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2017年3月

2017年3月31日 (金)

久しぶりのランチ

今日は、妻と久しぶりのランチタイム。単独行動が多いので、罪償いでサービス。奈良のホテルに行き、一緒にランチを食べる。妻は洋食、私は和食。妻のほうが、500円高い。

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ホテル内のスケッチ展を見る。
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ホテル近くには、昔ながらの手作り煎餅屋がある。
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佐保川が流れる。この辺りには、万葉時代に大伴家の邸宅があったという。大伴坂上郎女(いらつめ)の歌碑があった。「わが背子が 見らむ佐保道 青柳を 手折りてだにも 見むよしもがも」
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午後からは、畑に行く。アスパラガスが10センチくらいに伸びていた。
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ワケギやネギなどが、たくましく成長している。今晩のメニューは、ヌタだ。
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しばらく、陶芸に集中。この時間が好きだ。
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沈丁花の花が満開で、馥郁とした香りが漂う。
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花桃も満開。
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案山子も、春の訪れが嬉しそう。
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春の一日は、すぐ終わってしまう。

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2017年3月26日 (日)

第1回うめだに小さな手づくり市

「第1回うめだに小さな手づくり市」が行われた。うめだにカフェの主催である。

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雨の予報に反して、なんとか天気はもった。お客さんは第1回目にしては、予想以上に多かった。

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主催者から声を掛けて戴き、陶芸の店を出した。「大門江雄窯」と名づけた。「窯」を付けるのは、実力不足だと思うが、背伸びした。
孫たちがお店屋さんごっこに手伝いに来て、楽しく店番をしてくれた。

商売気がなく、すぐ負けてしまう。わりと多く売れたが、低価格に設定したので、儲けなどない。一日楽しく遊べただけでも、幸せであった。
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木工、家具、手芸、竹細工など多くの店が出ていた。パンやクッキー、野菜などの店も出ていた。何れも玄人はだしだった。

家族や夫婦で、実に楽しみながらやっておられた。

良いものをできるだけ安く、気に入った人に渡したい。皆さん、笑顔がきれいである。
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3時頃から雨が強く降り出して、少し早めに店じまいした。

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2017年3月25日 (土)

小野桜

さんさ酒屋のコンサートの時にお願いした新酒が、今日届いた。

「小野桜」と「春一番地」である。一升瓶6本なので、しばらく楽しめる。アル中になりかけで酒好きの自分は、もうどうしようもない。山内酒造場は、今年限りで酒造りをおやめになる。この酒が飲めなくなると思うと、寂しくてたまらない。

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淡路島から、くぎ煮も届いた。大好物である。これで、ますます酒が飲める。

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家近くの野菜市に行くと、土筆が売られていた。

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木津のほうに陶芸の店ができたので、お訪ねする。やはりプロの作品は全然違う。作家によってそれぞれテーマがあり、主張があり、何れも洗練されている。大いに参考になった。

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2017年3月24日 (金)

風(かじ)かたか

今日も早朝に辺野古に行く。大浦湾には、目障りなものが停泊している。これではジュゴンは寄りつかないであろう。人間の手で、大事なものが壊されていく。

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平日には、座り込み参加者は60代70代の老人が多い。

目のよく見えないオバアが、オジイのシャツの後ろを掴んで歩いてこられた。ほぼ毎日来られているということだ。米軍基地反対の意思表示をするのが、生活の一部となり、生きがいとなっておられる。
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今日の座り込み参加者は、30名ほどである。
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パトカーに前後を守られ、工事のトラックやミキサー車が30台くらいやって来る。同時に機動隊が20数名で、座り込みをする者達を排除(暴力的移動)する。私も必死に抵抗の限りを尽くしたが、非暴力を貫き、ごぼう抜きされ道路の脇に入れられた。その後、続々と車両が入った。非常に悔しくてしかたがなく、工事車帰れミキサー車帰れと叫んだ。機動隊委員に固くガードされて、すべてはむなしい。しかし、叫び続ける。

機動隊も命令で、仕方なく行動しているのだろう。きっと基地を無くしたいという思いだけは秘めていることだろう。そう信じたい。
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また、座り込んで集会を続ける。鳥取から若者たちが参加した。頼もしいことだ!
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花たちが心を静めてくれる。
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辺野古浜に行く。フェンスの向こうは基地。米軍兵士が何か訓練をしていた。

彼らは、米国は守るが日本は守らないだろう。早くアメリカに帰れ!
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辺野古浜テントでの抗議活動は、4723日となる。抗議などしなくてもいい日が、早く訪れて欲しい。
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午後の航空便に間に合うように、那覇へと向かう。
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宮森小学校を訪ねる。1959年に米軍ジェット機の墜落で、児童11名が犠牲となった。ちょうど終業式が行われていて、明るく元気な歌が聞こえてきた。思わず目頭が熱くなった。沖縄では今も同じ状況であり、何も変わっていない。
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機内から那覇市を見下ろした。また来るから!
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「風(かじ)かたか」という言葉がある。風除け、防波堤という意味である。

次世代のために、先祖から受け継いできた命や土地を守りたい。基地のない平和な世の中にしたい。オジイやオバアは、「風かたか」になろうとしておられる。

3月24日『琉球新報』
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座り込みが、なぜ「武闘派集団」「過激派」になるのだろうか。彼らは「二度と戦争をしてはいけないとの」自らの意志で、参加されておられる。

