

わらべ地蔵は浄瑠璃寺をすっかり気に入って、モデルとして積極的に喜喜としてポーズを取っていた。
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阿弥陀堂、三重塔、九体阿弥陀仏は国宝である。
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わらべ地蔵は、浄瑠璃寺のどこに置いても、景色にしぜんと溶け込んでいた。

わらべ地蔵は、この地を安住の地と覚悟を決めてくださったようだ。和やかな表情になっている。

野のほとけさんに、彫って頂きたい岩がありました。

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とても充実した一日だった。

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2016年7月 9日 (土)

モデルはわらべ地蔵

わらべ地蔵をモデルに、庭で撮影会。不思議なことに、わらべ地蔵はどんな花ともよく似合う。わらべは最初は戸惑っていたが、次第に生き生きとした表情になっていった。

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ミカンの木、トマトの前で撮影。
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この花たちは妻が丹精を込めて育てている。わらべ地蔵がやって来て、花は嬉しそうだ。
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メダカたちも、わらべ地蔵がやって来て、とても喜んでいる。知らぬうちに、よく遊んでいるようだ。
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1週間経ち、ようやくわらべ地蔵はこの地になれてきたようだ。寂しげな表情をしなくなった。時々、島田のことや、野のほとけさんのことを思い出すようではあるけれど・・。

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2016年7月 8日 (金)

木っ端仏と陶芸に

木っ端仏を連れて、当尾に陶芸の修行に行く。わらべ地蔵はどこに連れて行かれるか、少々不安げな表情だ。

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野のほとけさんがこの木っ端仏を作られたように、自然体でロクロを回そうと試みる。だが、余計な力が入って、なかなかうまくいかない。やはり、魂魄が拡散してしまっているのだろう。これが修行の差かも知れない。とにかく30センチあまりの大皿を作った。

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畑の作業をする。キュウリやトマトなどの花盛りである。これらの質素な花が好きだ。

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ナス、キュウリなどが大きくなりつつある。
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マクワウリも小さいのができた。
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サツマイモも元気に茎を広げつつある。
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虫食いだらけのキャベツ。
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カボチャを四つ収穫した。まだこれよりも大きいのが二つある。茶豆も土よりいただく。
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ずっと前に東寺の弘法の市で買い求めた、六地蔵を部屋に飾った。
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以前、七輪陶芸で作った六地蔵。手で大胆に握って、簡単に作ったものだ。炭の自然釉がかかり、顔が判別できなくなったものもある。
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2016年7月 3日 (日)

わらべ地蔵と共に

島田を後にして、このまま帰るのが惜しいので、わらべ地蔵と共に旅をする。リュックに入っているわらべは、初旅であるのだろう。どこに連れて行かれるのか、最初は嬉しそうにはしゃいでいた。

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三島駅まで行き、レンタサイクルを借りる。既に富士山は諦めていた。発想を変えて、柿田川湧水に行く。リュックを二つ持っていたので、係の人が二人で旅をされているのですかと尋ねた。「はい、そうです、このリュックの中にいます。」と答えたので、キョトンとされていた。何が入っているか想像できたであろうか。まさに同行二人である。

柿田川の湧水を見に行く。わらべを背負ったままで、炎天下でもあり、ヘトヘトになった。しかし、清冽な湧水を見て疲れが吹っ飛んだ。

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富士山に降った雨や雪溶け水が、三島溶岩流に浸透して、20数年の期間を経て、その先端のこの地に湧出する。

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水温は1年を通して、約15度と安定している。まさに水の宝石みたいだ。カワセミや鮎、三島梅花藻などが生息している。川を渡る風が涼しく清涼感がある。

わらべ地蔵も喜んでくれていた。
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また、駅まで帰り、伊豆箱根鉄道に乗る。三島から修善寺までのローカル列車である。伊豆長岡温泉か、修善寺温泉に行って、温泉につかりたかった。

