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2017年12月

2017年12月26日 (火)

わらべ地蔵

遠藤(野のほとけ)さん宅を訪ねる。家がはっきりと分からなかったのだが、近くまで行くとわらべたちの賑やかな話し声が聞こえてきたので、自然と分かった。わらべたちは大歓迎してくれた。嬉しくてたまらない。至福の喜びとは、こういうことを言うのだろう。

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遠藤さんは、ちょうど六地蔵を彫られていた。その渾身の作業を拝見する。ハンマーと鑿でこつこつこつこつと無心で彫られていく。あなたもやらないかと言われたが、不器用な私に、到底できるものではない。目や口の微妙な角度や窪みを彫られていく。さすが達人だ。修行をしているかのような、厳しさも伝わってくる。

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庭には、わらべ地蔵たちが思い思いに遊んでいる。たいへん硬い小松石から、柔らかい生を得て、いかにも生き生きと生きることを楽しんでいる。
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わらべ一人一人と話をしていく。表情や、腕の動き、手の形などみんな違う。人(仏)柄もみんな違って、個性をもっておられる。みんな違って、みんな良い。もちろん、その共通するところもある。地蔵として、衆生を導く慈悲の心だ。愚昧な民を見守る憐憫の情だ。六道輪廻の苦しみから、救済せんとする仏の祈りだ。
わらべ地蔵たちの、ほんの一部を紹介しよう。もう少し上手に撮れたら良いのだが。
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わらべ地蔵の彫られた水鉢もある。そこに、野の花をさりげなく入れられている。わらべ地蔵には、派手な花よりは、野草や野の花のほうがよく似合う。

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野のほとけさんの、繊細で変幻自在な感性のままに彫られたわらべたち。いつまでも見飽きることがない。冷気の中、わらべたちとの会話に夢中であった。

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わらべ地蔵の何体かが、京都まで遊行されたいという声が聞こえてきた。やはり一体しか無理なので、いろいろ迷った揚げ句選ばせて頂く。

野のほとけさんとわらべ地蔵とのお別れは、悲しいというよりは美しいシーンだった。

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立ち去りがたかったが、遠藤さんに駅まで送っていただく。遠藤さん、大変お世話になりありがとうございました。

道中の安全を願って、御陣屋稲荷神社に参る。悪口コンテストの入賞作は、もひとつ捻りがないと悪口を言う。

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道中わらべとともに食べるために、鯛焼きを買いに行く。餡を詰める作業を、わらべは興味を持って眺めていた。
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島田駅を後にして、同行二人の旅を楽しむ。「青春18切符」ではなく、「幻冬65切符」であろうか。
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関西線の亀山駅と柘植駅間は、台風により長らく不通になっているので、代行バスに乗り換える。途中伊賀上野駅では忍者に遭遇。
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5時間の旅は、本当にあっという間であった。わらべ地蔵は体重を無くしてくれていて、重さを感じなかった。

わらべ地蔵は、妻に紹介すると、満面の笑みであった。大きな声で、よろしくお願いしますとおっしゃった。
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翌日、居場所を決めた。山桃の下、横に万両も植わっている。前に遊行されたわらべたちの隣に、置かせていただく。これで寂しくはないだろう。
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しばらくの間、わらべ地蔵は野のほとけさんのことや、故郷のことを恋しがるであろう。そのうち、浄瑠璃寺辺りを誰も知らないうちに散策などするようになるであろう。


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やくなし・ながいきのはし

島田駅から大井川に向けて歩く。途中浄化センターの前に、この看板があった。浜岡原発から、約23キロしか離れていない。柴田さんが反原発運動にのめり込んでいるのも、よくわかる。

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蓬莱橋に着く。長さは、やくなし(897.4m)で厄なしで、縁起が良い。世界一の長い木の橋で、「長生き」に通じる。蓬莱は、不死の仙人の住む幻の山だ。不死は富士に通じる。長い木の橋の上から、富士山がよく見えた。

寒風が吹きすさび、大井川に転落しそうだった。
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橋を渡ると、ひとり観光協会のテントがあった。遠藤さんの友人だということだ。早朝で、まだ開いていなかった.一度お話ししたい人だ。
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七福神を訪ねて歩く。恵比須・大黒・毘沙門・弁財・福禄寿・寿老人・布袋が、立っておられた。また、吉祥天女や道祖神もあった。
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山を抜けると、一面に茶畑が広がる。牧之原大茶園だ。

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富士山がくっきりと見える。カメラの性能がいまいちなので、写し取れないのが歯がゆい。
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茶園を開拓した幕臣の像が建っている。その向こうに富士山が。
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大井川緑地公園をひたすら歩く。川越遺跡を訪ねる。島田市博物館や、分館は閉まっていた。島田高の野球部員が清掃活動していた。挨拶してくれるので、嬉しくなる。「馬方は 知らじ時雨の 大井川」芭蕉の石碑がある。川越人足は、仕事がなくて暇そうだった。
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これから、わらべ地蔵に会いに行く。ウキウキと心が弾む。

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2017年12月25日 (月)

夕暮れの富士

金谷駅で下車して、牧之原へと山に上る。急傾斜できつい。

富士山が見えた!どんなにきつくても、その姿を眺めることができれば苦労は吹っ飛ぶ。しばらくの間見とれてしまった。焼津の方まで遠望できる。駿河湾が夕日に光る。

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諏訪原城跡の方へと歩く。芭蕉句碑がある。「馬に寝て 残夢月遠し 茶の畑」
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石畳の小径を降りる。金谷宿と見坂宿とのあいだにある金谷峠の坂道を、旅人が歩きやすいように山石を敷き詰めた。30mしか残っていなかったが、1991年に430m市民の手で復元された。すばらしいことだ。

すべらず地蔵に参る。頭は髪がなくて、滑るようになった。庚申堂には、三猿がいた。「良きことは大いにひろめ、悲しきことは見ざる聞かざる言はざるが良し」
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金谷坂の石畳を過ぎたところの茶屋から、夕暮れの富士山が見えた。夕日に包まれた富士山は、まさに「あはれ」の世界である。
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旧東海道を少し歩く。長光寺に参る。芭蕉句碑がある。「道の辺の 木槿馬に 食はれけり」
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焼津まで行き、安ホテルに泊まる。スーパーに買い出しに行き、旅の最後の夜に、ささやかな宴。黒はんぺんや刺身で、「開運」をいただく。
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明日はいよいよ、わらべ地蔵に会える。