あの「風かたか」になろうとしておられるオジイやオバアたちとともに、私もノーベースの動きをしていこうと誓った。

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2017年3月23日 (木)

やんばるの森

名護から、北東へと車を進める。大宜味村、国頭村を過ぎる。何度も停車して、美ら海を撮影する。

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辺土岬、本当最北部の岬である。
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天気の良いときには、鹿児島県与論島などが見えるという。

「祖国復帰闘争碑」に書いてある言葉が、とてもつらい。

「祖国復帰は実現したが、県民の願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま、軍事強化に逆用された。」

基地をすべてなくして、真の「復帰」とすべきである。それを妨げるものがあれば、もう「祖国」などとは到底呼べない。。「琉球の独立」しかない。

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大石林山には、奇岩巨石が林立している。

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ヤンバルの小さな集落を過ぎる。牧歌的な風景が広がる。

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「水母」は今日は休みだった、残念!3年前であろうか、タコライスが美味しかった。
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「伊部岳実弾射撃演習阻止闘争碑」がある。1970年、国頭村の村民たちは一丸となって米軍の実弾演習を阻止した。このような輝かしい歴史がある。高江・辺野古も、これに続かなくてはいけない。ノー ベース!
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1996年、SACO合意がなされた。北部訓練場の北半分が返還される代わりに、ヘリパッド建設や上陸訓練のための提供水域が決められた。これはまさに軍事基地の縮小どころか、機能強化になる。

現政権は、ヘリパッド建設を暴力を使って実行した。

記号のところに、ヘリ(オスプレイ)パッドが建設された。道路からは見えないが、ヤンバルの森の恥部となってしまった。
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N1ゲート前では工事が終わったにもかかわらず。物々しい警備。この人件費は全て我々の税金である。彼らの話しかけても、全くの無表情。命令なので仕方ないと思うが、人間の心をなくして、しんどくないのであろうか。生活のためとはいっても、貴重なヤンバルの森を破壊すること加担したことに、心の痛みはないのであろうか。
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私はテロリストでもなく、ごく普通の市民である。座り込みガイドラインにあるように、「非暴力」「自分での意志での参加」「愛とユーモア」を大事にしたい。
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Nゲート裏まで、北海道と神奈川の若者たちのアッシーくんをする。彼らは初めて高江を訪れたということだ。こんな目覚めた若者たちよ、もっと増えて欲しい!

N1ヘリパッドに行くための裏口には、テントが張られている。ここに、「ヘリパッドいらない会」の人たちが詰めておられる。

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土木の専門のOさんから、写真を見せて頂きながら詳しい説明をして頂く。
12月の返還式までに強行して行われた工事が、いかに不法であり杜撰なものであるか、多くのデーターによって証明してくださった。伐採範囲の不正、道幅の不正、盛り土工法の不正など・・・・。

2時間余り、昼食も忘れて説明してくださった。若者たちの素朴な質問にも、丁寧にお答えになられていた。とても熱心で誠実な人であった。

名刺を戴いた。そこには、「偏見や差別のない世界を! For Peace」と書いてあった。
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ヤンバルの川も美しい。ヤンバルの森や川には、ヤンバルクイナやノグチゲラ、絶滅危惧種の生きものたちが多く生きている。
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東村のツツジを見る。
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慶左次湾のヒルギ林を眺める。
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名護岳。ここは米軍の基地範囲である。
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名護市に行き、ひんぷんガジュマルを見る。樹齢約300年、樹高19mの巨樹である。
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夕食は、沖縄焼きそば。麺が2人前くらいあるであろうか、ボリュームがある。これも泡盛によく合う。一升瓶がだいぶ減ってきた。
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明日は、再び辺野古へ座り込みに行く。

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2017年3月22日 (水)

辺野古ゲート前にて

早朝より、キャンプシュワブゲート前に行く。今日は一日、座り込みをする。

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私はもちろん「プロ市民」ではない。「ふろ(風呂)好きな市民」であるが・・。今の国の体制に、おかしいと思って小さな動きをしているだけである。

今日は水曜日行動で、参加者が100人を超えていた。多人数いる場合は、機動隊は排除(暴力的移動)することができない。

沖縄平和運動センターの大城さんが、司会をされた。平和を希求する熱血漢である。まず、ヘリ基地反対協議会の安次富さんが、熱情的にスピーチされる。彼もまた、瀬長亀次郎さんの遺伝子を引き継いでおられる。島ぐるみ会議のみなさんもそうだ。

「共謀罪」が昨日閣議決定され、米軍基地に抗議する市民運動への適用が懸念される。「抗議運動を締め付けるため、警察の権限拡大につながる」「非戦を訴える市民を非国民扱いにするなら、戦前回帰そのものだ」など、批判の声が次々に上がった。