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修善寺駅には、特急「踊り子」が停まっていた。下車して、名物の「椎茸そば」を食べる。煮込んだ椎茸がたっぷりと入っている。蕎麦も美味しかった。
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温泉に入る時間が無くて、次回の楽しみに取っておく。

三島駅から新幹線に乗る。車中ではビールを飲みながら、この旅のいろんなシーンを振り返った。島田の辺りを通り過ぎるとき、リュックの中からシクシク泣く声がした。わらべはお家に帰りたくなったのだろうか。

家に帰り、すぐにリュックからわらべ地蔵を取り出し、妻に「これが島田のわらべ地蔵だよ。」と紹介した。妻もたいへん喜んでくれた。我が家に、新しい家族ができた。
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木っ端のわらべ地蔵は、我が机の横におられる。何かあれば、いつでも話ができるように。
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やはり島田を、そして野の仏さんを恋しがっています。少し寂しそうです。

この地に、早く馴れてくれれば良いのですが・・・・。

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わらべ地蔵

昨日のRPB七夕コンサートの余韻さめやらぬ中、心地良い目覚めだった。紅ちゃんから突然電話があり、わらべ地蔵を自分も見に行きたいので送るよという。昨日のコンサートや打ちあげの疲労があるはずなのに、ほんまにありがたいことである。感謝のしようがない。

主や奥さん、わらべ地蔵たちが迎えてくださり、「いらっしゃい!」とわらべたちの声々が賑やかに聞こえてきた。小生のごときものを大歓迎していただき、実に光栄な気がした。

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さっそく、庭の山野草の中におられるわらべ地蔵たちとお話をさせていただく。みんなそれぞれ表情が違っていて、性情も人格(仏格)も違うのである。ただ、そのお顔の優しさや、みこころの愛しさという点では共通している。
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まぬけ不動を見守るわらべ地蔵は、慈母のような顔をされていた。
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紅ちゃんは芝生に腹ばいになり、地面すれすれからわらべ地蔵にアプローチされていた。さすがというしかない。小生もまねをしたくなった。
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まだまだ見飽きない。何時間この場にいても足りないくらいだ。わらべ地蔵たちとどんどん話が弾む。

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わらべ地蔵たちを創られている主は、真善美を追求するという芸術家魂を持っていらっしゃる。わらべに向かう純な気持ちに、しぜんと崇敬してしまう。

彫られる姿を見せて頂いた。こんな格好でよくもまあ何時間も硬い石に向かってこつこつと彫るなんて、もう驚嘆するしかなかった。
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部屋に上がらせて頂いた。書画も粘土細工も、写真パネルもすばらしい。一芸を究めた人は、すべてに渡って非凡な面を発揮されるのであろう。しかも偉ぶらないところが、この主のすばらしさだ。
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神座のSさんも来られて、世相談義などをした。Sさんには昨年末に神座コンサートでお世話になった。自らも詩を作り曲も作られる。昨日のRPB七夕コンサートにも来られていた。Sさんは最近、世相カルタを作ったということで、紙をいただいた。「(あ)アベ政治 終わりにしよう 投票で」「(ま)マスコミは 国民の声 代弁を」「(わ)若者よ 声を上げよう 手をつなぎ」など・・・・・・。全く同感するものばかりだった。

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この場所から帰りたくなかったが、主人にも迷惑がかかるので辞去した。紅ちゃんに駅まで送って頂いた。

わらべ地蔵(二体)を頂戴した。リュックに入る大きさである。やはり重たいが、なぜか軽い感じがする。せっかくなのでわらべ地蔵たちと三島まで旅をすることにする。その帰りに、新幹線で島田辺りを通り過ぎるときに、リュックからしくしく泣く声が聞こえてきた。こちらはビールを飲んで酩酊していたので、聞こえぬふりをしていた。

さっそく狭い庭に置かせて頂いた。山野草はないけれど、妻の手入れしている花たちが、わらべ地蔵の気持ちを少しでも紛らわせてくれるだろう。めだかも飼っているので、一緒に遊んでください。さびしくないよ。