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奥大井へ(2日目)

昨夜は激しい雨が降っていた。朝は、一転して快晴だった。早朝散歩する。「転ばぬ石」まで、山を登る。微妙なバランスで、巨石が留まっている。

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寸又峡のペンションに帰り、食事。ひょんなことからここに泊まることになったのだが、食事も洋風で、胃がビックリしていたことだろう。

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昨夕訪ねた、寸又峡を再度訪ねる。寸又川は、南アルプスの光岳(2591m)を源とする大井川の一支流である。遙か眼下に、猿並橋(長さ96m、高さ11m)が見える。この辺りは、松枯と呼ばれる絶壁である。

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鬼の風あるいは龍神の風と呼ばれる、冬の激しい風が吹きすさぶ。飛ばされてしまいそうだ。夢の釣り橋をこわごわ渡る。

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「21世紀に残したい日本の自然100選」の一つであるが、さもありなんと思われた。

バスで千頭駅まで戻る。途中、昨日通ったアプトいちしろ駅、長島ダム駅が遥か遠くに小さく見える。

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千頭駅前では、子持ち鮎の焼いたのが売られていた。これを肴にいっぱい飲りたいが、我慢する。
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ジェームス君が千頭駅にやって来たて、その後転車台で向きを変えていた。

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トーマス君が、千頭駅に飛び込んできた。せっかくの機会なので、いろいろ探ってみた。

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転車台では、人力で向きを変えていた。トーマス君にも弱点があるらしい。
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ファミリーが揃った。家族連れは大はしゃぎしている。
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千頭駅を離れ、駿河徳山駅でSLを激写する。颯爽と過ぎて、その迫力ぶりに怖じ気づいて良い写真が撮れなかった。
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田野口駅、下泉駅、笹間駅、抜里駅を過ぎる。

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家山駅で下車する。RPBのソンバーさんが情感豊かに歌われる、「天王山」に登るためである。歌には、青春を振り返る哀感が漂う。
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歌のイメージと違って、とても低い山だった。そこから眺める野守の池や大井川などを見ていると、時は移り流れても山川は変わらないと、郷愁のような思いに駆られた。
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また駅まで戻り、近くの鯛焼き屋さんへ寄る。ここのは、抹茶入りである。抹茶の香りがして、皮が美味しい。静岡おでんを二・三個いただく。いっぱい飲みたいが、我慢我慢。よく煮込んで黒くなった汁が、具材に染み込んで、実に美味しい。
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ジェームス君がやって来た。やはり相当な迫力と逞しさがある。人気があるわけだ。
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新金谷駅で下車する。古い駅舎を撮影。

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金谷駅まで行く。

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2017年12月24日 (日)

奥大井へ(1日目)

大井川周遊切符(二日間)を使い、奥大井を流浪する。大井川本線に金谷駅から乗車して、家山駅、地名駅、塩郷駅・・・を過ぎる。大井川の景色が変化していく。懐かしい駅舎が多い。地名駅近くの日本一短いトンネルや、大井川に架かる一番長い(220m)塩郷橋の下を、電車は通りすぎる。前に立っている人は、大井川を愛する芸人だろうか。

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千頭駅に到着。ヒロ君とパーシー君が迎えてくれた。朝早いので、観光客は少ない。
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井川線(南アルプスあぷとライン)に乗る。あまり乗客はいない。大井川上流の川の色が、深みを帯びてくる。高い山並みの間の、谷間を縫って走る。
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アプトいちしろ駅で、アプト式機関車を連結する。1000mで90mの、日本一の急勾配を登る。長島ダム湖駅で解放する。作業を見るのが楽しい。

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奥大井湖上駅は、接岨湖に浮かぶ秘境の駅だ。深い渓谷の接岨峡を見下ろしながら、更に奥へと電車は知る。接岨峡温泉駅、閑蔵駅、終点は、井川駅だ。
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井川駅で下車したのは、数人ばかり。井川湖ほとりの廃線を歩く。誰もいなかった。二時間近く歩いたが、誰一人として会わなかった。
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ここにも、規模は小さいが夢の吊り橋があった。橋を渡り山を少し登り、井川大仏に参る。篤志家が、この標高772mの高台に1980年に建てたという。色白で高貴すぎて、近寄りがたい。また山を下り、のどかなアルプスの里を通り過ぎ、井川駅まで戻る。

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また、南アルプスあぷとラインに乗り、千頭駅まで引き返す。

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千頭駅には、人がいっぱい。トーマス君に会いたい子ども連れが多かった。SLが停まっていた。興味津々で、運転室や乗客室などを見せて頂く。SLは千頭駅を出発した。やはり走る姿が、迫力がある。

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路線バスに乗り、約50分で寸又峡温泉に行く。泊まりは民宿を予定していたが、主が急遽検査入院のために、ペンションとなる。私のような老いぼれ老人は、こんな洒落たところに泊まらないだろう。源泉を訪ねて、その後寸又峡を遙か眼下に見ながら、約30分歩く。
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夢の吊り橋は、寸又川と大間川との合流する、チンダル湖に架かっている。長さ90m、高さ8mの橋で、高所恐怖症の私は、渡るかどうか少し戸惑った。翡翠色の水面を見て、渡ることを決めた。この橋の中程で、愛しい人との恋愛成就を願えば、叶うという。私などもう関係ない話であるが・・・。
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温泉街に引き返す。すっかり暗くなっていた。ペンションに入る。温泉に浸かり、美人になって、料理を戴く。牡丹鍋や、手作りの煮ヤマメなど、とても美味しかった。もちろん完食。
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なぜか、このペンションに宿泊した客は私だけだった。3度も温泉に入り、持参の酒をまた飲み過ぎてしまった。

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2017年12月23日 (土)

居酒屋にて

コンサートが終わり、柴田さん(神座ミカン)と居酒屋「真知子」へ行く。石原先生は都合が悪くなり、二人だけの宴。

柴田さんの行きつけの店のようで、女将は愛想が良い。

柴田さんといっぱい話ができた。憲法を蔑ろにして、軍備増強をして、戦前となりかねない世の中を、ともに憤慨した。また、原発再稼働に走る現政権を、徹底的に批判した。彼とはなぜか馬が合うのだ。