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京都の川口さんが、ゲート前の座り込みに参加し、パワフルに歌われた。「沖縄 今こそ立ち上がろう」「ケサラ」「軟弱者」など、座り込む県内外の人たちの心を揺さぶり、大いに勇気づけてくれた。ステージの歌も良いが、現場のほうがよりすばらしいと感じた。
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みんなで体操をする。歌ったり踊ったりすることもある。遊びや余興の要素も、いっぱいある。出会った人たちとのユンタクも楽しい。
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県外からもたくさんの人たちが、ゲート前でスピーチされる。圧倒的に私のようなシルバー世代が多い。ときどき若者たちもやって来る。若い世代が動いてくれることは、とても心強いし、とても嬉しい。

「沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会」の一員として、私も拙いスピーチをした。

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反基地を支援する弁護士や、沖縄大学の元学長、市会議員などがスピーチされる。まさに、ここはゲート前市民大学のようだ。鋭く分析して、理路整然とわかりやすく説明してくださるので、私のようなものでも理解できる。生きた知恵になる。
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昼の休憩時間。
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大浦湾を見に行く。美ら海が、不気味な相を呈している。ボーリング船が作業を進め、大型クレーンが台船からブロックを海に降ろしている。美ら海が泣いている。これでは、ジュゴンもやってこないだろう。
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辺野古浜のテント村に行く。訪れた人たちに、丁寧に説明されている。
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ハイビスカス、イッペーの花に癒やされる。

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辺野古の伝統的な家はその風土に溶け込んでいるが、米軍相手の店の建物はしっくりこない。
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午後からの座り込みが始まる。機動隊は今日は来ないようだ。次から次へと、県内外の人たちがスピーチされる。自分の考えや思いを吐露される。音楽の得意な人は、音楽で。
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ゲート前で、平和行進をする。シュプレヒコールを揚げる。

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4時頃座り込みが終わったので、本部町の方へドライブ。海洋博公園はパスして、備瀬のフクギ並木を見に行く。観光客が多いので、早々と退散。今帰仁村を過ぎ、民宿に帰る。
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夕食は、豆腐チャンプルー。泡盛によく合い、いつものごとく飲み過ぎた。
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明日は、高江に行く。



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2017年3月21日 (火)

「特別のご高配を・・・」

レンタカーを借りて、まず訪れたのが、小禄にある旧海軍司令部壕である。

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米軍の「鉄の暴風」を避けて持久戦を続けるために、手作業で約450mの穴を掘り抜いた。ここに約4000人の兵士がいたという。立ったままで休養したり睡眠を取ったりしたという。幕僚室には、手榴弾で最期を遂げた時の破片がそのまま残っている。

壕では、ずっと吐き気がした。なぜこれほどまでに、本土を守るために抵抗を続けなくてはいけないのか。ここには明らかに、沖縄への差別構造がみられる。また、情勢を見誤った軍上層部の、愚行である。尊い多くの命が犠牲となった。もっと早く降伏すべきであった。

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1945年6月13日、大田司令官が、壊滅前に海軍次官に打電した。沖縄県民の献身的な作戦協力に対して、「県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」。

「特別のご高配」は、72年経った現在、沖縄に米軍基地があることなのか。日本の0.6%の土地に、74%の米軍基地がある現状のことなのか。

左右を問わず、これは明らかに「ご高配」では無いことが明瞭である。「ご高配」とは、日米の基地が沖縄には全く皆無であることを意味するのである。

佐喜真美術館に行く。普天間基地のすぐ隣にある。残念ながら、休館日であった。

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嘉手納基地を訪ねる。米軍基地は、町の面積の83%に相当する。凄まじい爆音が響く。人間の尊厳を踏みにじっている。

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ホウキを笛の代わりにして、沖縄の音楽を奏でていた。
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読谷村に行く。ヤチムン(焼き物)の里には、登り窯があった。

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座喜味城跡を訪ねる。
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チビチリガマを訪ねる。1945年に村の西海岸に米軍が上陸し、83名が集団自決した。その6割が、18歳以下であったという。なぜ命を優先しなかったのか、大人の責任である。

ガマには立ち入り禁止となっている。今でも遺骨が残っているという。金城実さんの「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」に、平和のための動きをしようと誓った。
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チビチリガマの近くに、「サトウキビ畑」の記念碑が建っていた。「ざわわ」が64回も繰り返されるのを知った。平和へのひたむきな願いを感じる。

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名護まで行く途中、美ら海を眺めるために何度も車を止めた。

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辺野古の浜に行く。フェンスの向こうは米軍キャンプシュワブ基地。
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ジュゴンの住む美ら海に、米軍基地などいらない。新しく作ろうとしているのは、普天間基地の代替ではない。空港や艦船の港、弾薬庫などを兼ね備えた巨大軍事要塞である。
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キャンプシュワブ前に行く。警察や民間警備員が常時見張っている。一人のオバアが、体を張って米軍トラックの前に進み出た。警察官が排除(暴力的移動)にやって来た。戦争につながるいっさいのものは要らないと、おばあは必死に動いておられた。「脱植民地」のために・・・・。

オバアの勇気や信念に、敬意を表する。私もこのオバアに続こうと思った。
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民宿に泊まる。名護に来たときは、定宿にしている。夕食付きで、3240円の安さである。最初の夜なので、食事はめちゃ豪華であった。牛丼は、朝食に回す。

少しでも経費を節約して、カンパしようと思う。
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沖縄の料理には、やはり泡盛(1升瓶、1300円)である。予想通り、飲み過ぎてしまった。