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近くには浄瑠璃寺や岩船寺があり、その周辺には鎌倉時代辺りの石仏(特に、永遠の微笑を浮かべる笑い仏)がたくさんおられるので、わらべ地蔵が馴れてくれればいいのだが・・・・。

島田の野の仏さま、本当にありがとうございました。

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2016年7月 2日 (土)

RPB七夕コンサート

RPB(レッドポイントブラザーズ)の七夕コンサートが、島田市歩歩路(ポポロ)で行われた。会場に行くと、200名近くの元若者たちが熱気溢れて開演を待ち、立ち見のでる状況であった。RPBがいかにこの島田に溶け込んでいて、支持を受けているのかがすぐに分かった。

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七夕コンサートが始まった。

よっちゃんはRPBのリーダーで、個性溢れるメンバーの良きまとめ役であり、RPBの音楽性を追求する厳しい面も持ち合わされているように感じた。アレンジなどはリーダーがされているようで、洗練され、かつ情感豊かな音楽性を創りだしておられる。かぐや姫やガロ、吉田拓郎などのフォークが、みごとにRPBふうに昇華されている。タイトル表を見るまでは、RPBのオリジナルなのかと思っていたほどだ。

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そんばーさんは、美声の持ち主だ。どこからあの伸びのある繊細な声が生まれるのだろうか。高音が美しく、その導きたどり着く境地にどっぷりと浸ることができる。
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マッキーは、主にベースが担当のようで、音楽に没頭されている表情がステキである。FMネタを披露されるような、ひょうきんな面も持ち合わされておられる。

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われらが紅ちゃん!紅ちゃんはRPBの音楽活動が円滑に進む潤滑油のような気がした。みんなから「紅ちゃん」「紅ちゃん」と慕われ、その優しい人間性にメンバーたちは心から頼っているような気がした。

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RPBの音楽は、まさにこの絵のような世界であった。どこか懐かしい、優しさがいっぱいつまっている、古里のようなイメージだ。人と人とが豊かにつながり、安心してそこにいることのできるようなオアシスのイメージだ。
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個人的には、紅ちゃんが歌われたナターシャの「浜木綿咲いて」がすばらしかった。紅ちゃんは自身の人生と重ねて歌っておられたのか、思いが溢れてこちらまで伝わり涙腺が緩むままに任せていた。オリジナルの「ぼくが生まれた町」は、人情豊かな島田の町が浮かんできた。「またあう日まで」はテンポもよく、観客たちの心をしっかりとつかんでおられ、ジェスチャーが観客から自然と出ていた。

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第二部が始まった。
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いよいよRPBのオリジナル曲、「天王山」「またあう日まで」「悠久の人」「キーウィ」が歌われた。もう感動のるつぼにいて、観客たちは乗りに乗っていた。最後は「満天の星」で、観客たちは立ち上がり、豊かなジェスチャーでサポートされていた。

フォークコンサートでここまで観客と一体となったコンサートは、本当に初めてであった。「元若者」ではなくて、「若者」そのものだった。青春を謳歌している「若者」だった。
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3時間のコンサートが瞬く間に終わった。出口ではメンバーたちがユニセフの寄付を募っておられた。後でお聞きすると、5万円以上集まったという。すごいグループだとつくづく思った。それだけ島田の人たちから信頼され、敬慕されているのだろう。
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すっかり暗くなっていた。島田に来て良かった。そしてタナコンに参加して良かった。ビールで乾杯!余韻に浸りながら、ゆったりと過ごした。

いよいよ明日は、わらべ地蔵に会いに行く。そういえば、生みの親もコンサートに来られていた。よろしくお願いします。

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清水から島田へ

清水港から駿河湾フェリーに乗り、西伊豆へ行く。別名、エスパルスドリームフェリーに乗る。駿河湾からの富士山を見たくて乗ったのだが、残念ながら雲は厚くて到底見えず、心で雄大な景色を想像した。もしかしたらと帰りもフェリーで清水に帰ったが、状況は変わらなかった。