柴田さんが最近作った詩「平成末期 ええじゃないか」を紹介してくださった。風刺精神が漲っている。

「ええじゃないか ええじゃないか 国民一揆を起こそうよ・・・・特定秘密保護法で 国民の知る権利を奪うなよ 集団的自衛権で 戦争に巻き込まれるなんて、止めろ・・・・今のマスコミおかしいよ 森友加計隠して 相撲のケンカばかり・・・・NHKは政府都合の悪いこと N(なんにも) H(放送しない) K(協会か)・・・・日本会議やアメリカへの忖度ばかり アメリカのピースアクションと 連帯して声を上げようよ・・・・シールズ復活 若者よ起ち上がれ 壮年老人起ち上がれ・・・」 

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生ビールで始まり、焼酎に移り、〆は地元の日本酒。医者の禁止命令など、馬の耳に念仏。
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女将の手作りの料理は、抜群に美味しい。特製の濃厚なトマトスープに始まり、大好きな茶碗蒸しまで出た。餃子はしつこくなくて、食べやすかった。
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時間も忘れて、よく食べよく飲んだ。女将さんが送って下さった。
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酔い冷ましに、宿場の本陣辺りを歩いた。人気は無かった。
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東京から島田へと、非常に盛り沢山の充実した一日だった。

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24年目のイブイブコンサート

RPBのクリスマス・イブイブ・コンサートが、おおるり大ホールで行われた。なんと24回目だという。そのわけはコンサートを見ていたら、すぐわかるだろう。一度参加したら、きっとやみつきになる。私は昨年に続いて参加した。

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開場は4時、開宴(案内葉書にそう書いてある)は5時ということだ。「開演」と言うよりは、「開宴」というのがふさわしいコンサートだ。まさに、歌による楽しい宴なのだ。

絵は全て、紅ちゃんの手描きだ。懐かしくなるような、ノスタルジー漂う心温かい絵だ。彼らのコンサートを象徴しているようだ。

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我夢土下座の進藤さんと、久方ぶりの再会に固い握手をした。島田の仲間とも再会でき、嬉しさが込み上げる。

来年3月24日(土)に島田市神座で行われる「我夢土下座と岡田京子コンサート」のビラを、主催者の柴田さんと一緒に配布した。すっかり島田市民の顔になっていた。素晴らしいものは、自信を持って紹介できる。笑顔がこぼれながら配った。岡田京子さんは、昨日のステージにも立っておられた。
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最初に目に飛び込んできたのは、土着民による幟旗。これがあるだけで、雰囲気は和やかになる。
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いよいよコンサートが始まった。4人の息がぴったりと合い、四人四様の演奏、歌声が一つに調和する。個性や音楽の指向などがそれぞれ違っているだけに、一つにまとまるには至難の技であったろう。彼らは週一回の練習で、みごとに乗り越えられてきた。
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ステージに向かって、右側から紹介する。あくまでも小生の独断と偏見によるものなので、読み飛ばして欲しい。

リーダーのよっちゃん。演奏技術は抜群で、音楽性の追求には決して妥協しない。見た目は恐そうだが、面倒見が良くて包容力があるような気がする。一度帽子を取った姿を拝見したい。ナイーブな感性を持った、カッコイー男性だ。
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ソンバーさん。どこからあの伸びやかな美しい声が出るのか、きっと天性なのだろう。具志堅ネタはあまり出なかったが、話はいろんなところに飛ぶのでもおもしろい。「天王山」を歌われるときには、学生時代に戻っておられる。その青春風景が浮かび上がってくる。
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紅ちゃん。このグループでは彼の存在は空気のようなもので、当たり前のようにどこにでもありながら、これなくしては成り立たない。潤滑油のようなもので、人と人とのふれあいを、スムーズに温かいものにしていく。「ぼくが生まれた町」は、私も大好きな歌だ。紅ちゃんの優しさは、この町で、人と人との間の中で、培われてきたのだろう。進藤さんのデザインの「我夢土下座」のTシャツを着ておられた。できることなら、進藤さんと共演して欲しかった。
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マッキー。ベースをまさに没頭して演奏される。その高度なテクニックは、見ていて清々しい。オリジナルの歌は、聞き応えがある。もっと聞いてみたくなる。突然、おもしろいことを言われるので、寡黙に見えるだけそのギャップがおもしろい。
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RPBのオリジナル曲は、メンバーそれぞれが作られて持ち歌となっている。このコンサートの骨格となっており、これを聴かないことには、やはり物足りない気がする。

カバー曲は、青春ソングのメドレーだった。「ブルーシャトー」「あのとき君は若かった」「思い出の渚」「学生時代」などで、つい一緒に口ずさんでしまった。「私鉄沿線」まで出てきたのには、もうビックリした。
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後半の最初は、やまゆりビレッジシンガーズとの共演。実は、これを一番楽しみにしていた。それぞれのグループが、ライブもされる実力派。「風」「遠い世界に」をこれだけ大人数で歌われても、演奏は一体となり、歌のハーモニーがとてもきれいだった。

特に、KEITOさんの天まで響くような歌が聞けて、本望を果たしたような思いだ。「エーデルワイス」を歌われて、心が清らかに洗われるようだった。この時、紅ちゃんが一番嬉しそうな顔をしていた。
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いよいよ大詰めである。「キーウィ」で、それぞれの生き方を肯定し勇気づけてくれた。「またあう日まで」で、きっと来年また会いたくなるような気にさせてくれた。
そして、いよいよ「満天の星」。この頃になると観衆はもう待ちかねたみたいで、アクションが自然と起こっていた。会場にペンライトが揺れ、星がキラキラ輝いた。

私も彼らに釣られて立ち上がり、「ひとりぼっちの君に降るのは 満点の星・・・・」と大きな声で歌い、腕を伸ばし指を立てていた。もう恥ずかしいなどとは言っていられないような気分だった。

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コンサートが終わり、RPBのメンバーたちはユニセフの募金活動をされた。昨年度だけで約19万円、これまでで約295万円になるという。このあたりにも、島田市民に深く愛されていることがわかる。みんな笑顔で、自主的に募金していた。
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クリスマス・イブイブ・コンサートが終わった。心温かい余韻のままに、しばらく夜風に当たっていた。