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2017年3月20日 (月)

不屈館

早朝に、坂下駅まで友人が送ってくれた。ありがたいことである!新幹線、特急「はるか」を乗り継ぎ、関空から沖縄へ。

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零度近くから、20度を超える世界に一変した。那覇市内を歩く。
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桜はもう終わりかけ。ブ-ゲンビレアの赤色が眩しい。
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唯一の地上戦が行われた沖縄では、20万人以上もの尊い命が奪われた。ノーモア戦争を祈願しながら、祈念碑や資料館を見て回る。

白梅学徒隊(県立第二高等女学校)は、負傷兵の看護や世話をしていた。女学生たちも、多数亡くなった。いたましいことだ。
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対馬丸記念館。1944年、学童集団疎開の学童たち780名を含む、1500名余りが亡くなった。米潜水艦の魚雷攻撃による。むごたらしいことだ。

この大きな被害は、箝口令により表沙汰しなかった。お偉い方々は、大事なことを秘匿する。現状を客観視して、もっと早く降伏すべきだった。
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揚羽蝶が飛んでいた。

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不屈館を訪ねる。

瀬長亀次郎は、米軍統治下で、民衆の闘いを勇敢にリードした。米軍の弾圧に対して、不屈に闘い続けた。人民党事件で投獄されても、那覇市長の座を追放されても、彼はけっして屈しなかった。沖縄の平和を目指して闘い続けた。

「いっさいの利己心を捨てよ。」

「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ。」

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波の上ビーチに行くと、水遊びに興じていた。Rimg_5736_r
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福州館に行く。那覇と福州との友好を記念して作られた。福州の代表的な風景や建物が再現されている。「一衣帯水」の友好を、これからも深めていくべきである。
今の政権は敵視しているが、平和は武力では作れない。このような文化をもっと大事にしていくべきだ。
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那覇市内の安ホテルに宿泊。泡盛を飲みすぎてしまった。
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2日前に反基地運動のリーダー山城さんが、5ヶ月ぶりに釈放された。逮捕も、長期拘留も全て不法で、民衆の闘いを弾圧するためである。彼を含めて、沖縄の民衆はけっして屈しない。そして、私も「不屈の気持ち」で続こうと思う。




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2017年3月19日 (日)

さんさ酒屋のコンサート その2

さんさ酒屋のコンサートが始まった。

酒蔵内は満席で、人が溢れかえっていた。座れなかった人たちは、外のモニターで見られていた。

ラストということで、出演者たちはそうそうたるメンバーだ。

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第一部が始まる。

オープニングは、土着民。やはり、バルちゃん星人は、このコンサートの「顔」だ。

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飛び入りコーナー。

一人一人は各地域で活躍されている、実力あるシンガーソングライターである。一曲で終わるのが惜しいくらいだ。もっともっと彼らの歌をお聴きしたいと、正直思った。

久米倖一さんの歌は、とても味がある。「お天道さまが怒ってござるぞ」の歌は、人間の奢りを風刺する。
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澤田さんは、蕎麦打ちの名人でもある。気持ちが乗っていた。
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これがおわりのホレホレバンドは、5月6日に名古屋で土着民や我夢土下座と共にコンサートをされる。
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三尾さんの娘婿さんは、義父の作った歌をうたわれた。三尾さんは、どんなに嬉しかったことだろう。
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神戸さんは、辺野古の米軍基地前でも歌っておられる。メッセージがよく伝わった。。
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鳥取の武部さんは、今年はしんみりした歌を歌われた。世相を切り取る歌など、いろんなレパートリーがある。
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島田の紅ちゃんが登場。ブログでなじみの最高キャストと歌い、メチャメチャ嬉しそうだった。
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八竜リバティーバンドは、福井さんのソプラノの声が心に響き渡る。
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タシカサマンマシンガーズは、我夢土下座の美しき奥様たちである。なかなか歌も上手い。
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山本良樹さんの歌は、とても懐かしかった。
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プロの黒田かなでさんと西沢和弥さんが、出演された。演奏はもちろん抜群であるが、表情も七変化して、見ているだけで楽しくなる。
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プロのこむろゆいさんと河野俊二さんは、息の合った演奏と歌であった。互いの魅力を引き出しておられる。
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第二部は、ゲストコーナー。

安保兄ぃが、さんさ酒屋のコンサートの歴史を語られた。いつもになく短いスピーチであり、それ故に思いが深くこもっていた。

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当主の總太郎さんが、酒蔵を閉じることを淡々と話された。いつもの笑顔であったが、心の中はさびしさでどうしようもなかったことだろう。

19年間、本当にありがとうございました。
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小室等さんと、佐久間順平さんである。それぞれの持ち歌を披露され、どの歌も感動を呼び起こした。砂に水が染み込むように、心に自然と響き渡った。これが感動というものであろう。
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我夢土下座のメンバー(元ナターシャセブン)の進藤さんが、バンジョーで友情出演された。進藤さんの笑顔が、とても清々しい。
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土着民の登場。彼らの作る音楽は、ストレートでわかりやすい。演出がうまく、聴衆たちがもっとも盛り上がる。土着のメンバーたちは、役者揃いだ。奥さんがたの踊りは、なくてはならないものだ。

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待ちに待った、我夢土下座の登場。

我夢土下座の歌には、木曽川沿いの小さな町のにおいや、人の暮らしや生きざまなどが髣髴と浮かび上がってくる。これが、フィールドフォークの魅力であろう。「文化の華」が、我夢土下座の音楽にはある。
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全員出演で、フィナーレ。

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終わってしまった!