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富士山を見に御殿場の方へ行くことを計画していたのだが、空の状況からして無理だと判断して、早めに島田へ行くことにする。観光協会でレンタサイクルを借りて、蓬莱橋まで行く。ご存知のように、全長897mの世界一長い木造歩道橋である。今回初めて対岸まで渡った。大井川の風は激しく、急流を見ていたら少し不安になった。
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大井川沿いには数多くのグランドがある。中学生のサッカーの試合に足を止めた。紅ちゃんもきっと、サッカーを存分に楽しんでいたのだろう。若かりし頃を想像した。
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朝顔目あきの松は、現在5代目という。盲目の朝顔は、恋の力で目が見えるようになったのだろう。
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七夕の時季で、東海道の大井川川越遺跡には、七夕飾りが揺れていた。七夕さまが古家から現れてくるような気がした。
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街道筋にすばらしい家を見つけた。思わず拍手を送ってしまった。全く同感!!ここまでの勇気があるかどうか?!
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風情のある、和風喫茶「えん」に寄ってみたかった。次回の楽しみにする。

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大井川橋を渡る。牧ノ原の茶畑が遠望できた。
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新金谷駅まで行く。転車台にはSL機関車が置いてあった。やはり走る姿の方がカッコイイ。
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本陣跡には川柳が掲示され、含み笑いしながら御陣屋稲荷神社へ行く。
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大井神社に行く。帯祭りを一度みたいものだ。
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他にも行きたいところがあったが、時間が迫ってきた。いよいよこれからRPBの七夕コンサート。

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2016年7月 1日 (金)

富士山フリー切符

富士山フリー切符をつかい、富士山周辺に行く。往復の新幹線、富士山周辺でバスや舟が乗り放題という、格安で便利な切符である。

2泊3日の旅であり、その目的は富士山、RPBタナコン、わらべ地蔵の3つあった。島田の紅ちゃんが言われていたように、この時季の富士山は顔を見せてくれなかった。しかし、それ以外の目的は予想以上の至福を与えて頂いた。ありがとうございました。

富士宮からバスで、白糸の滝まで行く。音無の滝は芝川の本流で、落差25mを流れ落ち迫力があった。

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白糸の滝は、富士山の湧水が150mに渡り噴出して、高さ20mを流れ落ちる。滝の飛沫が心地良かった。
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白糸の滝の崖上にある、お鬢水。湧水が池となり、清冽な水が湧き出ていた。源頼朝がこの池に映る姿から、鬢のほつれを直したので、この名が付いている。
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白糸の滝からは、富士山は見えなかった。また、バスで富士宮まで帰る。富士山本宮浅間大社にお参りする。富士山の8合目以上を所有する名社である。

参道には子どもたちの描いた提灯が飾ってあり、富士山の絵が、とても面白かった。

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境内の湧玉池には、富士山の雪解け水が溶岩の間から湧きだしている。一日20万トン、摂氏14度の清涼な水である。
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富士宮から富士に向かう途中、電車の車内から富士山の勇姿が見えた。富士山を見たのはこの時かぎりであった。

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清水港へ行く。ベイクルーズを楽しむ。乗客は一人だけであった。三保の松原が遠望できた。深海の調査船「ちきゅう」の姿も目にした。しかし、富士山は見えなかった。
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エスパルス通りには、清水エスパルスのサッカー選手たちの足形があった。
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次郎長に会いに行く。任侠だけではなく、清水港の整備や富士山麓の開墾など多方面に活躍していた姿を初めて知った。英語塾で英語を習っていたのを知り、先見の明があるのと思った。組長がかしこまって英語を習う姿は、見ていて微笑ましかった。
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生家も訪ねる。
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次郎長の墓を訪ねたが、お寺は閉門していた。境内の石仏に、次郎長によろしくとお願いした。
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この日は、清水の宿に泊まる。明日が、RPBの七夕コンサート!

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