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生きている不可思議

昨日は東陽町駅近くのホテルに泊まり、早朝に一時間ほど歩いて、息子家族たちと待ち合わせするお寺に行く。

しばらく仙台堀川に沿って歩く。サギや、カルカモ、オナガやカワセミなどもいるという。東京も場所によっては、自然が残っている。野鳥の写真を撮る人が、多くいた。朝早いうちから、熱心なことだ。

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「カエル出没注意」の看板には、違和感を覚えた。痴漢ではあるまいし・・・。
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銀座モンシェールのパン工場があり、デニッシュパンを買い求める。24時間操業ということだ。
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下町の商店街である、砂町銀座を歩く。まだ早いので、開店準備をしていた。焼き鳥がおいしく、これでいっぱい飲るのが好きだ。
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因速寺には、すばらしい言葉が掲げられていた。

「どうにもならないことは どうする必要もない・・・・・・」

「私が今ここに生きている不可思議さ それ以上の不思議が何処にあるのだろうか。」
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上妙寺で待ち合わせをする。鳥頭薩摩明王のご縁日で、大根祭りが行われていた。無病息災の風呂吹き大根を戴く。孫たちは美味しそうに食べていた。

バルーンのパフォーマンスが面白くて、つい見入ってしまった。バルーンで作った力士の髷を、孫はプレゼントされてたいへん喜んでいた。
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みんなで、今話題の貴乃花部屋に行く。タクシーに乗り込む貴乃花を撮影するために、カメラマンがビデオカメラを向けていた。有名人には、プライバシーなどないのだろう。
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回転寿司をリクエストしたので、みんなに奢ってやった。

公園で少し遊び、息子たちと別れて、いざ島田へ。

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2017年12月22日 (金)

いのちの輝き 希望のあかり

東京の調布市で、「いのちの輝き 希望のあかり」と題した、クッキングハウス30周年を祝う会が行われた。憲法フォークジャンボリーin岡山で、その存在を知り関心を寄せるようになった。こころの病気をした人たちが元気になる、小さな居場所である。

ジパング倶楽部に入会したので、新幹線で東京へ。富士山がくっきりと見えた。

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調布の駅から約5分歩いて、クッキングハウスを訪ねた。祝う会があり閉店していたが、町に溶け込んでいた。1987年精神科医療も福祉も貧しかった時代に、「病院ではなく、町の中で当たり前に人間らしく暮らして」いって欲しいと願って、「『おいしいね』から、元気になる場」を合い言葉にスタートした。
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近くには、布多天神社があり、1796年に建立された狛犬がいた。また、落雷で大半損傷したケヤキが、なおも小さな枝を空に伸ばしていた。生きることのひたむきさや尊さを感じざるを得なかった。クッキングハウスに集まる人たちの姿に重なった。
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文化会館くすのきホールに行く。クッキングハウスで作られたクッキーの樹木があった。約25年間関わり続けてこられた、笠木透さんの著作も置かれていた。
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特定非営利活動法人クッキングハウス会の代表である、松浦幸子さんが30周年を祝う挨拶をされた。

「いつの間にか夢と希望の発信基地となっていました。これからも心豊かに一人ひとりのいのちが輝いて生きるための居場所として、本当の幸せを求めて活動していきます。どうぞ、私たちが2年がかりでうたをつくり、練習を重ねたソシオドラマを一緒に楽しみ、明日への元気の素にして頂けますようにお祈り申し上げます。」

松浦さんは困難を乗り越えて信念を貫く強さを持ち、どんな人をも受け入れる包容力や真の優しさが溢れているような人である。深い敬意を抱かずにはいられない。
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ソシオドラマが始まった。その内容は、「30年間の社会状況の移り変わりと、こころの居場所クッキングハウスがこの時代に果たしてきた役割、そしてこれからの時代の展望」である。

心を病む人たちが、一人ひとりの思いを詩に書き、発表し、シェアし合い、メロディーをつけていき、一節でも思い浮かぶと発表するという繰り返しで曲が作られソシオドラマが作られていった。ソシオドラマ「こころの居場所 いのちの輝き」の構成は、次の通りである。

1「こころの居場所」、2「不思議なレストラン開店-仲間と一緒に仕事-」、3「学びと文化-メンタルヘルスの向上・やさしい福祉文化-」、「仲間との旅-旅は生きる張り合いに-」、5「社会に羽ばたく仲間-就労へのチャレンジ-」、「未来に向かって-それぞれのリカバリーこの街で-」

笠木透さんが、クッキングハウスに歌作りを勧めた。「こころの病気をした君たちだからこそ、歌が作れる。歌は訴えるもの。君たちには訴えたい思いがいっぱいあるだろう。一緒に歌を作ってみよう。」

その中でできたのが、笠木透作詞、山本忠生作曲「不思議なレストラン」である。奇しくも、今日が笠木さんの命日である。
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うつむいていた人が顔を上げ、笑顔を見せてくれるようになる。引きこもっている人が、ゆっくりとこころの扉を開けてくれるようになる。こころの病気をしても大丈夫、自分らしく自分のペースで生きていける。ソシオドラマで、そのことがよく分かった。

第二部は、記念講演「希望のあかり」である。松崎運之助さんは、山田洋次監督「学校」のモデルであり原案者である。西野博之さんは、フリースペースえん代表で、不登校の子どもたちと共に育ち合う場を作り続けてこられた人である。

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最後にみんなで「ペンペン草」を歌い踊った。終始バックで演奏をされていたのが、雑花塾のメンバーである。増田康記さんは、歌作りも共にされてきた。山本忠生さん、安達元彦さん、岡田京子さん、佐藤せいごうと共に、クッキングハウスのソシオドラマや歌を下支えしておられた。
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「いのちの輝き 希望のあかり」を、こころにしっかりと抱きながら会場を後にした。

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2017年12月20日 (水)

太陽からの恵みを

我が家に、太陽光発電と蓄電池を導入した。多額の投資で、妻からはかなり文句が出た。自然エネルギーへのシフトは大事なことなので、強行した。

電気店とは契約を9月初旬に行ったのだが、国からの認可が下りなくて、ようやく今月に工事が行われた。経産省の管轄ということだが、もっとスピーディーにすべきである。

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工事が終わる。メーターには、ソーラーの数値がグラフ化されている。
午後8時過ぎまでの、発電量14,2Kwh消費電12.7Kwhで、自給率は111%。売電量10.9Kwh買電量9.4Kwhである。