19年間、ほんとうにお疲れさまでした。ありがとうございました!

さんさは終わりとなったが、次に何かがまた始まると信じたい。

そう信じないと、悲しすぎる。

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さんさ酒屋のコンサート その1

青春18切符を使って、坂下まで行く。そこからバスで小野沢へ。

民宿「くつかけの湯」に荷物を置き、しばらく主人たちとお話しする。とても気さくな人だ。

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山内酒造場へ行く。ここで、さんさ酒屋のコンサートが行われる。ラストということもあり、いつもより100人くらい多いということだ。我夢土下座のメンバーをすぐに見つけて、楽しくお話しする。

もう長い行列ができている。島田の紅ちゃんやBBさん、他にもいっぱい友人が並んでいて、握手を求める。まさに同窓会のような雰囲気が漂っている。

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女性たちが用意してくださった料理の数々。これほど多いメニューは他に知らない。甘党、辛党、両方のニーズをみごとに満たしてくれる。

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新酒「小野桜」と「春一番地」は、微妙に味や香りが違い、どちらも美味しい。何杯飲んだであろうか。不思議なことに、いくらでも飲める。そして、全く飲み飽きない。

1升瓶を6本、注文した。
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料理の数々。ほんの一部しか撮れなかった。

料理はメニューの多さだけではなく、味も素晴らしい。もてなしの気持ちがたっぷりと入っているからであろう。

いつも一部だけしか食べずに終わる。今回、ラストなので全メニュー完食挑戦しようとした。感傷的な気分に陥り、腹よりも先に胸がいっぱいになり、早々と断念。リベンジするときはないが、もう十分満足である。
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仲間たちと再会を喜び、話しに夢中になる。料理をいただきながら、尽きない話をする。

我夢土下座の田口さんには、写真まで撮っていただいた。誠に光栄なことである。

可児の高橋さんは、ラストを惜しんで、このような素晴らしいものは存続していくべきだと、熱弁を振るわれていた。

ラストゆえのセンチな気分に、私は終始浸っていて、あまり会話が弾まなかった。

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さんさ酒屋のコンサートの、歴代のポスターが掲示してあった。まさに「文化の結晶」である。

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蔵の壁には、さんさ酒屋のコンサートの、ゲストの写真が掲示してあった。
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我夢土下座のメンバーの、若き頃の写真も掲示してあった。皆さん若かった。髪も豊かだった。
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コンサートが始まる前には、すっかり酩酊していた。


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2017年3月18日 (土)

市民ひろば なら小草

午前中は、当尾での陶芸。沈丁花の高貴な香りが漂う。

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蕗の薹が各所に顔を出している。畑のニンニクの葉が伸び出した。

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しばし陶芸に集中。

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加茂の和菓子屋で、苺大福を買う。土産にするためだ。

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「市民ひろば なら小草」に行く。奈良駅からゆっくり歩いて約15分。

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「市民ひろば なら小草」は、沖縄の高江・辺野古につながる会のメンバーたちが最近開設した。

挽き立てのコーヒーをいただき、お話を聞く。

「マイノリティーやこの社会に生きづらさを感じている人たちがちょっと立ち止まれる場所、そしてエネルギー補給の場所」を目指している。弱いもの側の味方である。将来は、特定非営利法人を目標とする。
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「子ども食堂」や「無料塾」なども行っている。

こだわり物販もしている。沖縄の「さとうきび蜜 その日しぼり」など、福島の「キヨばあちゃんのいかにんじん」など、メンバーとつながりのある地方の隠れた名産を売っている。もちろん食品添加物は入っていない、純正のものである。

沖縄東村の「パイナップルジャム」を買った。
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友禅和紙で作ったケースなど、手つくりのものも置いている。
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ミニ映画会や講演会、コンサートや文化教室なども開催するということだ。子どもの自学自習の場としても活用するということだ。

全面的に応援していきたい。

奈良町にも近い。紅白梅が満開である。

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加茂に帰り、陶芸に集中。蔭山先生のお蔭で、作品が焼成していた。大阪城修築の際の「残念石」の上で、撮影する。
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明日から、中津川、そして沖縄へと!

