旅行・地域

2017年11月17日 (金)

友来たる

昔の職場の友が二人、数十年ぶりに加茂を訪ねてきた。山の家で待ち合わせをして、石仏の里を案内する。紅葉日和で、歩くのに最適であった。

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浄瑠璃寺の紅葉は、ちょうど見頃であった。光の加減によって、ますます赤が際立つ。境内では、スケッチをする人が何人かいた。
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塔尾茶屋で、とろろうどんを戴く。とろろが多くて、うどんが見えないくらいであった。昔ならきっと飲んでいたであろうが、みんな歳を取ってしまった。Rimg_0994_r
浄瑠璃寺から岩船寺にかけての道は石仏が散在して、「美しい日本の歴史的風土」、「美しい日本の歩きたくなる道」に選ばれている。「わらい仏」「眠り仏」「三体地蔵」など、どれをとっても心ひかれる仏さまだ。友も熱心に見入っていた。Rimg_0995_r
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門前の店で、しばし買い物。
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岩船寺に参る。本尊は、像高約3m欅造りの阿弥陀如来座像である。友もその気高さに息をのんでいた。この辺りで一番高い貝吹き岩まで、境内の山坂を登っていく。しばらく昔の頃の四方山話に花を咲かせる。また、本堂まで戻り、周辺の石仏を案内する。

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車を停めたところまで引き返す。吊し柿が陽を浴びて、甘さが増しているだろう。
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最後の石仏は、一願不動。一つの願いを叶えてくださるということだが、友は何をお願いしただろうか。
自宅まで帰り、妻を交えて一時間余りゆったりとお話しをする。昔だったらここで酒宴となるのであるが、私を含めて自重するようになった。少しさびしい気持ちがしたが、仕方ないのかも知れない。

すっかり外は暗くなっていた。

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2017年11月 5日 (日)

鞆の浦 散策

早朝日の出を見るために、仙酔島を周遊する。空には、忘れたように丸い月が残っていた。

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海から太陽が昇る。真っ赤な太陽だ。生きている嬉しさが、胸に込み上げてくる。しばらく見とれてしまった。
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宿舎まで引き返す。朝焼けの海が、何とも言えず美しい。
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平成いろは丸の船で、鞆の浦に渡る。孫たちは船に乗るのが珍しく、はしゃいでいた。

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鞆の浦を散策する。鞆には、朝鮮通信使が毎回寄港していた。

福禅寺にある客殿「対朝楼」は、正使・副使たちの宿泊場所として使われていた。朝鮮通信使の詩書などが多く残されていて、これらは世界記憶遺産として登録された。
朝鮮通信使が「日東第一形勝」として、ここから見えるこの景観を称賛した。
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港には、江戸時代の常夜燈や、雁木(船着き場)が残っている。この沖で、1867年に坂本龍馬の乗るいろは丸が、紀州藩の明光丸と衝突し沈没した。龍馬は、紀州藩と激論を交わし談判した。龍馬が泊まった屋敷や、談判を行った屋敷が、今も残る。
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土産には、鞆竹輪や海産物を買って、みんなにプレゼントした。
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安芸高田、東京や大阪、京都へと、それぞれみんな帰途についた。

二日間が、本当にあっという間に過ぎた。みんな良い思い出を、こころに残してくれたであろう。

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2017年11月 4日 (土)

仙酔島へ

岡山を早朝に発ち、福山へ。ここで家族と落ち合い、福塩線で実家に行く。墓参りをして、その後母を見舞いに行く。

みんなで車に分乗して、仙酔島へ行く。瀬戸内海国立公園に位置する景勝地である。小さい頃は海水浴に来ていた。

天気が良くて、服を着て泳いでいる者までいた。浜辺では、ヨガをしていた。

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東京から来た孫たちと、浜辺で戯れる。じいじと呼ばれて、至福の時である。
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島の探検をする。瀬戸内海の穏やかな海だ。
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夕暮れ時の海は、一段と美しさを増すようだ。
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仙酔島にある国民宿舎に宿泊する。鯛をメインとした魚料理がいろいろ出た。何と言っても鯛のカブト煮が美味しかった。
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甥っ子や姪っ子たちは、遅くまで酒を酌み交わし談笑していた。私は9時前にダウン。

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2017年11月 3日 (金)