もっと消費電量、買電量を抑えなくてはいけない。浪費する妻に協力してもらう必要がある。
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ソーラーや蓄電池の容量をもっと増やしたかったのだが、投資するお金の関係でやむを得ない。

我が家の六地蔵や七福神は、きっとこの「太陽からの恵み」を喜んでいるであろう。
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原発に依存する関電は、早く覚醒して欲しい。人との共存は、全く不可能なのだから。

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2017年12月17日 (日)

城山台事件

城山台の土地を市が購入したのは違法ではないかと、今年6月に仲間たちが住民訴訟を起こした。今日はその現地調査と、学習会があった。20人くらいの市民や弁護士たちが参加していた。

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現地に行ってみて、地目は宅地であるが、実際の土地の現況は山林(竹藪が主)であり、傾斜地であることが分かった。
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このままでは宅地にするには到底不可能な土地を、2018年に撤退するURから、市は押しつけられたのではないかと疑問が起こった。
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市が行った土地購入(98.458.000円)は、果たして行政目的があるのだろうか。原告側の主張の要点は、次の通りである。

「本件土地自体、①利用価値に乏しい、②利用のためには相当な費用を要するものであって購入する必要はない、もしくは代金相応の価値はない。地方自治法、地方財政法の規定に反する支出行為であり、違法な公金支出である。」
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それに対する、被告の市側は次のように反論する。

「本件土地は小川水系に属する土地であり、同水系の下流域では多くの水害が起こっている。水害防止のために小川水系周辺での保水力の向上または維持が必要であり、本件土地購入による山林保全が友好である。将来、木津駅東の区画整理事業が実施された場合の代替地としての活用が考えられ、無目的ではない。」

すぐ向こうに、市役所や駅西の山城病院が見える。
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両者の言い分を客観的に考えてみると、市側の主張にはだいぶ無理があるような気がした。水害防止のためというならば、なぜ城山台を開発したURに、撤退の意思表明までにその対策を執らせなかったのか。現在の貯水池は、あまりにも狭小である。
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URと市との交渉は、被告の市側は「URとはすべて電話連絡で、文書は残していない。阿吽の呼吸で仕事をしている」などと意見陳述している。

市(市民)側に有利になるようになぜ折衝できなかったのか、できないとすれば文書の形で残すべきではないかと思った。1億円近い血税を使うのであるから。
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保守系議員の多い議会(昨年12月)で可決され、代金支払いもなされている。しかし、やはりおかしいことはおかしいと、声を上げ続けていかなければならない。
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東部交流会館で、学習会が行われた。今回の住民訴訟では6人の弁護士が手弁当近い形で弁護してくださっている。そのうち5人の弁護士が参加され、わかりやすく説明くださった。「購入に当たっての行政目的の検討」、「小川水系下流域での水害防止について」などの課題を、参加者たちは熱心に話し合った。
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学習会が終わり頭を冷やすために、近くの燈籠寺のお地蔵さまにお参りする。
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帰宅途中に、鹿背山不動にお参りする。碁盤石などの巨岩がある。山に上り、「しょんべんたれ地蔵」(鎌倉時代後期)に参る。このお地蔵さまに7日間参ると、夜尿症が治るという。
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違法公金支出返還訴訟(いわゆる木津川市城山台事件)に、これからも関わっていきたいと思う。

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2017年12月15日 (金)

わらべ地蔵が・・・

我が家の狭い庭には、小さなわらべ地蔵がいらっしゃる。静岡県島田市から遊行(ゆぎょう)されて、ここにいらっしゃる。古備前のかけらを、下に敷かせていただいた。ちょっと嬉しそうだ。

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わらべ地蔵が、12月に焼き上がった拙作を微笑んで見てくださった。下手で良いのだと諭す、優しい笑みである。これに甘えずに、陶芸の修行を続けていきたい。

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狭い庭には、柑橘類(みかん、キンカン、ハッサク、柚子)の小木が植わっている。気品のある香りの花が好きだし、酸っぱいものを好むからである。隔年なのか、柚子の出来が悪かった。
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採ってきた銀杏を、何度も水洗いする。その後、日干しする。わらべ地蔵の前に置いているので、正直に「臭いぞ」と呟かれている。
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バタバタと日が暮れる。

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2017年12月10日 (日)

おかかが止めた

「内灘闘争65周年記念集会」に参加した。副題に、「おかか達の革命-米軍砲弾試射場をとめた」とある。

少し早めに行き、大阪城内を散策する。中国からの観光客が多い。桜門の升形の巨石は、約36畳敷もある。芸人のすばらしい技に、しばし見入る。石垣の石の拓本を採っていた。サンタ姿の犬も散策。大阪城ホールでは、矢沢永吉のコンサートがあるらしく、トラックが数台止まっていた。そそくさと通り過ぎ、松下IMPホールに行く。

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広い松下IMPホールが、ほぼ満席であった。壇上には、「金は一年 土地は万年」と書かれたムシロが置かれていた。

集会が始まったまず、実行委員長の大野氏が挨拶された。内灘闘争の概略を説明した後、次のようにスピーチされた。

「このこと(1952年の内灘闘争)は戦後の米軍基地反対運動の先駆けとなり、砂川闘争などの基地反対運動へと続いたが、一方で沖縄の基地の拡大に大きく影響しています。いま安倍政権がアメリカのトランプ政権と一体となってすすめている戦争政策は、核戦争を誘発し人類の滅亡になりかねません。戦争を止めるのは、私たちの使命だと思います。」
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内灘町「風と砂の館」の元館長、西尾さんの司会で、内灘闘争の青年部長をされていた杉村夫婦がお話しになった。雄二郎さんは北陸鉄道労働組合でストライキを敢行し、竹子さんは内灘村接収反対実行委員会に所属していた、おかかたちの一人である。

「内灘闘争」とは、1952年に起こった「米軍試射場反対闘争」のことである。米軍は朝鮮戦争で使う砲弾を大量発注して、その試射のために日本政府は内灘を接収して提供しようとした。同年4月にサンフランシスコ講和条約・日米安保条約が発効して、占領状態から脱したばかりのことである。