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2017年3月17日 (金)

王仁博士のお墓

珍しく金曜日に仕事が入り、午後から近辺をさまよう。

枚方市に、王仁博士のお墓と伝わるところがある。学研都市線の藤阪駅から約20分くらい歩く。この周辺には、まだ自然が残っている。ヘラブナ釣りをする池もある。一度釣りをしたいものだ。

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王仁博士は、5世紀頃に朝鮮半島の百済から、千字文や論語を伝来した人として知られている。いわゆる日本文化の礎を築くのに、多大な貢献があった人である。

日朝文化の交流は、ずっと昔から行われていたのである。現在、慰安婦問題でぎくしゃくしているが、ポーズやお金ではなくて、真に謝罪して罪を償い、友好を成し遂げるべきだ。

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津田町の方へ歩くと、大きな石灯籠がある。二月堂の講があったらしい。

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山田池公園の方へ歩き、春の花々の「花笑み」を撮影する。

サンシュユ(山茱萸)

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河津桜
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枝垂れ紅梅
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クリスマスローズ
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水仙
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帰宅して、蕗の薹の天ぷらを戴いた。
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初春を十分に楽しんだ。

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2017年3月12日 (日)

自治会懇親会

大阪で行われる反原発集会に行きたかったのだが、来年度自治会の役をするので、地域の懇親会を優先した。

送迎バスに乗り、富雄川沿いにある豆腐料理屋へ行く。

約30名の参加だった。みんな良い歳をとって、還暦をとっくに過ぎている。最高齢は91歳であった。近況報告で、場はとても盛り上がった。みんないろんな趣味があり、さまざまなサークルに入っておられる。

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豆腐料理の他、筍やタラの芽など旬のものをいただいた。

飲み放題コースなので、ビールに始まりワインに至るまで大いに飲んだ。貧乏根性丸出しだ。
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家に帰り、少し酔いを覚ます。狭い庭も、花盛り。紅梅がようやく満開となった。

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妻の送迎で、陶芸に行く。酔いがまだ回っているので、なかなか良いリズムが作れなかった。
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一日が早い!








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2017年3月11日 (土)

反原発琵琶湖集会

大津市膳所(ぜぜ)公園で、「原発のない社会へ 2017 びわこ集会」が行われた。

テーマは、「忘れない フクシマ まもりたい いのちとびわこ」である。

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いつもは円山公園での「バイバイ原発」に行くのだが、今年はパギやんとその仲間たちが出演し、滋賀の友人にも誘われたので、琵琶湖集会に参加した。

コンサートが始まった。まずパギやんが「核々死か慈か」「老人は国会を目指す」「阿呆陀羅経」などを歌われた。「老人は・・」の歌は、虐げられた老人たちが国会に突入して、銃撃を乗り越えて、一人が血の付いたシャツを議事堂に掲げるという、夢のようなストーリーである。しかし、このような気概は持ち続けたいと思う。

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次に、川口真由美さんが登場。「君には届かない」「悲しみから生まれた平和への道」などを歌われた。川口さんは沖縄には毎月のように行かれて、ゲート前で座り込みをして歌を歌われる。関電京都前でのキンカン行動にも参加されている。パワーあふれる歌唱である。春間げんさんがエレクトーン演奏で、優しくそして強く包まれている。

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パギやんも加わり、熱情的に歌われた。「ひでり」の歌が素晴らしかった。
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集会が始まった。まず、黙祷。6年前のことが次々に頭をよぎった。
福島第一原発は6年経った今も全く収束せず、メルトダウンした核燃料の状況も把握できない。2万人以上の人たちが避難を余儀なくされている。それにも関わらず原発マフィアたちは復活して、再稼働を推し進めようとしている。

米原市長の平尾道夫さんのスピーチは、心に伝わる言葉に満ちていた。

滋賀県の一部は高浜・大飯原発から30キロ圏内にあり、重大事故が起これば避難は殆ど不可能である。琵琶湖は放射性物質で汚染され、関西の貴重な水瓶が失われ、周辺の土壌も汚染される。絶対に再稼働を許してはいけない。

滋賀県知事の三日月さんも、出席して欲しかった。
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井戸謙一さんが基調報告をされた。井戸さんは2006年に、石川県志賀原発の運転差し止めを認める判決を下した、素晴らしい裁判長である。現在は、福井原発再稼働差し止め訴訟の弁護団の団長である。

この一年間の情勢、司法の動き、喫緊の課題について、わかりやすく理路整然とスピーチされた。

「リスクが容認される理由、それはその科学技術が社会にとって有用だからです。社会がその科学技術のリスクを上回る利益を受けるから、その利用が容認されるのです。しかし、原発がなくても電気は足りています。この社会に原発は必要ありません。自動車や飛行機に替わるリスクのない移動手段はありませんが、原発に替わるリスクのない発電方法はいくつもあります。社会的な必要の無い原発のために、私たちがリスクを受忍しなければならない理由はありません。」

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避難者のかたがスピーチされた。滋賀に避難して目の状態は良くなったそうである。放射能は、健康をむしばむものである。国や県の帰還政策は間違いであり、避難の権利を認めるべきだ。住宅支援を継続するのは、当然のことだと思った。

避難者の子どもの「いのちがだいじ、みんなのいのちがだいじ」の言葉が、ぐさりと胸を貫いた。

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「2017びわこ集会」のアピールが、大きな拍手により採択された。

「圧倒的多数の原発ゼロを求める国民世論によって、原発推進勢力を包囲し孤立させ、自治体とも手を取り合って、高浜・大飯原発の再稼働を許さず、放射能から琵琶湖を守り、私たちと子々孫々の生活を守り抜きましょう。」 
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プラカードやポスターなどのコンテストもあった。知恵を絞ったものが多数合った。
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デモ、スタート。膳所公園から大津パルコまで、シュプレヒコールしながら歩く。