古備前に憧れて

岡山マンスリーライブに参加するために、岡山に行く。途中、備前に立ち寄り備前焼を観賞する。

亡父が備前焼や古備前に興味を持ち、収集していたので、私もその影響を受けて古備前に憧れている。

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建物の壁にも、備前焼が使われている。
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旧街道を歩く。山陽道として、遠い昔から今に至るまで栄えている。
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桃山時代の大甕があった。長いこと見とれてしまった。
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天津神社に参る。境内には、備前焼の狛犬や七福神、イヌなどが置かれている。
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旧街道には、備前焼を売る店が多い。窓越しに備前焼を眺める。私も陶芸のまねごとをしているので、大いに参考になる。
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山の展望台まで上る。伊部の町が見渡せる。煙突が随所にある。
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伊部北大窯跡に行く。古備前の破片が散らばっている。
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天保窯は、名の通り天保時代に築窯された。古窯で姿を留めているのは、この天保窯だけである。規模を縮小した小窯で、大窯の四分の一の十数日で焼き上げたという。
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備前焼作家、佐藤苔助を訪ねるが不在だった。父と何度か訪ねたことがある。昔のことを懐かしく思い出した。
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不老川沿いにも、陶芸作家の工房がある。橋のたもとに、備前焼のわらべ地蔵がおられた。
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人間国宝の伊勢崎淳の工房は、残念ながら閉まっていた。
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南大窯跡に行く。全長54m、幅5mの大窯で、桃山から江戸まで壺や甕、擂り鉢や徳利などの日常雑器を焼いていた。4石(約720ℓ)入りの大甕も焼いていた。陶器3万個を、一ヶ月余りかけて焼いていたという。マキ60トンも使っていた。スケールの大きさに驚嘆する。
一時間ほど、古備前のかけらを調べて観賞する。全く見飽きない。
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備前焼ミュージアムや、伝統産業会館を訪ねる。

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父と何度も訪ねたこの町を、一人で訪ねる。父が横にいるかのようだった。

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2017年10月28日 (土)

かにかくに

娘の引っ越しがまだ終わっていなかったので、京都まで行く。

午前中は散策。小雨の中、祇園を歩く。

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白川沿いに、吉井勇の石碑が建つ。「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水の流るる」

一度この辺りで寝起きしたいものだ。
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東山の方へ歩く。ムクロジの大木がある。固い種子で念珠を作っていたという。
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知恩院に参拝する。梵鐘は実に巨大だ。まだ紅葉には早い。
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円山公園を過ぎ、鴨川を渡る。
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高島屋に行き、京都新聞チャリティー美術展でオークションに参加する。有名な画家や陶芸家たちが、無償で作品を提供されている。特に陶芸において、大いに刺激になった。

自分の気に入った絵画や陶芸作品に、最低価格12000円を少し超える額で応募する。おそらく落とすことはできないだろう。このお金は、恵まれない人たちに寄与される。

1時間くらい過ごしてしまった。
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娘の所に行き、自転車を借りて昼飯を買い出しに行く。小雨の中、ぶっ飛ばす。約15分くらいである。まるき製パン所は、私の大好きなパン屋さんである。庶民的な雰囲気が好きだ。ハムロールや、コロッケやカツ、オムレツ、クリームの入った長細いパンを買い求める。
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佐々木酒造に寄り、「古都ひやおろし」を買い求める。ちびりちびり飲りたい。
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ベッドや洗濯機などを運び、ようやく引っ越しが完了。王将に行き、みんなで引越祝いをする。
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糖尿病のことも忘れてしまい、よく食べよく飲んだ。

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2017年10月27日 (金)

紅葉まだ早し

明日から雨の予報なので、浄瑠璃寺に紅葉狩りに行く。大門の墓地を過ぎると、Fox Faceの畑があった。確かに狐顔だ。狐茄子ともいうらしい。吊り下げ店に売られている。

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数珠玉が生えていた。小さい頃、これで母がおはじきを作ってくれた。そのおはじきでよく遊んでいたのを、ふと思い出した。
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予想通り、浄瑠璃寺の紅葉はまだ早かった。しかし、周明菊や吾亦紅、小菊などに彩られていた。
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花を愛でながら、陶芸小屋まで帰る。
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銀杏を拾って、日干しする。なかなか大変な作業だ。
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明日から、台風接近のため雨が降るらしい。

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2017年9月29日 (金)

新川に沿って

新川に沿って、陶芸小屋まで歩いて行く。陶芸小屋のある当尾大門までは、いろんなコースがあるが、今日は新川コース。

フォックスフェイスを見つけた。

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コスモスが爽やかに咲いている。
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途中で知人に出会い、旧当尾小学校下まで話しながら行く。大酒飲みだった彼は、今では休肝日を3日設けているという。70歳近くになるので、将来のために節制されているのであろう。機会があれば奈良まで飲みに行こうと、何度も誘われた。

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新川は、水量は少ないが清流である。
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新川を離れて、山中に入っていく。上り坂がきつい。千日墓地に寄る。当尾地域で最も石仏がまとまって見られる場所である。鎌倉・室町期のものが多い。
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顔のない仏も、衆生を導くために鎮座しておられる。

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六体地蔵の背後に、阿弥陀如来立像がある。「天正八庚辰」の銘があり、16世紀後半の造立である。端整な顔立ちに、思わず見入ってしまう。