漁業や出稼ぎで生計を立てていた村民は、破格の補償金を提示する政府に対して、「金は一年、土地は万年」と書いたムシロ旗を掲げて、徹底した反対運動を展開した。

おかか(留守を預かる婦人)たちは、体を張った座り込みを果敢に行った。それを応援しようと、全国から労働組合員や学生達が集結した。アメリカの命令でできたばかりの警察予備隊(自衛隊の前身)と激突して、千名以上の負傷者が出た。

「その労働組合員の人たちの多くが、先の大戦で、我が身に戦争の悲惨を味わい尽くした人々であったことが、反戦平和の闘いである内灘闘争をより強靱なものにしていた。」

「安保体制のもとでは、真の独立を得ることはできず、米国の従属国として、やがてまた米軍に引きずられるように戦争に巻き込まれるとの深刻な危機感を共有していた。」

私の生まれた年に、このような反基地・反戦平和の闘いがあった。内灘闘争から65周年になるが、辺野古の米軍基地建設一つをとらえても、日米の本質的な関係は何一つ変わっていない。本当に情けない国だが、その責任の一端は自分にもある。
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「佐賀空港への自衛隊オスプレイ等配備反対地域住民の会」事務局の、蒲原さんがスピーチされた。佐賀空港に陸上自衛隊所属のオスプレイ17機、戦闘ヘリコプター約50機が配備されようとしている。

「地元住民や農民は、オスプレイ等配備へのいかなる買収や条件を受け入れてはなりません。積み上げられるであろう一時金や好条件などの場に乗り絶対に惑わされてはなりません。買収が始まると、地元住民や農民相互が切り崩されます。地域の自治や絆が断ち切られます。」

「子や孫、そして未来の世代に、有明の平和で豊かな恵みの大地と宝の海を残すため、オスプレイ配備に反対し、一致団結して闘いましょう。」
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奄美ブロック護憲平和フォーラムの事務局長、城村さんがスピーチされた。奄美大島に、陸上自衛隊の警備部隊とミサイル部隊が配備されようとしている。

「南西諸島における自衛隊の拡大は、かえって標的になる。世界遺産を目指す奄美の自然を破壊する。自然と平和が壊されないように、基地受け入れに断固反対する。」
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「てぃだぬふぁ島の子の平和な未来をつくる会」の共同代表である、石嶺さんと楚南さんがスピーチされた。

「10月に、宮古島の千代田カントリーで、陸上自衛隊ミサイル配備基地の工事が開始した。基地建設を、環境アセスメントの対象事業にと県議会に働きかけていく。地下水が汚染されたら、島民5万人の水道水が一瞬で失われる。リスクははっきりしている。」

「戦争につながるものを作ってはいけない。誰かが一度ボタンを押せば、島は終わる。武力で国と国とが対峙することを、絶対に止める。根本的には、日本国憲法にたどり着く。」
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「全日本港湾労働組合八重山部会」の波照間会長がスピーチされた。
「国防に関することは、国の専権事項だとする考えは間違いだ。陸自配備をすれば、平時でも住民に被害が及ぶ。基地建設予定地には、貴重な保全種が確認できた。声なきか弱い動植物を守るのは、市民の責務だ。」
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第二部は、平和コンサート。平和への祈りを歌う。

まず、沖縄の古謝美佐子さんが、ウチナーグチで情感豊かに歌われた。「黒い雨」「竹田の子守唄」「大村御殿(耳切坊主)」「二見情話」などを歌われた。正確には意味は分からなかったが、その歌の思いや感情などはしみじみと伝わってきた。スピーチでは、嘉手納基地の傍に生まれたゆえの苦しみを述べて、米軍基地に反対する思いを切々と語られた。舞台を降りて、内灘闘争の杉村さん夫婦の前で涙ながらに歌われた。反戦平和の思いが、そのような行動を取らせたのだろう。こちらもジーンと来てしまった。
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カルメンマキさんは、「デラシネ」「幸福が遠すぎたら」「望みのない恋~挿入朗読詩 波の音」などを、感性鋭く歌われた。中原中也の詩を歌の中に挿入するなど、立体的な音楽を作り出されていた。ピアノ、ギター、ドラム、ベースの四人の演奏もすばらしかった。
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戴いた資料に、このマンガがあった。日本国民を「占領」という名の檻から出して、新たに「講和条約・安保条約」という檻に移している風刺漫画である。
そして今の日本もまだ、安保体制、米軍の核の傘という檻の中にいる。日米地位協定で、アメリカには治外法権が与えられている。特に沖縄では、オスプレイが墜落しても日本側には調査権がなく、まさに占領下にある。唯一の被爆国にもかかわらず、核兵器禁止条約を批准しない。日本国憲法を盾にして、この檻を壊さなくてはいけない。

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いろいろ考えさせられることが多かった。4時間余りの集会が終わり、辺りはすっかり暗くなっていた。帰宅したときは、8時を過ぎていた。

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2017年12月 8日 (金)

MIHO MUSEUM

松本市のぽこ・あ・ぽこから、CD「見上げれば恵那山」が届いた。第四集で、今回は笠木透さんの詩に曲をつけたものや、笠木透さんを思い慕う歌が中心となっている。何度も何度も聴くことだろう。

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今日は、信楽まで粘土を買いに行く。まず、三筋の滝を見に行く。
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近くに、秀明自然農法しがらきの里がある。自分で採った種を蒔き育てる、無農薬・無肥料の自然農法をしている。
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庭には、なぜか「残念石」がある。大阪城石垣再築で使われなかった巨石である。犬島から運ばれ、約4tある。
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田代高原の里は、とても懐かしい。10年くらい前に、この陶芸小屋でN先生のご指導で修行をしていた。今では閉鎖されている。残念で仕方ない。
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チケットをもらっていたので、MIHO MUSEUMに行く。開館20周年記念特別展「桃源郷はここ」が開催されている。

ルーブル美術館のガラスのピラミッドなどで、世界的に有名なI.M.ペイ氏。この湖南アルプスの山中に、桃源郷のような美術館を作るということで、ペイ氏は設計した。自然と建物と美術品との融合をテーマにして、80%以上を地中に埋没させた。
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礼拝堂とベルタワーが遠望できる。
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まさに、桃源郷の世界である。日本や世界の貴重な古代美術が展示されている。写真撮影は禁止なのでパンフから。
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信楽に寄り粘土を買い求める。タヌキが迎えてくれる。
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信楽から家まで、車で約40分。和束川添いの紅葉は、すっかり散っていた。

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2017年12月 6日 (水)