「危険な原発 今すぐ止めろ!」「老朽原発 特別危険!」「原発動かす 総理はいらない!」「子どもを守れ 命を守れ 琵琶湖を守れ!」・・・・・・・
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琵琶湖のほとりには、早くも桜が咲き始めていた。
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青春18切符で帰る。

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座禅草

午後からの反原発琵琶湖集会に参加するために、青春18切符で滋賀県をさまよう。

湖西線に乗り、近江今津駅で下車する。

レンタサイクルを2時間借りる。北西に向かって走ると、木陰に雪をかき集めたところが随所に見られる。行過天満宮のスタジイは、樹高約15m、幹周6.5m、樹齢1000年を超える巨木である。

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弘川地区に、座禅草の群生地がある。湧水により湿地化したところに、タブやハンノキ、孟宗竹などの樹林がはえて、そこに座禅草は群生している。仏炎包が葉の中に見え隠れしている。
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座禅草は、僧侶がお堂の中で座禅を組んでいるかのように見えるところから、名づけられた。確かにそのように見える。私も中で瞑想してみたくなる。Rimg_5380_r
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琵琶湖を見に行く。まだ風は冷たく、湖北の山々は雪を被っている。しかし春の日差しは柔らかい。竹生島や、伊吹山が見えた。
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「琵琶湖就航の歌」資料館に入る。さまざまな歌手が歌っているが、私は加藤登紀子のが一番好きだ。
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魚屋さんには、朝水揚げされたばかりの琵琶湖産の鮮魚が並べられている。ヒウオ(氷魚)やエビなどが、ピチピチはねていた。モロコが炭で焼かれていた。
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ヴォーリズ建築を見に行く。旧今津郵便局、日本基督教団今津協会、今津ヴォーリズ資料館は、何れも重厚で洗練された建物で会った。
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最後に、池本酒店を訪ねる。江戸の頃から将軍の御前水にも使われていたという名水が、井戸から湧きだしている。「琵琶の長寿」のしぼりたて生を買い求める。
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近江今津駅からまた電車に乗り、集会場所近くの膳所駅まで行く。

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2017年3月10日 (金)

陶芸作品(2・3月)

2月から3月にかけて焼き上がった拙作である。蔭山先生にはお世話になるばかりである。

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下手さを究めたい。

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底に穴を空けて、鉢にした。わすれな草を植えた。




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2017年3月 6日 (月)

「うめだに小さな手づくり市」の準備

3月26日(日)に「うめだにカフェ」で、「第1回うめだに小さな手づくり市」が行われる。うめだにカッフェは、木津川市の助成を得て、最近オープンした。

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地域の活性化を目的としていて、カフェの代表から陶芸作品の出店を依頼された。下手ではあるが賑わいとなるであろうと、承諾した。今、その準備を少しずつしている。

店の名は、大門で作っているので、「大門江雄窯」とした。

ぐい飲みは、昨今の需要からは売れない。付加価値を付けたら売れるのではないかと、ない知恵を絞った。それで、妻の手つくりの土筆(紙粘土製)を植えたり、観葉植物やサボテンなどを植えてみた。なんとかサマになった。

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また、釉薬の色遣いがよくない器には、底に穴を空けて鉢とした。わすれな草などを植えた。

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さて、反応はどうであろうか。半ば楽しみである。

妻のアッシー君で、野菜市に行く。空豆の苗や、里芋の種芋を買う。

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城山台にできたばかりのパン屋、「風いろ小麦」に行く。洒落た感じの良い店である。夫婦がきびきびと働いておられた。

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陶芸修行に行く。

畑の傍には、早くも蕗の薹が。

畑に、空豆の苗と里芋の種芋を植える。
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ワケギを収穫した。ヌタの白味噌和えは、大好物である。
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沈丁花が開花し始めた。芳香が漂っている。
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しばらくの間、陶芸に集中。30センチくらいの大皿や、花瓶を作った。
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なかなか思ったようにはできない。鍛錬するのみ。

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2017年3月 5日 (日)

貴婦人

バレーを加茂体育館で行う。骨董品のような古い建物だ。2時間余り練習して、心地良い汗をかく。

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体育館近くに置いてある、SL「貴婦人」を見に行く。スタイルの良さやスピードの速さから、名づけられた。ちょうど、関西本線の電車が通っていた。
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加茂駅まで行く。最近、構内横に観光案内所が設置された。ふるさとかも案内人が、土日祝日に詰めておられる。
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常念寺に参る。巨大な平和観音が、加茂の町を見下ろしておられる。

昨今のきな臭い匂いに耐えがたく、観音様にお願いする。「私たちも動いていくから、どうかお力添えを!」

共謀罪や辺野古基地建設、南スーダン自衛隊派遣など、憲法を壊そうとする現政権は早く倒すしかないだろう。50%を超える支持など、とんでもないことだ。
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我が家の狭い庭にも、春がいよいよ到来した。紅梅はまだ蕾。福寿草や桜草、クリスマスローズなどが開花している。
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わらべ地蔵が春の花を眺めて、微笑んでおられる。

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2017年3月 4日 (土)

はるまきちまきコンサート

西成市民館で、「はるまきちまきコンサート」が行われた。岡山禁酒會舘でお聴きしてから、すぐに彼らの大ファンとなった。

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「はるるまきちまき」さんは、関西を拠点にして、民衆の側に立って歌づくりをして、ライブ活動をされている。