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山中の細道には爽快な風が吹いていて、歩くのに気持ちいい。穴薬師に寄る。石室の中に鎮座されている。
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道ばたに落ちている、柿の葉の紅葉。その色合いに感動する。
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当尾の里に着く。吊り店があり、季節の野菜や花、食べ物などが置かれている。ナタ豆がぶら下がっていた。
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近くのカフェ瑠璃に寄り、おいしいコーヒーをいただく。マスターに入院のことをいうと、ビックリされていた。イラストレーターのカワキタさんが、初心者向けにギター教室を開催されていたのだが、私は入院のために参加できなかった。返す返すも残念なことであった。
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また山中に入り、大門の石仏群を見て、まもなく陶芸小屋に着く。

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散策中に、道に落ちていた栗を拾った。右の山栗は、小さいけれど甘い。

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歩いていると、いつも何かを発見する。歩けるようになったのが嬉しい。

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2017年9月24日 (日)

いつ見きとてか

コスモスの花を探しに、恭仁京跡を訪ねる。

踏切で、笠置からの電車に遭遇する。

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「みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見みきとてか 恋しかるらん」いづみ川は、木津川のことである。

上流方面

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下流方面
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恭仁京は740年に都が置かれ、わずか4年で廃都になった。その跡を利用して、山城国分寺が建てられた。基壇や礎石から、七重塔が建っていたと推測される。想像するだけで、雄大さに驚嘆してしまう。

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恭仁京跡の田地には、コスモスや蕎麦が植えられている。コスモスの開花は、まだ少し早かった。
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なだらかな坂を上り、集落の方へ歩く。海住山寺の慈心上人が鎌倉期末に作った大井手用水が、今でも役に立っている。実にありがたいことだ。

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昔幼稚園があったところには、陶芸家が住んでいる。ちょうど不在であった。また訪ねてみたい。
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デ・レーケ堰堤は、約140年前にオランダ人技師が指導して作られた。今でも役に立っている。確かな技術は、時代を超えるのだろう。
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恭仁神社から、海住山寺に上る道がある。まだ足が完全ではないので、今回はパス。
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また恭仁京跡に引き返す。恭仁小学校は、木造の校舎だ。懐かしさが漂っている場所である。
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ドローンの飛行をしていた。初めて間近で見たが、これは病みつきになりそうだ。鳥になって俯瞰できる。しばらくの間、恭仁京跡をモニターで眺めていた。
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「ドローン飛び 心も共に 飛来する」








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2017年8月28日 (月)

野菜の土産

昨夜は、妻の実家で大いに飲み食いさせていただいた。つい飲み過ぎて、血糖値が上がったことであろう。

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手作りのぼた餅が美味しかった。
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桑の実入りのヨーグルトが美味しかった。
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妻の母は断捨離をしていて、まだまだ欲深い妻は喜んでいただいていた。
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畑に野菜を取りに行く。茄子、アスパラガス、ピーマン、サツマイモなど、たくさんいただく。売りに行けるほどである。

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みんなで梨園に行く。試食できるのがありがたい。地元のフォークグループの歌が楽しい!

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義父母と別れて、一路京都へ。約350kmの道のりを、5時間くらい掛けてドライブする。


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2017年8月27日 (日)

川本町へ

私の実家を後にして、安芸高田市を目指す。妻を実家に降ろして、単身で島根県川本町へ。

川本町は、島根県のちょうど臍(へそ)の部分に位置して、石見銀山に近い(車で約20分)。江の川の水運により古くから栄えた町である。

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私の友人Tさんが、この川本町の生まれで、ここで我夢土下座のフィールドフォークコンサートを開催したいということで、今日は下見に来た。老母の世話をしに帰郷していたTさんと、道の駅で会う。

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我夢土下座は、中津川市の地元で根付いて47年目を迎えるフィールドフォークのグループである。2年前に京都府和束町でコンサートをして以来、Tさんは我夢土下座の大ファンとなり、故郷でも開催したいという夢を持つようになった。

笹遊里(ささゆり)のオーナーKさんは、Tさんの同級生であり、二人は意気投合してその夢に向かって歩み始めている。我夢土下座からは承諾の返事はまだ戴いてはいないのだが、準備を進めている。

Kさんは、地元の中学の吹奏楽部が出場する中国地方コンクールを応援に行き、不在であった(後に、優勝と聞いた)。かって地元の高校は、吹奏楽で全国大会金賞を2回も受賞した。川本町は「音楽の町」でもある。

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イメージがかなり固まった。開催できるように準備を整えていき、我夢土下座の快諾を得たいものである。

三江線の石見川本駅に行く。残念で仕方が無いが、三江線は来年3月で廃線になる。神楽の題目が、駅ごとに付けられている。
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かわもとおとぎ館を訪ねる。ここにあるホールは、音響の良いことで知られている。ホテルも併設している。

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外には、なんとこんなものが・・・。
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Tさんと別れて、途中断魚渓に寄る。渓谷美にしばし心を奪われた。

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妻の実家まで、約1時間のドライブ。

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