李 政美トーク&コンサート

仕事帰りに京阪電車に乗り換え、枚方市に。「まいかた」ではなく、「ひらかた」。誤りを逆手にとって、市を宣伝している。

メセナ枚方会館で、李政美(い ぢょんみ)さんのトーク&コンサートに参加した。タイトルは、「自分を愛し、人を愛すること」である。枚方市人権週間事業のイベントで、無料である。竹田裕美子さんのピアノである。手話をする人や、字幕つきの、障がい者に配慮したコンサートである。

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李 政美さんは,東京の葛飾生まれの在日コリアン二世である。小さい頃のことから、歌を作り始める頃のことまで、半生を淡々と語った。小さい頃のことで印象に残っているのは、李さんの家は廃品回収業をしており、あまり働かない父親が懸命に働く母親に暴力を振るうのが嫌でたまらなかったと言うことである。寒い日には道に水を撒いて、氷で父が滑って沁んでくれたならとまで思ったそうである。
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それに対して母親は必死に働き、子どもたちを育ててくれた。その思いを、「遺言」の歌に込めて歌った。「幻の荒野にいつか 立ちつくす子に 母は霜よけの草であったと 母も忍ぶ草であったと 一陣の風よ 伝えておくれ」。
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国立音楽大学を卒業しても、音楽とは無縁であったという。定時制高校の講師を務めて、在日や部落出身などの、荒れた子どもたちと接する中で、李さんは自己の立ち位置に目覚めた。今まで忌み嫌っていた、在日コリアンから遠ざかるような生き方から、在日コリアンとして生きるというアイデンティティーを身につけていった。そして、自然とその中から数々の歌が生まれた。

「京成線」、「ありのままの私」、「生きようよ」、「ありがとういのち」、「そのままで大丈夫」などを次々に歌った。

「わたしと小鳥とすずと」は、聴衆と共に手話を交えながら歌った。
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李さんはチャングーを持って、聴衆のみんなと「アリラン~珍島(ちんど)アリラン~密陽(みりゃん)アリラン」の朝鮮民謡を歌った。
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李さんの両親は、済州島の生まれである。現在、韓国と朝鮮民主主義人民共和国の二つに分断していることを悲嘆していた。そして、ミサイルの発射への過剰な防護について、在日コリアンの子どもはどんなふうにそれを思っているだろうかと、心配していた。在日コリアンへのヘイト(特に子どもに対して)についても、真摯に非難していた。

李さんは、平和や人権について、しなやかに自分の意思を訴え続けている。
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枚方人権まちづくり協会の方から、花束を戴いてとても嬉しそうだった。時間を延長して、更に「ローズ」を歌った。聴衆はみんな、深い感動の中に包まれていた。
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李 政美さんの思いが切々と伝わってくる、すばらしいコンサートだった。本当に「自分を愛する」ならば、「人を愛すること」につながることに気づかされた。他者愛を伴わない自己愛は、偽物である。
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李 政美さんの透き通った声が、いつまでも心のなかに響いていた。

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2017年12月 4日 (月)

放送法等遵守義務確認請求訴訟

「放送法等遵守義務確認請求」の集団訴訟における、第6回口頭弁論を傍聴支援した。奈良地裁には多くの人が集まり、大法廷はほぼ満席。どれだけNHK受信料を支払いたくないか、その思いが伝わってくる。

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原告側の弁護士が、三つの論点にわたり理路整然と弁論された。要するに、受信契約を結び受信料を支払うからには、NHKは放送法を遵守すべきであるということである。現状は、公共放送としての務めを放擲して政府の宣伝機関のようになっており、放送法4条に明らかに違反している。
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意見の異なる問題には、さまざまな角度から報道しなければならないのだが、現状のNHKはあまりにも政権側に偏っている。これでは高い受信料など支払いたくない。

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6日に、最高裁でNHK受信料は合憲かどうかの判決が出るが、おそらく現在の司法は体制側に位置しているので、合憲となるであろう。

しかし、私のように安倍マシンたるNHKをいっさい見ない者が、なぜ受信料を支払わなくてはならないのか。安倍信奉者だけがNHK受信料を支払えば良いと思う。もちろん、NHKが放送法を遵守して、公正・中立なニュースを提供するならば、当然受信料を支払う。
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その後、奈良教育会館に移動する。弁護士の安藤氏が「メディアと権力について思うこと」と題して講演された。
まず、衆議院選挙投票当日の新聞一面の自民党の広告を取り上げ、これは公職選挙法違反であると指摘された。それから麻生副総理の「ナチスの手口を見習ったらどうか」などの暴言を列挙して、安倍政権の暴走ぶりを非難された。

司法も行政も、メディアも、現政権に取り込まれて忖度している現状で、いかにこの権力者の暴走を止めるのか。それは、周りに流されず、自分で考え、主体的に行動する民衆が、一人でも二人でも増えること、それにつきる。

安藤弁護士の主張は、明快でわかりやすかった。
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「呟く女性9条の会」から会報をいただいた。その中に、すばらしい記事があった。

「55歳の男性が妻と一人息子を失ってから、何かためになる仕事をしたいと思いつき、不毛の地に生命の種を植え付けていったのです。89歳で死去するまで、荒れ果てた地を甦らせた名もない農夫に、限りない敬意を抱かずにはいられない。」

「そうだ、今の日本だって、人の幸せを願って、木を植える地道な仕事をしている人が大勢いる。子や孫のために平和を願って、木を植える人がいる。一緒に頑張っていこう。」

私も、一人の「木を植える人」でありたい。

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2017年12月 3日 (日)

男の料理教室、鍋-1グランプリ

自治会の大掃除があり、バス停周辺をきれいにする。

その後、近所の男の料理教室が行われた。メニューは、鶏肉のロールとサーモンのムース。何れもクリスマスシーズンに備えた料理であるという。

まず、鶏肉のロール。もも肉と胸肉の皮を剥いで平たくして、そこに人参とエンドウ豆を詰めて、ぐるぐる巻く。レンジに掛ければ、それで終了。お手軽な料理だ。

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サーモンのムースは、更にお手軽。スモークサーモンをミンチにして、カテージチーズなどを混ぜ合わせるだけ。
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講師のSさんが気を使ってくださり、誰にでもできる簡単な料理を教えてくださった。Sさんが家で焼いたパンの差し入れ。これがめちゃ美味しい。
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料理ができた頃に、奥さん方が集まり、しばしパーティー。ワインの差し入れもあり、この料理によく合う。昼間から、かなり戴いてしまった。
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酔い醒ましに、加茂駅まで歩く。笠置まで行く。今日は、鍋-1グランプリがある。