弱きものたちの味方となって、歌で世界を共有する。真の優しさや包容力を、いっぱい備えておられる。近くの三角公園で行われる、釜ヶ崎越冬闘争の越冬まつりには、毎回出演されている。

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春間げんさんの、繊細でしなやかに弾かれるピアノ演奏。

おーまきちまきさんの、魂に切々と響く透き通った歌声。

二人の音が互いに支え合い共鳴して、美しい音楽が醸し出されている。

春風に包まれたように、心地良い世界に導く。心を全て打ち明けることのできるような、優しさに包み込まれる。
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「襟裳岬」「愛燦々」など、カバー曲を多く歌われた。

個人的には、「ちいさきものたちへ」などのオリジナルの歌が最高にすばらしいと思う。心の奥底に眠っている感受性が呼び起こされ、生き生きと動き出していた。
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前から欲しいと思っていた、おーまきちまきさんのCDを4枚購入した。

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「はだしのこころがおどりだしたよ」、「アスファルトをほりかえせ」、「イマココニイルヨ」などは一回聞いただけで、すっかり好きになった。心底から染みいるように揺さぶられて、感動の嵐に包み込まれてしまった。
これから何度も何度も聴いて、私の宝物になることであろう。

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ジャンジャン横丁

午後からコンサートがあり、天王寺まで行く。

天王寺公園には、慶沢園という有料の庭園がある。周りの賑わしさから比べて、別天地である。ここから「あべのハルカス」が一望できる。

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茶臼山がある。大坂夏の陣で、真田幸村が布陣した。「私欲を貪り、人と呼べるか」という幸村の言葉が描かれていた。あの豊中のヘイト幼稚園の理事長は、人とは呼べない。

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通天閣に行く。真下には、このような華麗なデザインが描かれている。
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ジャンジャン横丁に行く。庶民的で大好きな場所だ。
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環状線の高架の下にある、「権兵衛」で食事する。パギやんの「大阪案内 環状線の旅」に、この店が紹介されていた。肩を寄せ合って食べるような、狭い店内だ。

ホルモン中華ソバを食べた。390円の安さで二麺、ホルモンがたっぷり入っている。メチャメチャ美味しい。隣席の人が日本酒を飲みながら、ホルモンとキムチを食べていた。私もいっぱい飲みたかったが、なんとか我慢する。
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飛田界隈を歩く。独特な雰囲気である。これだけ料亭が多くて、成り立っていけるのだろうか。

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三角公園に行く。春の日差しの中、ギターを弾いたり、うたた寝をしたり、多くの人たちがいた。ここで行われる越冬闘争が、嘘のようだ。「餓死者や凍死者を出さないようにしよう」という趣旨で始まった越冬闘争は、47回になる。ここで行われるコンサートには、「パギやん」や、これから聴きに行く「はるまきちまき」さんも出演されている。
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コンサートに参加する。


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加茂船屋雛まつり

春の陽に誘われて、加茂船屋雛まつりに行った。木津川のほとりに船屋の町はあり、加茂駅に向かって商店街は延びる。

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「船屋」の名前の通り、江戸の頃から木津川の舟運の港として栄えていた。明治から昭和にかけては、製造販売業を中心として百を越える店が並んでいたという。その名残が、通りの各所に見られる。

「船屋・新町 今昔物語」と題して、賑わっていた頃の写真が展示してあった。
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通りに面した家の中や軒先に、お雛様が飾られている。お雛様は各家によって違ってはいるが、いずれも高貴で華やかな表情である。
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手づくり市もあり、妻が友人と出店していた。その中に、陶芸の拙作もいくつか置かせていただいた。
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私の陶芸の友人も出店していた。袴をはいていて、それがよく似合う。
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こどもおとなアート展では、雛人形が作れる。
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大仏鉄道のジオパークも展示してあった。

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多くの人に見に来て欲しい!!

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2017年3月 3日 (金)

ひな祭り

午前中に、市役所に用事があり、その帰りに木津川沿いの勝手神社に寄る。この境内から木津川がよく見える。その対岸の地が恭仁京で、740年から4年間、都が置かれていた。

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大野山近くの木津川のほとりには、1620年の大阪城修築の際に何らかの理由で運び出さなかった、「残念石」がある。備蓄のためではないかという説もある。花崗岩の巨石を、木津川淀川を下って運んだのだろう。
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午後からは当尾へ行く。cafe瑠璃で、美味しい珈琲をいただく。クラシック音楽の流れる、ステキな空間である。
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堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」に描かれている、馬酔木の花が咲き始めた。鈴なりに小さな可憐な花が咲いている。
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浄瑠璃寺には、今は彩りがない。
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参道横の「あしびの店」の庭に寄る。旧暦の正月に咲くという、「元日桜」が咲いていた。派手さのない、淑やかな花である。
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畑に行くと、蕗の薹が顔を出していた。
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ワケギや白菜、ハッサクやレモンなどを収穫する。
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しばらく陶芸に集中する。下手さを究めたい。
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家に帰ると、3人の孫娘たちが来ていた。
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孫のお蔭で、ひな祭りを楽しんだ。

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