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駅前の広場では、子どもたちがボルタリングの体験をしていた。「笠置Rock!」という映画が作られ、その中で木津川沿いの岩でボルタリングをする若者を描いている。
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わかさぎ温泉笠置いこいの館広場で、全国のご当地鍋が競い合う、鍋フェスタが行われていた。地元の笠置町からは、雉子鍋。加茂からは、恭仁京鍋。

秋田からきりたんぽ鍋、甲斐からほうとう鍋、滑川市から絶品牛すじ鍋、那智勝浦からマグロつみれ鍋・・・・・。グランプリを獲得したのは、北茨城市のアンコウ鍋。
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鍋の匂いだけで腹がいっぱいになる。木津川沿いを歩く。紅葉はすでに終わっている。ボルタリングをする若者たちが、練習をしていた。なかなか難しいようだ。簡単には岩の上には上がれない。
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木津川上流に向かって撮影。ここの風景が好きだ。
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加茂まで帰り、歩いて帰宅する。
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今日も慌ただしい、師走の一日だった。



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2017年12月 2日 (土)

師走

松本市のぽこ・あ・ぽこのリーダーで雑花塾のメンバーである、鈴木幹夫さんから「恵那山」の版画をいただいた。早速自分の部屋に飾り、ずっと見ている。笠木透さんの歌が聞こえてくる。身に余る光栄というのは、こういうことを言うのだろう。感謝至極に尽きる。

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午前中は陶芸の修行。午後からは、陶芸教室の大掃除で手伝い。その後、和束に紅葉狩り。夕食は、息子たちが来たので一緒に食事。師走の、慌ただしい一日であった。

陶芸工房の周りの紅葉・黄葉。真っ青な空に、美しく映える。

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陶芸教室(あじさいホール)の大掃除をみんなでした後に、木津川を渡り和束へ。
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和束の山々もすっかり紅葉している。和束は、「日本で最も美しい村」に認定されている。茶源郷として、世に知られるようになった。
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和束川の対岸から、弥勒菩薩磨崖仏を拝む。
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和束の紅葉と言えば、正法寺。見頃は終わっていた。石仏たちは前掛けや帽子をもらって、とても嬉しそうだ。
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動物たちも帽子をもらっている。
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茶畑を遠望する。紅葉の木々との対照が、一枚の絵になる。
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八坂神社の北山杉を見に行く。樹齢1300年~1500年という。幹周り12.8m、樹高31mの巨木である。再三の落雷にも負けずに、勇壮な姿を留めてる。そのエネルギーをわけていただく。
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境内から、和束の山々を遠望する。
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和束川の川沿いに、今を盛りの紅葉の木があった。
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野菜市で、しばし休憩。大きな大根を買う。1本150円。
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和束町園区の丘に行く。茶畑が広がる。
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肉屋のキザキに寄り、肉やコロッケを買い求める。店先には、猪の皮が置かれている。

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息子たちと一緒に、すき焼きを作って食べ、そして飲む。その後、デザート。芋入りのパイ。
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島田の弥次喜多さんからいただいた、お菓子を食べる。これが、またすごく美味しい!
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美味しいものばかり食べ、日本酒も少し飲んだので、血糖値がおそらく上がっただろう。

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2017年12月 1日 (金)

弥次喜多 都紅葉 道中

島田市から友人二人(紅ちゃんとBBさん)が来京。彼らは現代版弥次喜多道中と言えるくらい、愉快な旅をしている。京都駅で待ち合わせ。ここですぐラーメンとビールということになるのだが、今回はラーメン店はまだ開いておらずパス。

何処に行かれるのかと興味を抱いていたのだが、まずバスに乗り、目的地の銀閣寺に行く前のバス停で下車。行動が読めないのがおもしろい。

まず、南禅寺の座禅道場。鮮やかな紅葉が、目に飛び込んでくる。彼らは毎年春秋に京都に来ているのだが、やはり京の紅葉は、色も違うらしい。

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真如堂に参る。観光客が少ないので、ゆったりと観賞する。友人たちは写真愛好家であるので、目の色を変えて写真を撮りまくっていた。場所の選定やアングルなど、大いに参考になる。友人たちは真如堂の紅葉に、いたく感動していた。
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真如堂から、金戒光明寺に行く。黒谷さんと呼ばれている、古刹である。BBさんは、墓所がある会津藩の歴史を語ってくれた。知識も豊富である。
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お目当てのうどん屋さんも蕎麦屋さんも長い行列ができていたので、グリル小宝へ。オムライスが有名な、洋食屋である。友人たちは早速生ビールとトンカツ、そしてオムライス。〆にワイン。よく食べよく飲む。圧倒されて、見ているだけで満腹になる。
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哲学の道へ行く。哲学とはあまり縁が無い二人だが、なぜか姿はよく似合う。どうもまだ酒が飲み足りないようだ。店が見当たらないので、しかたなくカフェへ入りコーヒータイム。
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永観堂禅林寺に参る。参拝料金は1000円で、今まで何回も来ていたが門前を通り過ぎるだけであった。友だちも同じみたいで、お寺に入るのは初めてであった。
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「紅葉の永観堂」と言われるくらいあって、さすがに紅葉の種類や多さは際立っていた。曇ってきていたのだが、阿弥陀堂の辺りからは日射しが差してきて、浄土の世界が開けてきた。やはり光を受けてこそ、紅葉はいっそう鮮やかな美しさを魅せてくれる。
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思わず写真を多く撮ってしまった。もちろん目にしっかりと焼き付けた。友人たちも同じであろう。すっかり目も心も真っ赤になっていた。紅ちゃんは名前の通り、特に!
南禅寺を通り過ぎ、地下鉄に乗り、ホテルに行く彼らと途中で分かれる。
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友人たちは、これからメインの酒宴。仕事を終えた進ちゃんたちと合流して、思う存分飲むであろう。参加できないのが残念で、あまりない後ろ髪を引かれるような思いであった。

ほんの一部ではあるが弥次喜多道中に参加できて、本当に楽しかった。ありがとうございました。

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